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September 28, 2010

まずは検察が変だ

尖閣諸島沖の中国漁船船長の逮捕・勾留は、「国内法に基づき粛々と対応する」という菅政権の方針に反して、那覇地検が国益や外交上の配慮を理由に処分保留での釈放という措置をとりました。これには呆気にとられました。

菅政権の対応のちぐはぐさも問題ですが、それ以前に変だったのは那覇地検次席の記者会見でした。職務外である外交上の配慮を被疑者釈放の理由にし、その権限逸脱を検察自らが記者会見で明かしたのです。なぜ記者会見で釈放の理由を「我が国国民への影響や今後の日中関係を考慮」したと述べる必要があったのか?

ここはむしろ、中国からの圧力とは関係なく、純粋に検察の職務である「捜査の結果」として処分保留の釈放を判断したと言い張っても何の不都合もなかった。それが茶番であることも重々承知の上で、そう言い切ることこそがこれまでの官僚たちの対応でした。

それが今回は違った。そもそも逮捕から勾留に進んでも外交問題には発展しないと外務省が読み違えたのがバカな話なのですが、いずれにしてもその結果、日本ではいまそんな官僚側の不手際を問題とするより「中国になめられた」「国辱だ」という対中国への怒りと不満が充満しています。

しかしあの那覇地検の会見を聞いて以来、いったい菅政権と検察のあいだに何があったのか、それが気になってしょうがない。中国になめられる云々前にそもそも検察が政府をなめてかかったんじゃないか、というのが1つの見方です。

船長釈放に当たって検察が政府から圧力を受けたことは確かです。検察が独自に勾留途中の被疑者を釈放するということはあり得ません。ところが検察としては、村木裁判での無罪、さらには証拠フロッピーの日付改ざん問題と、どんどん風当たりが強くなる現在、そこに勾留延長期間での船長釈放とでもなれば意味が通じない。ここはなんとしても自分たちの苦渋の判断を説明しなければならない。それでなければ対中国の日本の弱腰対応という批判が検察に集中してしまうことは目に見えています。そこでその「弱腰」の責任の所在を、「これは検察の判断ではなく政府の判断だ」と言い逃れをした、というのが今回の内情ではないか、という見方です。それこそ、そう発表することで日本の国益や外交上のメンツを著しく損なうことなどお構いなしに。

そうだとすると今回、検察は自己保全のためには国益をも犠牲にするのを厭わなかったということです。官僚制度vs民主党などという高尚な対決構図や意趣返しでも何でもない。これは後先かまわぬ自己防衛です。日本の官僚制はそこまで児戯に等しく幼児退行したということです。会見であんなことを言わなければ、船長釈放措置はこれほど「政治的」にはならなかったのですから。

しかしいま1つは、それを承知の上で菅政権が検察に罪を着せたという見方。面倒臭い外交上の言い訳も何も、ぜんぶ検察に言わせてしまえ、という政権の指図があったのか? まあねえ、そんなに今の内閣と検察が通じているとは思えないのですがね。

じつは中国政府の一連の抗議の中で「中国は強い報復措置をとる。その結果はすべて日本側が負うことになる」という警告が何度か発せられました。これはもちろん中国国内向けのアナウンスでもあるのですが、この文体、聞き覚えがあるでしょう? そう、あの北朝鮮とまったく同じものなんですね。ああ、中国ってこういう国だったんだ、と改めて思ったのは私だけではないでしょう。世界中の民主国のすべてがきっとそう感じたはずです。

そのとき、なめられようが国辱だろうが、そういう下品な恫喝のコメントを発する必要のない日本を私は誇らしく思いました。中国や北朝鮮とは違う、成熟した文化国家だと思った。むしろそれが外交上の重要な武器だとも思いました。実際、あの発言で、そして例のレアアースの禁輸措置で、世界各国の中国評価は一気に下がりました。というか熱が冷めて冷静になったと言いましょうか。事実、それらを背景にアメリカもまた中国への間接的なメッセージを発したのです。クリントン国務長官が尖閣諸島は日米安全保障の範囲内と発言したのは、その1つです。もっとも、実際に武力衝突が起きた場合に米軍が出るかというのはぜんぜん別問題ですが。

これは中国の敵失なのです。日本はこういうときにしっかりとそれを逆手に取って外交上の切り返しに使わねばならない。武力を行使しない日本は、そういう論理でしか対抗できないのですから。それが成熟した民主主義国の対応というものなのです。

しかしあの那覇地検の会見やその後の政府の答弁を聞いていて、ともするとこれは成熟などではなく、日本という国家システムの、単に未熟な幼児的思考放棄の姿だったのではなかったかとの思いもぬぐい去れない。今後、問題の漁船衝突のビデオは公開されるのでしょうか? 諸外国にどういうレアメタル貿易の需給構造の再構築を働きかけるのでしょうか? そういう経済的な安全保障をどう作って行くのでしょう? そのイニシアティヴを取ろうという意志も兆しも、菅政権に、はたして見えていますか?

中国の強硬姿勢は国内向けですからいずれ軟化するでしょうが、中国をやわらかく包囲する新たな外交システムを展開しなければならないときに、ともすると今回の那覇地検の会見に垣間見られたような日本国内での行政システムの崩壊が起きているのかもしれません。それは慄然とする話です。

September 15, 2010

菅とオバマのシンクロ具合

「いよいよこれから政権の本格運営」と言いながらも、菅さんの政策が実はいまもよくわかりません。民主党国会議員412人の「全員内閣」というのも、はたして小沢陣営との人事面での折り合いはつくのかどうか。

そもそも告示の前後で小沢さんに人事面で配慮をすると言っていたのをいったん白紙に戻す修正を行い、その後またいつの間にか「全員内閣」と言っているのはどういうことなのか? さらに小沢さんの「政治主導」や「地方主権」という決まり文句を、選挙戦後半では菅さんも言い始める始末。いやいや、全員内閣も官僚政治打破も地方重視も実に結構なことですから、菅内閣がそれで行ってくれるなら小沢派だって大歓迎、べつに小沢総理でなくとも実を取ればそれで民主党的には大団円、めでたしめでたしでしょう。しかし菅さんの場合、ほんとにそうなの? 思いつきでパクってるだけでしょ? という感じで、どうも額面どおりには受け取ってよいものかおぼつかない。

菅さんはこれまで民主党の代表選には9回も立候補しています。ならばもっと日本を率いる具体策や理念があって然るべきなのに、どうも言葉が上滑りして「雇用、雇用、雇用」と言う「新成長戦略」も具体的に何をどうすると言いたいのかよくわからない。今回が初めて総理大臣に直結する出馬だったせいか、政策モットーはこの選挙戦を通じて紡ぎ出した感さえあります。結果、日本のマスメディアでは「政策論争が盛り上がってよかった」との論調まで出た。でも、菅さんの主張に首尾一貫さがないのは消費税10%発言を筆頭に明らかなのでした。

わたしが懸念するのは「長期本格政権を目指す」という発言が(実際、3カ月前の首相就任時にそう言ったのです。「普天間も片付いたから」と)、菅さんにとって目的化していることです。長期政権であるために必要な手っ取り早い方法は「自民党化」することです。つまり、体制を維持し、体制不安につながる抜本改革を行わないこと。つまり、政権交代を狙って民主党の掲げたマニフェストを引き揚げること、なあなあに済ますことなのです──国家戦略局なんて滅相もない。

今回の代表選で菅さんが勝利したというのは、このマニフェスト修正に民主党とその支持者がお墨付きを与えたということです。いや、そうではない、反小沢票が消極的に菅さん支持に回っただけで、マニフェストの理念そのものは否定されていない、と言う向きもいるでしょうが、民主党はそうは動かないでしょう。

菅政権は何をどうしたいのか? そしてそれはかつての自民党の政治とどう違うのか? 第2次菅政権はそれを明確に示し得るのでしょうか?

菅さんのこの3カ月の日和見ぶり、いや腰砕けを見ていると、与野党協調を謳うあまりにどっちつかずになって改革を進められないオバマ政権を見ているような気になります。「チェンジ」を掲げながら、アメリカは変わったでしょうか? イラクの戦闘部隊撤退も形だけ、アフガンは泥沼化、国内には反イスラムの連鎖が顕在化し、同時に同性愛者の従軍問題も拙速が目立つばかり。金融改革も中途半端でまたまたウォール街を利するだけですし、環境問題もメキシコ湾原油流出企業への甘い事前検査が明らかになり、なおかつ環境汚染の危険性の高い海洋油田掘削規制はまったく手つかずです。唯一の成果とされる医療改革と国民皆保険制度も実際はどっちつかずの改革に落ち着いて、大統領就任時の熱狂的ともいえた国民の変革への希求は、なんだか尻すぼみになりつつあるのです。

そこで中間選挙です。貧富だけではなく、アメリカでは保守とリベラルの両極化が進んで、とりとめがありません。リベラルなオバマ政権下で、どうして共和党のティーパーティー(お茶党)みたいな右翼が出てくるのでしょうか? それはまさに例のグラウンドゼロ・モスク問題の反イスラム感情勢力と重なります。そうしてオバマ民主党は中間選挙での敗北が予想されている。

それは、同じくどっちつかずの菅政権の道行きと重なりはしないのでしょうか? 政局ではなく、私は日本とアメリカが心配です。まあ、これまでもいつも「心配」してきたわけですからいまさらどうのという感じもありますが、しかし心配してきた一つひとつはかなりその心配に沿って現実のものになっています。いつどこでそれがロバの背を折る一本の藁になるのか、心配はその線へとシフトしていっています。