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August 24, 2010

今野雄二の死去と大橋巨泉

「フツーに生きてるGAYの日常」というウェブサイトを運営しているakaboshiくんが、「今野雄二の訃報コメントがフジテレビに“添削”された顛末」を書いた大橋巨泉のことを紹介していました。

「彼の同性愛者らしい細やかなセンスを買っていただけに残念」という彼の表現が、フジテレビ側から「文章の中の『同性愛者』という表現が、死んだ人に対する表現としては使えないので、それを取って『彼らしい細やかなセンスを・・・』とさせていただきたいのですが」「上司と相談したところ、矢張りある程度同業者の中では知られていても一般的な事ではなく、人が亡くなった時という特殊な時期なので、今回はその表現を控えさせて頂きたい」という事情で書き換えられたという話です。

「人の死に“同性愛者”はふさわしくないのか?日本にはタブーが多すぎる」●今野雄二さんの訃報コメント変更で大橋巨泉さん注目発言

添削されてもブチ切れるんじゃなくて、「もう寝た後の話でどうしようもありませんでしたね。こちらは一向にかまいません。ただこのことは週刊現代に書くつもりです」と、事の顛末を自身の連載コラムで発表するというところがこの人の軽やかさ。メディアで生きてきた人ならではです。

で、わたし、藤村有弘が死んだときのこの大橋巨泉の弔辞もはっきりと憶えています。もう30年近くも前の話ですから、うわあ、すごいこと言うなあ、この人、と思ったものですが、アウティングされた本人とも「巨泉さんならしょうがないか」というような付き合いをしていた、というその自負と自信からの宣言なのでしょうね。

そんなアウティングは、その人個人の責任として為されるもので、当然それなりの覚悟もあるものです。アウティング行為にケチを付けるやつも、アウティング対象の友人にケチを付けるやつも、そういう連中はぜんぶおれんとこに来い、相手してやる、ということなんでしょう。それは世間一般でいう、他人に対するアウティングとはちょいと違います。

それをさておき、「死んだ人」を知りもしない赤の他人が、おこがましくもそこに口を挟む。今野雄二も、巨泉さんになら代弁をしてもらいたいが、フジテレビのサラリーマンに自分の代弁をしてほしいと頼んだ覚えはない、というところでしょう。ま、そのことに乗じて私たちもなんやかんや今野雄二のアウティングに対してコメントする資格もないわけですが……。

しかしいったい、ゲイだと言ったらフジテレビにどういうクレームが来るのかなあ。サラリーマン体質っていうのか役人根性というのか小市民的というのか、減点評価に極端に神経質になっちゃって風が吹くのにもおびえる桶屋の商売敵がほんと多すぎます。ひいてはそれが日本社会の衰退の元凶なのよね(←大袈裟)。

大橋巨泉は希代の遊び人で、むかしから1本芯の通った数寄者です。11PMでも終戦だとか原爆だとか同和だとか硬派企画をどんどんやっていて、そこにこの人の何とも不思議な「日本人離れ」したコメントが重なる。北海道の少年時代に11pmを見ていると、ジャズだとかゴルフだとか英語だとかパイプカットだとかの話題も加わって、ああ、東京の人ってすごいなあ、って唖然としたものです。

18で初めて東京に出てきたときも、わたしが怯んだのは頭のいい人たちではなくて大橋巨泉的な都会人に対してでした。なんだか、生きてきた人生がぜんぜん違うのね。だって、芸能人とか文化人とか芸術家だとかと、子供のころから親交があったりする。これはもう取り返しもつかず、ただただ口を開けるか脱帽するしかないわけで。

今野雄二のこの件も、巨泉さんのこのコラムで、歴史として残ることになりました。「事実」は、いずれにしても書き残さねばならないのです。ところで織田裕二、どうしちゃったんでしょうね。って、関係ないか。

ではごきげんよう。来週半ばからはまた日本です。


***
とまあ、上記のような「日記」を先週、ミクシで書いたところ、フジTVに務める私のマイミクさんの1人が次のようなコメントを寄せてくれました。上記の私のテキストに足りない要素が指摘・補填されていて、合わせてお読みくださると問題の重層的な部分が見えてくると思いますので、コメント者の了解を取って採録しますね。


***

2010年08月22日 04:27
僕は生憎、その件の担当ではありませんでしたが、それでも、僕はその弊社スタッフと結果的に同じ対応を取ったと思います。

僕と、そのスタッフ(たち)の思考経路がどのような展開の末に、同じ結論に至ったのかには相違があると思いますが、僕の場合、まずご遺族・存命の関係者の存在について考えたでしょう。

そして、今野さんが生前、ご自身の意思として、カムアウトしていたのか、していなかったのか、確認が既に容易には取れないその時点で、当人がもしかすると隠していたかもしれない性的指向をメディア・サイドの判断でおおっぴらにしていいものか、その権利がメディアにあるのか、ということを考えると思います。

大橋さんが自分の土俵で語ることについては、大橋さんの責任で負えばいい。大橋さんは今野さんのゲイとしてのスタンス、ご家族について、などご存じだったかもしれない。

が、そういった手がかりのない1メディア担当としては、もし当人がセクシュアリティを隠していたという可能性が少しでもあったら、遺族・関係者の手前、それをアウティングすることはできない、と判断します。

もちろん最善は、遺族・関係者に連絡を取り、このようなコメントが出ますが、問題ございませんか、などと確認を取ることだと思うのですが、自殺というショッキングな状況に対応しているご遺族に、そのタイミングで、この確認は、僕の気持ちとしてはできない。また、報道が出るまでの限られた時間の中ですべての関係者についてそれを網羅することはとうていできない。

弊社スタッフがとったと同じ対応をおそらく自分も取っただろう、というのは、アウティングということに対する僕自身の見解にもよるものでしょう。

社会的な影響力を少なからず持っている同性愛者が、反ゲイに価する言動を行う、またはその人が沈黙していることが、ゲイの立場の向上に反している、そのような限定条件下で、アウティングは行われるべきものだというのが私見です。

自分自身のセクシュアリティに悩んでいる・結論の出ていない、迷える同性愛者(及びその家族)を徒にアウティングすることには反対です。

以上、私見でした。
ご意見・ご反論ございましたら、承ります。


***
このコメントに対して、わたしもコメントを返しました。それが以下のものです。


***
2010年08月22日 06:08
なるほどなるほど、そういや、自殺だったんだ。私の上記の書き物にはその視点が一切欠けていました。つまり2重のスティグマというわけです。そうね、その場合は少しでもそれを軽減させようとするのもメディアたるものの立ち位置かもしれないね。

ただここで肝心なのは、きみの註釈したように当の担当者が思考したという跡すじが、巨泉さんのテキストを読む限りではいっこうに窺えないということです。「結果的に同じ対応を取る」ことと、その問題はまったく別のことです。おそらく巨泉サイドが、上記のきみのような意を尽くした事情説明のコメントを聞いていたら、彼はおそらくそのこともきっとコラムに書くんじゃなかろうか? 結果として、彼のコラムは変わっていたのではないか? ま、わたしも直接フジの担当者に当たったわけでもなく巨泉サイドに確認したわけでもないから、適当にしか言えんのですが。

じっさい、きみの書いた上記コメントは、十分に思考された説得力のあるものですから、たとえ結果が「添削」という同じもので終わっていたとしても、わたしはそこでは両者間にある共通認識が生まれ、これはまた次のステップに進むための一歩になり得たはずだと確信します。

それがしかし「死んだ人に対する表現としては使えない」「人が亡くなった時という特殊な時期」というようなだけの説明では、これはどこにも行き着くところのない言い訳、言い逃れに過ぎなく聞こえてしまうでしょう。じっさい、巨泉さんはそうやって聞いた。そこにはきみのコメントにある説得力はなかった。そういうことではないのでしょうか。

貴社の担当者としては、もし仮にきみのいうようにその辺の遺族への配慮が行き届いていたのだったとしら、コメントを要望した相手への配慮と事情説明もまた行き届いていて然るべきだった、と、ま、そういうことでしょうか。しかしまた、後者がそうではなかった以上、前者もまた、恐らく違っていたのではないか、と推察できてしまう。私はそれを「サラリーマン体質っていうのか役人根性というのか小市民的というのか、減点評価に極端に神経質になっちゃって」と非難したいのです。

いかがなもんでしょうかね。


***
かくして、再びそのコメントをくれた本人から次のような返事が。


***
2010年08月22日 07:09

そうだね。
「死んだ人間には使えない」って説明がヘンだものね。

多分、直接、巨泉さんサイドと対応したスタッフはあまりものがわかってない、ただのメッセンジャーだったのかもしれないですね。

俺としては、少なくとも、彼が相談したという「上の人間」というのは、俺と同じような考え方をした、と考えたいところだけれど。(多分、クラス的に、その「上の人間」は今の俺と同程度の職歴・年齢であるはずなのね。)

ただ、間に立っていたそのメッセンジャーくんが、それをうまく伝えられなかった、と僕は思いたい。

でも、ま、わからないですな。
差別の問題はほんと難しい。
ゲイに関しては、自分がそうだから、一応わかるんだが、同和のこととか、まったくわからないもん。
みんなが避けて、隠してしまうトピックだから、見えて来ないんだよね。だから、きちんと学べない。

もっと見える存在にならなければならない、というのは本当に、真の命題ですな。


***

テレビ局にもいろいろ考えている人間はいるわけです。
もちろんゲイもレズビアンもトランスジェンダーもいるわけですから。
というわけで、この問題に関してはこんなもんですか。
彼がコメントを寄せてくれたおかげで、わたしも問題の多面性を紹介できたと思います。

August 20, 2010

モスク建設騒動の正体

9.11で崩落した世界貿易センター跡地の2ブロック北の通りにイスラム教のモスク付きコミュニティセンターを建設する動きが表沙汰になったのはこの5月のことでした。それからまたぞろかまびすしくイスラム嫌悪症が表面化しています。とはいえよく調べると「そんな場所によくも」と気色ばんでいるのはよそに住んでいる人たちのようで、伝えられる全米調査での70%の反対に対し、当地マンハッタンでは36%の人しか反対していません(クィニピアク大調査)。もっともこれは6月末の時点での調査ですから、それ以来のメディアの報じ方次第で少し数字は変わっているかもしれません。ただ、NYのメディアは比較的冷静かつ論理的に報じていて、街頭でカメラに応える人たちもいたって寛容です。

51ParkPl.jpg
【扇型の窓のあるビルを取り壊して13階建てのモスク付きコミュニティセンターが出来る。来年のWTCテロ10周年の9.11に竣工というのも反対者の神経を刺激している要因の1つ。これは8/17日に撮影した写真。この時にも地元NYのテレビ局などがお昼のニュース用に中継車とリポーターを待機させていた】

モスクを計画するのは「コルドバ・イニシアティヴ」という6年前に出来た団体で、かつてイスラム、ユダヤ、キリスト教の3者が平和共存していたスペインのコルドバの名にちなみます。イスラム教社会と西側社会の友好的な橋渡しを行うことを趣旨とし、このコミュニティセンターの中にはイスラム教徒以外も利用できるカフェやプール、芸術センターも作る予定とか。そもそもその前身のイスラム団体がたまたま世界貿易センターの近くだったので、今回もまた近くにモスクをということでした。というかさらにもっと積極的に、9.11テロへの直截的な批判の表明として敢えてこの地を選んだそうです。
 
イスラム教徒の人口は米国でも徐々に増えていて、いまは成人では150万人ほどいるといわれます。アメリカの総人口は3億人ほどなのでまだ微々たる数字(0.7%くらい)ですが、これは20年前の3倍の数字で、しかも都市部に集中しているので、大都市圏でのモスクの建設も必要となっているわけです。でも9.11以降イスラム教への風当たりが厳しいのは確かです。同じニューヨーク市内の他の場所、ブルックリンとかスタッテン島とかでもモスク建設反対運動が表面化しています。

しかし一方でニューヨーカーというのは自分たちこそ自由の担い手だという気概も持っていて、他文化・他宗教への敬意も「政治的な正しさ」として持つべきだと考える人も多い。そういうのを意地でも理解してやる、理解しないのは野蛮人だ、みたいな強迫観念めいた信念というか傾向もあって、たとえばさまざまな分野の日本文化を世界で最初にニューヨーカーたちが注目したのもそうした傾向のおかげなんですね。先の調査でもイスラム教に関し「本流のイスラム教は平和的な宗教だと信じている」と答えた人はNY市内全体では55%もいて、モスク建設反対にもなかなか複雑な葛藤があることが窺えます。

そんな中、オバマ大統領がホワイトハウスでのイスラム教指導者を招いた恒例の夕食会で、憲法での宗教の自由を掲げてモスク建設に賛同を表明し、翌日にそれを「一般論だ」と言い訳する事態も起きました。でもたしかに夕食会ではグラウンドゼロのその場所という言い方をしてたんで、「一般論」じゃないと受け止められたのは当然なんだけど、中間選挙を3カ月後に控え、反対論の多いモスク建設に触れることは政治的にあまり賢明とは言えないと軌道修正したのです。日本の民主党の菅政権ほどではないですが、未曾有の財政危機、泥沼化するアフガン戦争と難問山積のオバマ政権も最近は(というか最初からそのケがあったのですが)、保守・革新両方に目配せをするあまりどこにもブレイクスルーが見出せない凡庸な政府に成り下がっています。

このモスク建設問題で、みんな忘れがちなことがあります。
それは、あの9.11の3000人近い犠牲者の中には多くイスラム教徒の人たちも含まれていたという事実です。

彼らの遺族もあのテロに怒っている。その憤怒を平和への祈りに変える場として、現場近くにモスクを持つことの何がいけないのか。イスラム教とテロとを直接結びつけてはいけないことは頭ではわかっていても、生理的にまだまだ抵抗があるということなんでしょうが、そういう人たちを折伏するのは信教の自由だとか表現の自由だとかの文字面のお題目ではなくて、やはり生理に訴えるしかありません。そのためにはあのテロで殺され、そして遺族にも関わらず周辺住民から白い目で見られている米国内のイスラム教徒の遺族をもっと紹介することです。その存在にもっと多くの人が気づけばいいのにと思います。

私も日本語のダイジェスト版の制作を手伝っているエイミー・グッドマンらが主宰する独立系ニュースメディア「デモクラシー・ナウ!」がこの問題を取り上げています。以下のリンクに日本語で概略が紹介されています。さらにその見出しをクリックすれば英語のオリジナルのサイトでの詳報に飛べます。

「わが米国のことが心配です」: ムスリム指導者全米のモスク建設反対を語る

NYのイスラム教コミュニティセンター建設問題 共和党と同調して数人の民主党トップが反対 関係者座談会


もっとも、宗教というものにあまり信を置いていない私としてはこの件に関してFoxの人気テレビ番組のゲイのホストが「このモスクが完成した暁には、隣にゲイバーを開く」と表明したのが面白かった。このモスクを挟んで睨み合いとなりそうなイスラム教とキリスト教右派。そこに両方から忌避されているゲイバーを開く。イスラム教、キリスト教、どちらが本当に友好的、平和的なのか、ゲイバーを作ってみればすぐにわかる、というわけです。なんせ、いまも石打ちで女性やゲイたちを死刑にする因習が残るという事実は、誰が何と言ってもそれら宗教と関係していないわけがないのですから。

ゲイというものを置いてみると、このモスク問題の底に、他者=異なる人たちへの紋切り型の人間理解と差別の問題があるということが、はからずも浮かび上がるのです。偽善の仮面を剥ぐのに、ゲイという異化装置はけっこう使えますよ。

August 10, 2010

ママの憂鬱

7月下旬、34歳の日テレの女性アナウンサーが5カ月の乳児を残して仙台の高層マンションから飛び降り自殺しました。日本の朝やお昼のニュースショーでは男性のコメンテイターやキャスターたちが深刻顔で「育児ストレス」や「育児ノイローゼ」に関した通り一遍のコメントをしていました。いわく「育児が大変な仕事だという周囲の理解と協力が必要」──しかし育児ストレスというものの正体が何なのかという「理解」は、当のコメンテイターたちにもあまりないようでした。

事件後ややして「育児ストレス」は「産後うつ」という言葉に置き換わりました。そう診断されていたと女性アナのお兄さんが明かしたからです。けれどそれがどういう病気なのかは「優秀で、きまじめで完全主義な人」がかかりやすいだとか、「最後まで仕事にこだわり、育児を割り切れない」のが原因だとか(いずれも産経新聞iZa β版http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/425362/)、なにもわかっていないままでした。

テキサス州ヒューストンの郊外で9年前の2001年、生後6カ月から7歳までの子供5人全員が36歳の母親の手で浴槽で溺死させられたという事件がありました。母親はその2年前に四男を出産し、その後、うつ病になっていたのです。そう「産後うつ」です。

このとき、NYタイムズなどの米紙は事件に絡め、出産に関連する女性のホルモンや代謝の変化の、男性たちの想像もつかない複雑さを詳細にリポートしていました。

こういうことです。出産と同時に胎盤が出てしまうと、女性の体内では卵胞ホルモンであるエストロゲンも数分あるいは数時間以内で急激に下降します。黄体ホルモンも同じく急降下し、その一方でお乳を司る脳下垂体が普段の2倍にまで膨張するのです。それまで9カ月間にわたって母胎を守ってきたシステムそのものがとつぜん切り替わってしまうのです。これはまさに「変身」の衝撃が母体を襲うということです。

その結果、米国では85%もの母親が出産後3日以内に「ベイビー・ブルーズ(産後の気のふさぎ)」という症状を経験するのだそうです。気分の波が激しく、2週間にもわたって鬱々とした状態が続くのです。

85%、とはほとんど全員です。しかしもっと驚くのはそのうちの10人に1人がただの気のふさぎでは済まずに本当に「産後うつ病」に移行するということです。こうしたお母さんたちは疲弊感と孤独感にさいなまれ、母になった喜びも感じられずしばしば涙に暮れ、食事や睡眠も不規則になるのだとか。おそらくこれらの数字に日米の差はあまりないと思います。違いがあるとしたら、それは母親たちを取り巻く環境の差でしょう。とはいえ、それもいまはそんなに変わらないと思いますが。

うつ状態よりも厳しい症状は「産後精神障害」と呼ばれます。米国では新生児の母親の千人に1人という発症率ですが、これはふだんの精神障害発生率の16倍という数字だそうです。この場合は出産直後から妄想が現れ、「赤ちゃんを殺せ」「この子は死んだほうが幸せだ」という幻聴まで聞こえたりするとか。米国ではこうした母親による赤ん坊殺しが毎年百件前後も発生しています。

産後のうつ症状にはホルモン療法が効果的とも言われますが、もちろん同時に家庭内での理解と支援が必要です。もちろんこれはお題目的な理解ではなく、前述した女性の化学のメカニズムを男性たちも含めた周囲のみんながきちんと知っての理解です。そのためにはメディアもきちんと科学的な情報を提供することが欠かせません。何も知らない人たちがテレビで適当にコメントを出し合っても、そんなものは何の役にも立たないのですから。

最近、日本でも子供の虐待死が相次いでいます。男性の手になるものは何をか言わんやですが、それが母親による育児放棄や虐待である場合、私たちが「育児ストレス」と簡単に呼び捨ててしまいがちなケースのその裏側には、甚大な産後の肉体的変調が関わっている可能性もあるのかもしれません。

August 04, 2010

クローゼットな言語

「イマーゴ」という、今はなき雑誌に依頼されて書いた原稿を、昨日のエントリーに関連してここにそのまま再掲します。書いたのは2001年3月って文書ファイル記録にあるんですけど、当のイマーゴは96年に休刊になってるんで、きっと1995年11月号の「ゲイ・リベレイション」特集でしょうね。へえ、私、15年前にこんなこと考えてたんだ。時期、間違ってたら後ほど訂正します。

では、ご笑読ください。

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クローゼットな言語----日本語とストレートの解放のために


 「地球の歩き方」という、若い旅行者の自由なガイドブックを気取った本の「ニューヨーク」グリニッチ・ヴィレッジの項目最初に、「(ヴィレッジは)ゲイの存在がクローズ・アップされる昨今、クリストファー通りを中心にゲイの居住区として有名になってしまった。このあたり、夕方になるとゲイのカップルがどこからともなく集まり、ちょっと異様な雰囲気となる」と書かれている。「ブルータス」という雑誌のニューヨーク案内版では「スプラッシュ」というチェルシーのバーについて「目張りを入れた眼でその夜の相手を物色する客が立錐の余地なく詰まった店で、彼ら(バーテンダーたち=筆者註)の異様なまでの明るい目つきが、明るすぎてナンでした」とある。マックの最終案内という文言に惹かれて買ったことし初めの「mono」マガジンと称する雑誌の「TREND EYES」ページに、渋谷パルコでの写真展の紹介があったが、ここには「〝らお〟といっても(中略)〝裸男〟と表記する。つまり男のヌード。(中略)男の裸など見たくもないと思う向きもいるだろうが」とある。

 この種の言説はいたるところに存在する。無知、揶揄、茶化し、笑い、冷やかし、文章表現のちょっとした遊び。問題はしかし、これらの文章の筆者たち(いずれも無記名だからフリーランス・ライターの下請け仕事か、編集部員の掛け持ち記事なのだろう)の技術の拙さや若さゆえの考え足らずにあるのではない。

 集英社から九三年に出された国語辞典の末尾付録に、早稲田大学の中村明が「日本語の表現」と題する簡潔にまとまった日本語概論を載せている。その中に、日本では口数の多いことは慎みのないことで、寡黙の言語習慣が育った、とある。「その背景には、ことばのむなしさ、口にした瞬間に真情が漏れてしまう、ことばは本来通じないもの、そういった言語に対する不信感が存在したかもしれない」「本格的な長編小説よりは(中略)身辺雑記風の短編が好まれ、俳句が国民の文学となったのも、そのことと無関係ではない」として、「全部言い尽くすことは避けようとする」日本語の特性を、尾崎一雄や永井龍男、井伏や谷崎や芥川まで例を引きながら活写している。

 中村の示唆するように、これは日本語の美質である。しかし問題は、この美しさが他者を排除する美しさであるということである。徹底した省略と含意とが行き着くところは、「おい、あれ」といわれて即座にお茶を、あるいは風呂の、燗酒の、夕食の支度を始める老妻とその夫との言葉のように、他人の入り込めない言語であるということだ。それは心地よく面倒もなく、他人がとやかく言える筋合いのものではない関係のうちの言語。わたしたちをそれを非難できない。ほっといてくれ、と言われれば、はい、わかりましたとしか言えない。

 この「仲間うちの言語」が老夫婦の会話にとどまっていないところが、さらに言えば日本語の〝特質〟なのである。いや、断定は避けよう。どの言語にも仲間うちの符丁なるものは存在し、内向するベクトルは人間の心象そのものの一要素なのだから、多かれ少なかれこの種の傾向はどの社会でも見られることだろう。しかし冒頭の三例の文言が、筆者の幻想する「わたしたち」を土台に書かれたことは、自覚的かそうではないかは無関係に確かなことのように思われる。「ゲイの居住区として有名になってしまった」と記すときの「それは残念なことだが」というコノテイションが示すものは、「わたしたち」の中に、すなわちこの「地球の歩き方」の読者の中に「ゲイは存在しない」ということである(わたしのアパートにこの本を置いていったのは日本からのゲイの観光客だったのだが)。「異様なまでの明るい目つきが、明るすぎてナンでした」というときの「変だというか、こんなんでよいのだろうかというか、予想外というか、つまり、ナンなんでしょうか?」という表現の節約にあるものは、「あなたもわかるよね」という読者への寄り掛かりであり、あらかじめの〝共感〟への盲信である。「男の裸など見たくもないと思う向きもいるだろうが」という、いわずもがなのわざわざの〝お断り〟は、はて、何だろう? 取材した筆者もあなたと同じく男の裸なんか見たくもないと思ってるんだが、そこはそれ、仕事だから、ということなのだろうか? それとも三例ともにもっとうがった見方をすれば、この三人の筆者とも、みんなほんとうはクローゼットのゲイやレズビアンで、わざとこういうことを書き記して自らの〝潔白〟を含意したかったのだろうか……。

 前述したように、内向する言語の〝美質〟がここではみごとに他者への排除に作用している。それは心地よく面倒くさくもなく多く笑いをすら誘いもするが、しかしここでは他人がとやかく言える類のものに次元を移している。彼らは家庭内にいるわけでも老夫婦であるわけでもない。治外法権は外れ、そしてそのときに共通することは、この三例とも、なんらかの問い掛けが(予想外に)なされたときに答える言葉を有していないということである。問い掛けはどんなものでもよい。「どうしてそれじゃだめなの?」でもよいし、「ナンでしたって、ナンなの?」でもよいし、「何が言いたいわけ?」でもよろしい。彼らは答えを持っていない。すなわち、この場合に言葉はコミュニケイトの道具ではなく、失語を際だたせる不在証明でしかなくなる。そして思考そのものも停止するのだ。


 ここに、おそらく日本でのレズビアン&ゲイ・リベレイションの困難が潜在する。

 ことはしかしゲイネスに限らない。日本の政治家の失言癖がどうして何度も何度も繰り返されるのか、それは他者を排除する内輪の言葉を内輪以外のところで発言することそのものが、日本語環境として許されている、あるいは奨励されすらしているからである(あるときはただただ内輪の笑いを誘うためだけに)。「考え足らず」だから「言って」しまうのではない。まず内輪の言語を「言う」ことがアプリオリに許されているのである。「考え」はその「許可」を制御するかしないかの次の段階での、その個人の品性の問題として語られるべきだ。冒頭の段落で三例の筆者たちを「技術の拙さや若さゆえの考え足らず」で責めなかったのはその由である(だからといって彼らが赦免されるわけでもないが)。どうして「いじめ」が社会問題になるほどに陰湿なのか、それは「言葉」という日向に子供たちの(あるいは大人たちの)情動を晒さないからだ。「言葉じゃないよ」という一言がいまでも大手を振ってのさばり、思考を停止させるという怠慢に〝美質〟という名の免罪符を与えているからだ。だいたい、「言葉じゃないよ」と言う連中に言葉について考えたことのある輩がいたためしはない。

 すべてはこの厄介な日本語という言語環境に起因する。この厄介さの何が困るかといって、まず第一は多くの学者たちが勉強をしないということである。かつて六、七年ほど以前、サイデンス・テッカーだったかドナルド・キーンだったかが日本文学研究の成果でなにかの賞を受けたとき、ある日本文学の長老が「外国人による日本文学研究は、いかによくできたものでもいつもなにか学生が一生懸命よくやりましたというような印象を与える」というようなことをあるコラムで書いた。これもいわば内輪話に属するものをなんの検証(考え)もなく漏らしてしまったという類のものだが、このうっかりの吐露は一面の真実を有している。『スイミングプール・ライブラリー』(アラン・ホリングハースト著、早川書房)の翻訳と、現在訳出を終えたポール・モネットの自伝『Becoming a Man(ビカミング・ア・マン--男になるということ)』(時空出版刊行予定)の夥しい訳註を行う作業を経てわたしが感じたことは、まさにこの文壇長老の意味不明の優越感と表面的にはまったく同じものであった。すなわち、「日本人による外国文学研究は、いかによくできたものであっても、肝心のことがわかっていない小賢しい中学生のリポートのような印象を与える」というものだったのである。フィクション/ノンフィクションの違いはあれ、前二者にはいずれも歴史上実在するさまざまな欧米の作家・詩人・音楽家などが登場する。訳註を作るに当たって日本のさまざまな百科事典・文学事典を参照したのだが、これがさっぱり役に立たなかった。歴史のある側面がそっくり欠落しているのだ。

 芸術家にとって、あるいはなんらかの創造者にとって、セクシュアリティというものがどの程度その創造の原動力になっているのかをわたしは知らない。数量化できればよいのだろうが、そういうものでもなさそうだから。だがときに明らかに性愛は創造の下支えにとして機能する。あるいは創造は、性愛の別の形の捌け口として存在する。

 たとえば英国の詩人バイロンは、現在ではバイセクシュアルだったことが明らかになっている。トリニティ・カレッジの十七才のときには同学年の聖歌隊員ジョン・エデルストンへの恋に落ちて「きっと彼を人類のだれよりも愛している」と書き、ケンブリッジを卒業後にはギリシャ旅行での夥しい同性愛体験を暗号で友人に書き記した手紙も残っている。この二十三才のときに出逢ったフランス人とギリシャ人の混血であるニコロ・ジローに関しては「かつて見た最も美しい存在」と記し、医者に括約筋の弛緩方法を訊いたり(!)もして自分の相続人にするほどだった。が、帰国の最中に彼の死を知るのだ。その後、『チャイルド・ハロルドの巡礼』にも当初一部が収められたいわゆる『テュルザ(Thyrza)の詩』で、バイロンは「テュルザ」という女性名に託した悲痛な哀歌の連作を行った。この女性がだれなのかは当時大きな話題になったが、バイロンの生前は謎のままだった。いまではこれがニコロのことであったことがわかっている。

 『草の葉』で知られる米国の国民詩人ウォルト・ホイットマンはその晩年、長年の友人だった英国の詩人で性科学者のジョン・アディントン・シモンズに自らの性的指向を尋ねられた際に、自分は六人も私生児を作り、南部に孫も一人生きているとムキになって同性愛を否定する書簡を送った。これがずっとこの大衆詩人を「ノーマルな人物だった」とする保守文壇の論拠となり、さらにホイットマンが一八四八年に訪ねたニューオリンズ回顧の詩句「かつてわたしの通り過ぎた大きな街、そこの唯一の思い出はしばしば逢った一人の女性、彼女はわたしを愛するがゆえにわたしを引き留めた」をもってしてこの〝異性愛〟ロマンスが一八五〇年代『草の葉』での文学的開花に繋がったとする論陣を張った。しかしこれも現在では、その詩句の草稿時の原文が「その街のことで思い出せるのはただ一つ、そこの、わたしとともにさまよったあの男、わたしへの愛のゆえに」であることがわかっている。『草の葉』では第三版所収の「カラマス」がホモセクシュアルとして有名だが、それを発表した後の一八六八年から八〇年までの時期、彼がトローリー・カーの車掌だったピーター・ドイルに送った数多くの手紙も残っており、そこには結びの句として「たくさん、たくさん、きみへ愛のキスを」などという言葉が記されている。

 これらはことし刊行された大部の労作『THE GAY AND LESBIAN Literary Heritage』(Henry Holt)などに記されている一部であるが、同書の百六十数人にも及ぶ執筆者の、パラノイドとも見紛うばかりの原典主義情報収集力とそれを論拠としているがゆえの冷静かつ客観的な論理建ては、研究というものが本来どういうものであるのかについて、日米間の圧倒的な膂力の差を見せつけられる思いがするほどだ。日本のどんな文学事典でもよい、日本で刊行されている日本人研究者による外国文学研究書でもよい、前者二人に限らず、彼ら作家の創造の原動力となったもやもやしたなにかが、すべてはわからなくとも、わかるような手掛かりだけでもよいから与えてくれるようなものは、ほとんどないと言ってよい。



 「日米間の圧倒的な膂力の差」と一般論のように書きながら、厄介な日本語環境の困難さとしてこれを一般化するのではなく象徴的な二つの問題に限るべきだとも思う。

 一つは「物言わぬ日本語」の特質にかぶさる/重なるように、なぜその「もやもやしたなにか」がまがりなりにも表記され得ないのかは、「性的なるもの」に関しての「寡黙の言語習慣」がふたたび関係してくることが挙げられる(「もやもやしたなにか」がすべて性的なもので説明がつくと言っているわけではない)。日本語において議論というものが成立しにくいことは「他者を排除する言語習慣」としてすでに述べたが、そんな数少ない議論の中でもさらに「性的な問題」は議論の対象にはなりにくい。「性的なこと」が議論の対象になりにくいのは「性的なこと」が二人の関係の中でのみの出来事だと思われているからである。すなわち、「おい、あれ」の二人だけの閨房物語、「あんたにとやかく言われる筋合いのものではない」という、もう一つの、より大きいクローゼットの中の心地よい次元。そうして多くみんな、日本では性的なことがらに関してストレートもゲイもその巨大なクローゼットの中にいっしょに取り込まれ続ける。

 性的なことがらはしたがって学問にはなりにくい。クローゼットの中では議論も学問も成立しない。すなわち、「性科学」なる学問分野は日本では困難の二乗である。九月に北京で行われた国連世界女性会議で「セクシュアル・ライツ」に絡んで「セクシュアル・オリエンテイション」なる言葉が議論にのぼったとき、日本のマスメディア(読売、毎日、フジTV。朝日ほかは確認できなかった)はこれを無知な記者同士で協定でも結んだかのようにそろって「性的志向」と誤記した。「意志」の力では変えられないその個人の性的な方向性として性科学者たちがせっかく「性的指向」という漢字を当ててきた努力を、彼ら現場の馬鹿記者と東京の阿呆デスクと無学な校閲記者どもが瞬時に台無しにしてしまったのである。情けないったらありゃしない。

 考えるべきもう一つはクローゼットであることとアウト(カミング・アウトした状態)であることの差違の問題だ。先ほど引用した『ゲイ&レスビアン・リテラリー・ヘリテッジ』の執筆陣百六十人以上は、ほとんどがいずれも錚々たるオープンリー・ゲイ/レズビアンの文学者たちである。押し入れから出てきた彼らの情報収集の意地と思索の真摯さについては前述した。彼/彼女らの研究の必死さは、彼/彼女らの人生だけではなく彼/彼女のいまだ見知らぬ兄弟姉妹の命をも(文字どおり)救うことに繋がっており、大学の年金をもらうことだけが生き甲斐の怠惰な日本の文学研究者とは根性からして違うという印象を持つ。一方で、クローゼットたちは何をしているかといえば、悲しいかな、いまも鬱々と性的妄想の中でジャック・オフを続けるばかりだ。日本の文学研究者の中にも多くホモセクシュアルはいるが、彼らは一部の若い世代のゲイの学者を除いてむしろ自らの著作からいっさいの〝ホモっぽさ〟を排除する努力を重ねている。

 ここで気づかねばならないのは、「ホモのいやらしさ」は「ホモ」だから「いやらしい」のではないということだ。一般に「ホモのいやらしさ」と言われているものの正体は「隠れてコソコソ妄想すること」の「いやらしさ」なのであって、それは「ホモ」であろうがなかろうが関係ない。性的犯罪者はだいたいがきまってこの「クローゼット」である。犯罪として性的ないやらしいことをするのは二丁目で働くおネエさんやおニイさんたちではなく、隠れてコソコソ妄想し続ける小学校の先生だったりエリート・サラリーマンだったり大蔵省の官僚だったりする連中のほうなのだ。かつてバブル最盛期の西新宿に、入会金五十万円の男性売春クラブが存在した。所属する売春夫の少年たちは多くモデル・エイジェンシーやタレント・プロダクションの男の子たちで、〝会員〟たちの秘密を口外しないという約束のカタに全裸の正面写真を撮られた。これが〝商品見本〟として使われているのは明らかだった。ポケベルで呼び出されて〝出張〟するのは西新宿のある一流ホテルと決まっていて、一回十万円という支払いの〝決済〟はそのクラブのダミーであるレストランの名前で行われた。クレジット・カードも受け付けた。請求書や領収書もそのレストラン名で送られた。送り先は個人である場合が多かった。が、中に一流商社の総務部が部として会員になっている場合もあったのである。〝接待〟用に。

 これがすべて性をクローゼットに押し込める日本のありようだ。話さないこと、言挙げしないこと、考えないこと、それらが束になって表向き「心地よい」社会を形作っている。ゲイたちばかりかストレートたちまでもがクローゼットで、だからおじさんたちが会社の女の子に声をかけるときにはいつも、寝室の会話をそのまま持ち込んだような、いったん下目遣いになってから上目遣いに変えて話を始めるような、クローゼット特有の、どうしてもセクシュアル・ハラスメントめいた卑しい言葉遣いになってしまう。あるいは逆転して、いっさいの性的な話題をベッド・トークに勘違いして眉間にしわを寄せ硬直するような。性的な言挙げをしないのが儒教の影響だと宣う輩もいるが、わたしにはそれは儒教とかなんだとかいうより、単なる怠慢だとしか思われない。あるいは怠慢へと流れがちな人類の文化傾向。むしろ思考もまた、安きに流れるという経済性の法則が言語の習慣と相まって力を増していると考えたほうがよいと思っている。


 そのような言語環境の中で、すなわち社会全体がクローゼットだという環境の中で、リベレイションという最も言葉を必要とする運動を行うことの撞着。日本のゲイたちのことを考えるときには、まずはそんな彼/彼女たちのあらかじめの疲弊と諦観とを前提にしなければならないのも事実なのだ。このあらかじめの諦めの強制こそが、「隠れホモ」と蔑称される彼らが、その蔑称に値するだけの卑しい存在であり続けさせられている理由である。

 「日本には日本のゲイ・リベレイションの形があるはずだ」という夢想は、はたして可能なのだろうか? 「日本」という「物言わぬこと」を旨とする概念と「リベレイション」という概念とが一つになった命題とは、名辞矛盾ではないのか?

 ジンバブエ大統領であるロバート・ムガベがことし七月、「国際本の祭典」の開催に当たってゲイ団体のブースを禁止し、自分の国ではホモセクシュアルたちの法的権利などないと演説した際、これを取り上げたマスメディアは日本では毎日新聞の外信面だけだった。毎日新聞はいまでもホモセクシュアルを「ホモ」という蔑称で表記することがあり、同性愛者の人権についてのなんらの統一した社内基準を有していない。あそこの体質というか、いつも記者任せで原稿が紙面化される。逆にこのジンバブエの特派員電のように(小さな記事だったが)、記者が重要だと判断して送稿すれば簡単に紙面化するという〝美質〟も生まれる。ところでそのジンバブエだが、ニューヨーク・タイムズが九月十日付けで特派員ドナルド・G・マクニールの長文のレポートを掲載している。首都ハラレでダイアナ・ロスのそっくりさんとして知られるショウ・パフォーマーのドラッグ・クィーンを紹介しながら、「イヌやブタよりも劣るソドミストと変態」と大統領に呼ばれた彼らの生活の変化を報告しているのだが、ハラレにゲイ人権団体が設立されていて女装ショウがエイズ患者/感染者への寄付集めに開催されていること、ムガベが「英国植民地時代に輸入された白人の悪徳」とするホモセクシュアリティにそれ以前から「ンゴチャニ」という母国語の単語があること、などを克明に記してとても好意的な扱いになっている。

 ニューヨーク・タイムズがほとんど毎日のようにゲイ・レズビアン関連の記事を掲載するようになったのは九二年一月、三十代の社主A・O・ザルツバーガー・ジュニアが発行人になってからのことだ。それ以前にも八六年にマックス・フランクルが編集局長になってから「ゲイ」という単語を正式に同新聞用語に採用するなどの改善が行われていたが、同時にゲイであることをオープンにしていた人望厚い編集者ジェフリー・シュマルツがエイズでもカミング・アウトしたことが社内世論を形成したと言ってもよい。

 アメリカが「物言うこと」を旨とする国だと言いたいのではない。いや逆に、「物言うこと」を旨としているアメリカの言論機関ですら、ホモセクシュアリティについて語りだしたのがつい最近なのだということに留意したいのである。ホモセクシュアリティはここアメリカでも長く内輪の冷やかしの話題であり、自分たちとは別の〝人種〟の淫らな「アレ」だった。日本と違うのはそれが内輪の会話を飛び越えて社会的にも口にされるときに、そのまま位相を移すのではなくて宗教と宗教的正義の次元にズレることだ。つまり〝大義名分〟なしにはやはりこのおしゃべりな国の人々もホモセクシュアリティについては話せなかったのである。

 わたしの言いたいのは、日本語にある含意とか省略とか沈黙といった〝美質〟を壊してしまえということではない。そのクローゼットの言語次元はまた、壊せるものでもぜったいにない。ならば新たに別の次元を、つまりは仲間うちではなく他者を視野に入れた言語環境を、クローゼットから出たおおやけの言語を多く発語してゆく以外にないのではないかということなのだ。そしてそれを行うに、性のこと以上に「卑しさ」と(つまりはクローゼットの言語と)「潔さ」との(つまりはアウトの言語との)歴然たる次元の差異を明かし得る(つまりは本論冒頭の三つの話者のような連中が、書いて発表したことを即座に羞恥してしまうような)恰好の話題はないと思うのである。ちょうど「セクハラ」が恥ずかしいことなのだと何度も言われ続けどんどん外堀を埋められて、おじさんたちが嫌々ながらもそれを認めざるを得なくなってきているように。そうすればどうなるか。典型例は今春、ゲイ市場への販売拡大を目指してニューヨークで開かれた「全米ゲイ&レズビアン企業・消費者エキスポ」で、出展した二百二十五社の半数がIBMやアメリカン航空、アメリカン・エクスプレス、メリル・リンチ、チェイス・マンハッタン銀行、ブリタニカ百科事典などの大手を含む一般企業だったことだ。不動産会社も保険会社もあった。西新宿の秘密クラブではなく、コソコソしないゲイを経済がまず認めざるを得なくなる。

 インターネットにはアメリカを中心にレズビアン・ゲイ関連のホーム・ページが数千も存在している。エッチなものはほんの一握り、いや一摘みにも満たないが、妄想肥大症のクローゼットの中からはムガベの妄想するように「変態」しかいないと誤解されている。ここにあるのはゲイの人権団体やエイズのサポート・グループ、大学のゲイ・コミュニティ、文学団体、悩み相談から出版社、ゲイのショッピング・モールまで様々だ。日本で初めてできたゲイ・ネットにも接続できる。「MICHAEL」という在日米国人の始めたこのネットには二千五百人のアクティヴ・メンバーがいて、日本の既存のゲイ雑誌とは違う、よりフレンドリーなメディアを求める会員たちが(実生活でカミング・アウトしているかは別にしても)新たなコミュニケイションを模索している。「dzunj」というネット名を持つ男性はわたしの問い掛けにeメイルで応えてくれた。彼は「実は僕がネットにアクセスする気になったのも、もっと積極的にいろいろなことを議論してみたいという理由からだった」が、「ネット上の会話」では「真面目な会話は敬遠されるようです。ゲイネットこそ絶好の場であるはずなのに……」とここでも思考を誘わないわたしたち日本人の会話傾向を嘆いている。しかし彼のような若くて真摯な同性愛者たちの言葉が時間をかけて紡ぎ出されつつあることはいまやだれにも否定できない。「Caffein」というIDの青年は日系のアメリカ人だろうか、北海道から九州までの日本人スタッフとともに二百九十ページという大部の、おそらく日本では初めての本格的なゲイ情報誌を月刊で刊行しようとしている。米誌『アドヴォケート』の記者が毎月コラムを書き、レックス・オークナーという有名なゲイ・ジャーナリストが国際ニュースを担当するという。



 「ホモフォビア」という言葉がある。「同性愛恐怖症」という名の神経症のことだ。高所恐怖症、閉所恐怖症、広場恐怖症と同じ構造の言葉。同性愛者を見ると胸糞が悪くなるほどの嫌悪を覚えるという。長く昔から同性愛者は治療の対象として病的な存在とされてきた。しかしいまこの言葉が示すものは、高所恐怖症の改善の対象が「高い場所」ではないように、広場恐怖症の解決方法が「広場」の壊滅ではないように、同性愛恐怖症の治療の対象が「同性愛者」ではなく、彼/彼女らを憎悪する人間たちのほうだということなのである。その意味で、日本の同性愛者たちをいわれのない軽蔑や嫌悪から解放することは、とりもなおさず薄暗く陰湿な日本のストレートたちを、まっとうな、正常で健全な状態にアウトしてやることなのだ。そうでなければ、日本はどんどん恥ずかしい国になってしまうと、里心がついたかべつに愛国者ではないはずなのに思ってしまっている。         (了)

August 03, 2010

英語しゃーない2

英語社内公用語化に関してちょいと危惧を書いたところ、日本国内でもみなさんこれに批判的というか反発を示していらっしゃるようで、私がツイッターでフォローさせていただいている内田樹先生のつぶやき(12:53 AM Aug 1st)によると「某新聞取材。「英語社内公用語化論」について。「対論」というかたちで、賛否の両論を紹介する企画なのに、「賛成論」を語る識者がいないそうです。ユニクロも楽天も広報は「あ、その話はちょっとご勘弁を・・・」なんですって。変なの。だったら、プレスリリースなんか出さなきゃいいのに。」とのこと。

なるほどしかし、それほど世間的に反発が多いなら、逆に賛成に回ったっていいぞ、みたいな天の邪鬼が体の内側でモソつくのを感じている次第。なにせ、なんとなくその反発、例の「国家の品格」の論調みたいなんじゃないかなあと、逆にこれまた危惧するわけで。

日本の文化や経済が独自に発展してきた背景には、ある意味じつは「日本語」という言語の特殊バリアで守られてきたせいもあります。それは鎖国状態、あるいはガラパゴス状態というのともちょいと違って、選択透過膜とでも言いますか、都合のよいものだけを取り入れ、都合の悪いものは入れも出しもしない。相手には日本内部で何が起きているのかわからないから、国際競争とは別のところでちゃっかり稼がせてもらってきた、という事情があったのだと思います。もちろん大変な企業努力と技術開発があったのは大前提ですが、真の意味で欧米企業と同じ土俵に上り始めたのはカルロス・ゴーンさんが日産に来たころからでしょうか。

その意味でそろそろ英語社内公用語論が出てきてもぜんぜんおかしくない話ではあるのです。

じつは私の日本語の文章修行は英語を勉強することで始まりました。日本語では曖昧に済ませられるところが、英語ではちゃんと1から論理立てて言わねばならないという思考の形の違いにも自覚的になりました。これはとても役に立っています。日本語を相対化することは、同時に英語を相対化することでもありましたし、同じ言葉の背景にある2つ、あるいは3つや4つの文化背景の違いからもいろいろ学ぶところが多いからです。

簡単な例を挙げれば、たとえば「外国人とのハーフ」という言葉。日本語では短くシャレててかっこいいですが、英語だと「半端者」という意味に聞こえるのです。せめて「ハーフ&ハーフ」なら合計「1」になっていいのですが、短縮して「ハーフ」なら「半分しかない人」なのですね。これは日本語の柔軟性と英語の論理性を象徴する(しないか?w)1つの事例だと思います。

それは英語を使って初めて知れる相対性でした。つまり英語も日本語も便利もあれば不便もあるという、いわばアイコだってことが、英語を使うことで初めて実感としてわかったのです。

それを論拠に、わたしはかつて「国家の品格」をトンデモ本だと批判しました。そして今回聞く英語社内公用語化への世間的な一斉の反発もまた、「日本人なんだから日本語を!」「英語に心を売るな!」みたいな単純な国粋主義的な心性の現れではないかと危惧するわけです。

前回ブログで触れた社内公用語化論への反対の根拠の1つは、社内で「英語」使いが重用されるあまり、肝心の「仕事」のできる人が英語ができないという理由だけで排除されるような倒錯が起きないかと心配だということです。それは日本人だから日本語を、ではなく、その日本語を鍛えるためにも余裕があれば英語を学んだ方がよりよいという実感からきています。

先に、日本経済や文化が日本語によって守られてきた、と書きましたが、そういう感覚はじつはいまでも続いています。日本に帰ると急に、国際ニュースなどどうでもいいよその場所のこと、みたいな感じになってしまうのです。ニューヨークにいるとまるで我がことのようにビンビン響いてくる国際ニュースが、日本にいると日本人が日本語で伝えているせいか、どこか遠い外国での話に聞こえてくる(そのとおりなのですが)。

これはまた、以前書いた「身内の言語」=「クローゼットの言語」としての日本語の“効能”なのかもしれません。この原稿、どこに行ったかなと思ってスポットライトで調べたらあらまだこのコンピュータの中にあるではありませんか、というかちゃんと移設してたんだ。それを、この次のブログで近々再掲しましょう(しました=追記)。ご興味ある方はお読みください。長いですけど、これは1995年に青土舎のイマーゴという(もうなくなった)雑誌の「ゲイ・リベレイション」特集に依頼されて書いた原稿です。ずいぶん昔だなあ。でも、まあ、まだかろうじて読めるでしょう。

閑話休題。そう、日本語と英語とは、それはおそらく、日本の近世と近代(現代)の相克なのです。すべて関係します。相撲協会の体質と近代民主税制国家との矛盾とか、官房機密費とマスメディアの癒着とか、西武の大久保と雄星の確執とか、記者クラブとオープン会見の軋轢とか、総会屋と物言う株主の対決とか、おもえばここ数年のゴタゴタのほとんどが身内の言語社会が世界的には通用しないとほぼ初めて公になったということから来る齟齬なのです。そして歴史的に、前者は必ず後者へと流れて行かざるを得ないものなのですね。そういう視点に立てば、「社内」は「英語」の導入でどんどん思考様式を近代化すべきであり、そういうところからしか世界戦略が成り立たないのは道理です。幸いなことに、「会社」は相撲協会や記者クラブなんかよりははるかに旧弊から自由である存在でしょうし。少なくとも楽天やユニクロは。そうやって思い返せば、21世紀に入ってからの例の堀江貴文氏の登場もまた、日本の近世的企業体質への、現代からの挑戦だったのでしょう。

ただし、そうは言ってももう1つ留意すべきことがあります。それは、「英語」が、アメリカが世界で覇権を維持するための大いなる戦略的道具だということです。「英語を世界言語にする」というより大きな米国主導の市場戦略が、背景に見え隠れするのです。

いつの間にか映画がハリウッドだらけになったようにネットもまたいま英語だらけです。相手方のこの言語戦略を自覚しているのかいないのかの違いは、同じ土俵に立つ上でかなり大きいと思います。同じ土俵に乗りはするが、必ず英語文化に対抗しうる日本語文化を重しにしている、そんな「アイコ」に持ち込む努力は、忘れてほしくないと思うのです。