貧すれば鈍する
わたしはまあ、ウッドストック世代といいますか(ああ、先週末が40周年でしたね。これに関しても書きたいことがあったんだけど、時機を逸したかなあ)、ヒッピー世代とか、なんとでもいいんですけど、そうね、カウンター・カルチャー、対抗文化ってのを見てきて育ってきたせいか、既成概念を端から疑ってかかる傾向があるのは認めます。だから脱構築とか、そういうのに出遭ったときには、何の抵抗もなくそうだそうだおもしろいと食いついた口です。
で、というわけでしょう、国旗を切り刻んだって、それは、国旗というものはそういうもんでしょうと思うだけで、切り刻まれるのはなぜならそれが国旗だからであって、ただの布切れだったらだれも切り刻まない、というよりも切り刻んでもだれも問題にしないし、それは布切れの宿命であるわけですから、新聞沙汰にはならないです。
「国旗を切り刻んだ」という行為は、それ自体あらかじめ確信犯です。というか20世紀後半はそうでした。いまでもそうでしょう。そこには主張がある。沖縄の知花昌一さんが沖縄国体で日の丸を焼いたのは、あれは主張でした。国旗を焼くことで表現される主張。焼かねば表現されない主張です。焼くしかなかったわけです。
でももう1つの視点。
それは物神崇拝です。フェティシズムです。
「国旗を切り刻むなんて」「あなたはこんなことができますか?」という言説があふれているけど、そんなの、どうなんでしょう。大切なことでしょうか? ぼくはできるな。簡単。でも、それは国旗の象徴するものを切り刻むんじゃないし、国旗という仮装を纏った布切れを切り刻むだけだと思えばどうでもいいことです。いや、隠れキリシタンが、どうしてもマリアの像を踏めなかった。その心性は痛いほどわかります。でも、その歴史もじゅうじゅうわかっている。そのときに、その枠組みを超えることしか、踏み絵という抑圧を躱すことはできないと私たちはすでに学んでいるはずです。だから、いまは、マリアの像を、踏めるな。簡単に。そうでしょ? それが知性というものです。
ただ、で、民主党の、なんだっけ? 鹿児島で行われた立候補予定者の決起集会での日の丸切り貼り問題は、それほど哲学的でもないんじゃないかとは思うわけで、そんな、切羽詰まった命題ではないでしょう。確信犯じゃないんじゃないの?
でも、古森のおじちゃまのブログページには、出典も裏も取れないまま、こんなコメントが。
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Commented by scottsdale さん
某サイトより転載します。
436 :名無しさん@十周年:2009/08/18(火) 02:08:22
集会に参加した従兄からの情報
彼の周辺10名ぐらいの参加者が旗を見て、「ホント、やりよった」と、
檀上を指しながら大はしゃぎ、爆笑してたと。
その時従兄は何のことか、わからなかったとも言っていたが。
初から日の丸を侮辱するつもりで切り刻んでやると
計画的に作ったんだね。
気味悪いわ。民主党
162 :名無しさん@十周年:2009/08/18(火) 12:40:45 ID:viS8Ji000
民主の鹿児島支部の知り合いから聞いた話。
もともと支部にはきちんとした支部の旗は存在していた。
ただ、日教組の党員関係者がこういうの出そうよと提案。
一応支部長である議員にも話通す、面白いやってやれ。
と、いう感じで党ぐるみで行われていた。鳩山党首が
このこと知らないはずもなく、当然上にも報告が行っていた。
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これに対して、当のおじちゃま、ジャーナリストらしからず、先ほど言ったように裏も確かめずに次のようなコメントを返す始末。
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Commented by 古森義久 さん
scottsdale さん
日の丸の切り裂きをみて、「ホント、やりよった」と大はしゃぎ、ですか。
不気味ですね。
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耄碌したというわけではなく、古森のおじちゃまは以前からこういうところの恣意性が甘いんですけど、まあ、しょうがないか。
で、まあ、「ホント、やりよった」のだとしても、これはじつに程度の低い、ほんとうはまな板に載せるのも憚れるようなイタズラです。お巫山戯が過ぎるのもほどがある、で済む話でしょう。つまり、追及するにも筋が悪い。
でも突っ込みたいんでしょうなあ。自民党総裁ともあろう人が、17日の党首討論会でこれを指摘して「国旗を刻むとはどういうことか。信じたくない。とても悲しく許しがたい行為だ」。
そうか、悲しいですか。
で、20日もまた霧島市での街頭演説で「(民主党が)日の丸の旗をひっちゃぶいた。ふざけた話でしょうが。日の丸ですらきっちりできない」と。
筋が悪いこのエピソードを自民党がどこまで大げさに追及するのかわかりませんが、何が言いたいかというと、じつは国旗のことではありません。
民主党が政権を取るだろうことで、自民党の天下の陰に安穏と惰眠を貪っていた(一部はそれでも歯ぎしりしてたでしょうが)右翼が、むくむくと蠢き出すだろうということです。そうして、麻生自民党は、そんな彼らをも動員して票の目減りを止めようとする。あるいは次の跳ね板にしようとする。自民党の穏健勢力はこれを苦々しく思うのですが、脈々と続く自民党内の反動右派はこの政権交代を機にこうして先鋭化するに違いありません。こういうのを愚劣というのです。
同じことがじつはいま米国でも起きています。
オバマ政権の医療改革案に、右派勢力がオバマを社会主義者、ヒトラーと呼び慣わすものすごいキャンペーンを繰り広げています。各地で行われているタウンミーティングに、そうした右派勢力の代弁者が続々と送り込まれて協議をズタズタにしています。
米国で最も力のあるキリスト教原理主義運動の1つに、ザ・フェローシップ、あるいは「ザ・ファミリー」と称させる秘密主義の政治団体があります。ザ・ファミリーの熱心なメンバーには連邦議会議員、企業首脳、軍首脳、外国国家元首もいます。そこがいままた、反オバマに蠢いているのです。
民主党政権の誕生は同時に、日本の反動の再生でもあるのかもしれません。
ああ、忘れてました。
この鹿児島の国旗切り貼り問題を報じた産經新聞の記事ですが、次のような文章があります。
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海外では国旗への侮辱行為に刑事罰を科す国も多い。
フランスでは公衆の面前で国旗に侮辱行為をした場合、7500ユーロ(約100万円)の罰金刑を定めている。
集会で同じ行為をすれば、加重刑として6カ月の拘禁刑が科せられる。中国やカナダ、ドイツ、イタリア、米国も国旗への冒涜(ぼうとく)や侮辱、損壊などに処罰規定を設けている。
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米国では、この処罰規定は否定されています。
ベトナム反戦運動とか、いわゆる「確信犯」としての星条旗焼き捨て事件なんかが続発した歴史を持つ国です。1989年に連邦最高裁は次のように言いました。
「われわれは、国旗への冒瀆行為を罰することによって国旗を聖化することはしない。これを罰することは、この国旗の重要な象徴が表するところの自由を損なうことになる」
つまりね、アメリカの国旗が象徴するものはなによりも「自由」ということなのだ。だから、たとえその国旗を別の象徴(例えばアメリカ帝国主義の象徴とか)として焼き捨てるにしても、本来の象徴として国旗の中にある「自由」が、それを許すのだ、ということです。で、国旗を冒瀆する行為を処罰することは憲法違反だというの。すげえ。ねえ、かっこよくね?
これに対して連邦議会の保守勢力はやっきになって最高裁判決を法律で覆そうとする。で国旗冒瀆処罰法もまた出したりするけど、90年にはまたそれを憲法修正1条に違反するとした。2006年のブッシュ政権の時にも6月にまた憲法修正案で国旗冒瀆を許すまじとしようとしたけれど、これもまた上院で賛成が1票届かずに否決されたという経緯もあります。
産經新聞、ウソを書くなよなあ。