ポピュリズムはダメなのか?
民主党・鳩山政権が全力疾走を続けています。早くも息切れや逆に暴走気味なところも見られますが、日本にいる友人たちによれば政権交代ってのはこんなにも変わるってことなのかとビックリしているようです。何が変わったのか、具体的にはまだそうはないにもかかわらず、ワイドショーで政治ニュースがこんなに面白かったこともかつてなく、実際、TV出演する与党・民主党の政治家たちが、これまでの自民党と違って言い訳も逃げもせずに真正面から質問に応えるのが心地よいと言うのです。
思えば八ッ場ダムにしても年金にしても格差対策や障害者自立支援法にしてもすべてが自民党失政の後始末。中止宣言されてしまった八ッ場ダムに谷垣新総裁らが民主党マニフェストに振り回される地元周辺住民の不満を聞きに視察に行っても、そもそもが57年を費やして完成できなかった自民党の怠慢こそが素因なので「どの面下げて」感が否めません。
もっとも、鳩山政権マニフェストの問題は国民生活支援という17兆円もの約束手形の財源です。そんなカネどこにあるのか、理想ではなく現実を直視すべきだ、悪しきポピュリズム政策のオンパレードだ、という批判が止みません。
でも、どうなんでしょう? 日本ではポピュリズムというのは大衆迎合主義とか衆愚政治とか訳されて、どうも批判的に用いられることが多いのですが、それを言う人はだいたいが自分はその「大衆」「衆愚」には属していないと思っている人たちです。「大衆というのは馬鹿なものなのだから、彼らの言っていることを真に受けてはいけない」ということなんですが、これって典型的な「上から目線」というやつじゃないでしょうか。
確かにポピュリズムはかつて大衆的熱狂のかたまりとなって国粋主義・ファシズムへとつながりました。けれど現代日本のポピュリズムは、高度情報社会と国際化と教育水準の底上げの支えで安易な全体主義には流れないはずです。もちろんそれには不断の注意が必要ですが、たとえば高速道路無料化や中小企業向けの金融モラトリアムに慎重な世論とかはとても健全なもので、国民はご機嫌取りのような政策を無批判に歓迎しているわけではないのです。
かつて新聞記者の新人のころ県政を取材していた25年前、県庁の企画室なんていう部署にはどの県でも大学を卒業したての20代の中央官庁のキャリア青年たちが腕慣らしに配属されてきていて、予算編成期になると海中公園だとかリニア鉄道だとか、まあそれはそれは派手で大ボラ的な、巨大予算の夢物語をぶち上げるのが優秀な官僚への試金石だと思われていました。実際、上級国家公務員に合格した輩たちは所属省庁が決まるとすぐにもそうした「企画力」のトレーニングをやらされるという話で、税金はそうやって目に見えやすい箱もの思考へと注がれていたのです。まあ、インフラの整っていなかった昭和後期までならそうした箱ものによる経済全体の牽引力も必要だったのでしょうが、いつまでもそれでは通用しない。
ダムや高速道路というのはその象徴のようなものでした。それは企業経済を活性化することで家計経済も勝手によくなる、という思考です。そして現代のポピュリズムとは、企業を潤してもあまりよくなって来なかった生活をどうにかしてくれという権利要求なのです。そのどこが悪いのか?
その意味において、鳩山政権が打ち出し、政治家たちがTV出演などで真摯に説明しようとしている現在進行中の脱・箱もの政策の1つ1つは、たとえそれが途中でへたれになったり国会提案が先送りになったりするにしても、その過程を見ているだけで政治というものの本来のダイナミズムを目撃しているという高揚感を私たちにもたらしてくれているのかもしれません。それが冒頭で紹介した、いま政治ニュースが面白いという事象なのだと思います。
でも、それらの政策に「そんなカネ、どこにあるのか」と批判し続けることは正しいことだと思います。それは政権を超えて、いまきっと50歳前後になったかつての「海中公園」官僚たちにも届くはずです。
税金は本当に、民間のような厳しい監査なく使われています。役所相手の仕事の受注ほど旨いものはない。それをまずは精査すること。それが健全な現代ポピュリズムの原点なのだと思います。
Comments
そうですね
ふつうにかんがえると 議会制民主主義ということを前提に民主党を支持して投票した方はもちろん 自民党へのアンチとして投票した人は よほどのことがないかぎり4年はだまって見るべきというか 少しおかしいとおもっても我慢すべきように思っています
それより たとえば八ッ場ダムの住民の声はそれ自体はよくわかりますし 不遜な物言いをすれば気の毒ですが 実際はつづけるとどうなのか やめるとどうなるのかといった検証をジャーナリズムはしようとする姿勢をさえ見せず(住民の声のみを報道することしかできない程度なのかもしれませんが)その姿勢がいわゆる上から目線というかアホさ加減を露呈しているジャーナリストのふつうの人間を馬鹿にしているという意味でポピュリズムなんだとおもっています
Posted by: uji-t父 | October 10, 2009 04:35 AM