麻原と三浦と市橋と
市橋容疑者の絶食が続いています。
あくまでも彼がリンゼイさん殺害の犯人だとして、の話ですが、この子、あの逃亡の手段の凄まじさというか、とにかく逃げたいという執念はなにかというと、基本的に、責任を負いたくない、つまり現実を見たくない、つまり叱られたくない、ってことなんだと思います。
きっと、ずっとそうやって逃げてきたのかもしれません。親からのプレッシャーからもなにからも。ぜ~んぶ逃げて生きてきた(のだと勝手に想像してみる)。
ドッジボールで、人は2つに分類されます。ひとつは、ボールから逃げ回る人間。もうひとつは、ボールを果敢に取りに回ってかつ反撃に転じようという人間。ぼくは、小学生のときに、ぜったいに後者だったんだけれど、けっこう最近、ドッジボールがじつはそういうゲームではないのだと知って愕然としました。というのもずっと「ドッチ」ボールだと思ってて、「ドッジ=dodge=素早く身をかわして避ける」だということに気づかなかったの。
ああ、ぼくは間違っていたんだ。あれは、球を躱すゲームだったのだ。なんという長いあいだ!
閑話休題。
で、市橋くん、警察が上手かったのは、整形の写真、すぐに公開しなかったことです。市橋くんが整形外科に行って、それで写真も入手してあるというふうに報道させてから、写真を公開するまでに2日ほどあったんだっけ? そのときに、市橋くんはきっと、あの写真を公開されたらまずいと思って、まず手っ取り早く、ひげを剃ったのです。公開写真はヒゲ付きだろうとふんで。
で、警察が出してきたのは「予断を避けるため」として、そのヒゲをフォトショップで取り除いたスッピンの顔だったわけですね。がーん。
このときの市橋くんの動揺はいかほどだったか。
せっかくひげを剃ったのに、完璧に裏をかかれた。しかも、またひげを伸ばすまでには何日もかかる。つまり、あの手配写真は、見事に今の市橋くんだったわけです。
逃亡犯の心理として、このダメージは大きいでしょう。
ここで彼はとても追いつめられます。どこにも逃げられない。顔を隠すということ自体がもうすでに自分は容疑者、指名手配犯だということになるのですから、このどうしようもなさで、彼はほとんど眠れもしなかった。かくれんぼをして、そこら中に鬼がいるという状態です。あとは髪を剃っちゃうしかない。でも、それをしてないのはどうしてかなあ? あれは、フードで隠せるからか? いや、ナルシシズムかな。その辺はぼくにはわかりません。
でもとにかく、わたしの想像の中の彼は、もうどうにもしようがない、という極限状態で、あのフェリーの待合室で捕まったのです。でも、彼は(仮定の彼は)、とにかく、現実を回避したい、責任を回避したい人間なのです。では、次にどうするか?
逃げるのですよ。やはり。
自分の心の中に。
外界を遮断して、心の中に、奥深くに、逃げ込む。そこしかない。
それがこの拒食なのです。
それが私のフィクティシャスな彼に関する解釈。
いわば、麻原彰晃と、三浦和義との間の、どこかにある人間としての市橋くん。
麻原は外界を完全に遮断した。
三浦は真実の内界を遮断した。
市橋くんは、そういう意味で、けっこう興味深い人物かもしれません。
叱られたこと、ないのかなあ。
親との関係、セックス、とても古典的だけど、やはり鍵はそれなんだろうなあ。
でも、もう一個、かつて浅田彰が言ってた「スキゾ・キッズ」。
これ?
スキゾって、現実社会ではこんな無様なものにしかなれないのだろうか?
最近、考えてるのは、このスキゾではなく、クラウド・コンピュータ型の人間たち、です。
実体がないの。
でも、これはちょっとぜんぶ書き出すのは面倒なのでまたの機会にしましょう。