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本格政権への期待

菅新内閣の発足で民主党への支持率がV字回復したというのは、とりもなおさず日本国民が政権交代に託した政治改革をいまも強く希求していることの現れなのでしょう。同時に、昨年の政権交代のときの浮き足立ったような高揚感もやや薄れ、菅首相の初めての記者会見はまったく大風呂敷を広げない、鳩山路線の現実的な軌道修正のような響きがありました。

いや、はっきり言いましょう。持論の「最少不幸の社会をつくる」はよいのですが、財政均衡と景気浮揚の兼ね合いや沖縄問題、機密費問題など、現在の閉塞状況の具体的な打開策がいまいち不鮮明で、記者からの質問にも文字通り「ごにゃごにゃ」と答えをはぐらかした感がいっぱいです。とくに記者会見のオープン化と官房機密費の問題は、あれは、あんまり考えてない人の顔でした。あきらかに回答を避けてましたし。

前政権の陥穽となった普天間の件でも、副総理だった菅さん自身から沖縄の人たちへの謝罪がまずあるべきでした。それがスルーだったので、自らの政権を高杉晋作の「奇兵隊」になぞらえたときには、奇兵隊ならぬ「海兵隊内閣か」とツッコミたくもなった次第。てか、奇兵隊、って、なんの譬えなんだかよくわからんぞ。全体的にあんまり用意周到、理論武装バッチリという感じがしなくて、ともすると菅総理、あまりに言質を与え過ぎて退陣となった鳩山さんの轍を踏むまいと縮み志向になっているんじゃないでしょうかね。まあ、そうであっても道理ですが。

しかしそれではあまりに自民党時代と同じで民主党であることの意味がない。逆にすぐに世論の飽きを招いてしまう。鳩山さんの唯一の功績は、政策決定に至る政治側からの果敢なアプローチが、事業仕分けや高速道路問題など、成功も失敗もゴタゴタまでもが国民の目に生々しく披露されたことなのですから。

にもかかわらず鳩山政権が短命だったのには、沖縄とカネの問題の後ろに2つの要因があります。1つはマスコミ、もう1つは官僚制度です。

政権交代が決まったときに産経新聞の記者が自社の公式ツイッターで「産経新聞が初めて下野なう」「でも、民主党さんの思うとおりにはさせないぜ。これからが産経新聞の真価を発揮するところ」とつぶやいて謝罪したのは憶えてるでしょ。でもこれはいいんです。新聞は報道機関であると同時に言論機関でもあるのですから。

問題は、反対があるときに必ず賛成の意見も併置させるという報道の大原則が日本ではあまり確立されていなくて、日本って褒めるよりも貶す傾向の強い文化なんだなあと改めて気づかされるほど予定調和的に批判・叱責論調でメディアがまとまってしまうところです。

前のブログでも書きましたがそれこそ政治記者クラブ的論理収斂。世論が結果的に偏るのは常ですが、その世論に情報を供給する報道メディアは、そろそろ賛否両論を戦わせるというフォーマットを社内的に、責務として定着させてほしいのです。

もう1つの官僚制度ですが、例えばアメリカやカナダでは政党間の政権交代のときに官僚制度の各部署のトップが地方単位まで数千人規模で入れ替わります。つまりその政権政党の息のかかった管理職が官僚システムを支配する。官僚はそこですでに味方になるのです。

日本は違います。官僚は替わりません。これを変えることはなかなか難しいでしょう。米加には、政権交代で職を失った際にはその人材が民間のシンクタンクや大学研究機関などに行けるパイプがすでに出来上がっていて、そういうものが機能しない限り官僚トップを路頭に迷わせることなどできません。なので官僚のクビのすげ替えは現状では不可能。ならば彼らをどう協力させるかというのが次の命題です。

政治主導を旗印に誕生した鳩山政権は、東京地検特捜部を筆頭にこの官僚システムの隠然かつ熾烈な攻撃に遭いました。普天間問題でも外務・防衛官僚たちが「県外・国外移転」を初めから相手にせず、鳩山さんを包囲し潰しにかかったのです。官僚たちはかくも優秀で、働かないとなるときも徹底的に実に優秀・有能に働かぬ道を見つけます。

さて、これらをどうするか?

メディアに関しては先ほども触れましたが、大臣たちの記者会見を徹底的にオープンにして既成の政治記者クラブ的談合報道を打破することなのです。政治記者クラブ的情報も必要でしょう。しかしそれだけで世論が形成されていいわけではない。そのために、政治は国民により直接に声を届けられるようにすることが必要です。私たちだってそっちのほうが情報の選択肢が増えてうれしい。

後者の官僚制度は、必要以上の官僚の締め付けをやめて有能な官僚との協力関係をどんどん築くことです。それでこそ税金も有効活用される。その上での政治主導です。

じつはこのメディアと官僚とをうまく使いこなしたのが小泉政権でした。小泉首相は彼の個人的な力量なのでしょう、政治記者クラブ的報道に関しては自身のワンフレーズ政治というか、自らの私的な言葉で風穴を空けて国民に直接声を届けたのでした。さらに官僚システムに関しても、竹中・飯島といった手下を駆使して根回しと恫喝とを周到に行っていた。

日本の政治の問題点は、官僚側が常に失敗を繰り返さないための保身的なマニュアルを用意してあるのに対し、政治側がそれを用意していないことです。日本の政治は、失敗をすべて政治家個人の責任にしてしまい、その失敗がなぜ起きたのかを勉強しないことです。今回も、鳩山政権がなぜ倒れたのかを、鳩山さんの政治的拙速さとその手腕の未熟さ、かつ小沢さん個人のカネの問題に帰結させようとするだけです。

この前のブログにも書きましたが、鳩山政権の失敗はそんな個人的な問題ではない。米国と日本の構造的な主従関係がそこにあり、それを官僚制度が制度として補足していたという、実に大きな事実が襲いかかってきたからです。これをどうするのか、どう対応するのか。これは普天間の共同声明で一息つけるような、そんな生易しいものではありません。菅政権はそこをこそ徹底して学習し、解決へ向けてとにかく一歩を踏み出すべきなのです。

菅内閣が本格政権になるかどうかは、おそらく参院選後にまた内閣改造があるでしょうからまだわかりません。いまのところはくれぐれも、失敗を恐れてなにもしないのがいちばんの良策みたいな自民党時代末期のような守りの姿勢に逆戻りしないように覚悟を決めてほしいということでしょうか。前述のように沖縄だって、このまま2+2の日米共同声明どおりに工事が進むなんて考えられないのですから(成田の土地強制収容闘争みたいなことだって予想されています)、参院選後に向けて、いまのうちにすくなくとも記者会見のツッコミにもっと明確に答えられるよう、せいぜい理論武装しておくべきでしょう。難題が目の前に山積している状況はなにひとつ変わっていないのですから。

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