この内閣は早晩つぶれる
仙谷官房長官があんなにカンカンになって怒っていた神戸海上保安部の保安官による尖閣沖・中国漁船衝突ビデオ流出で、警視庁捜査一課と東京地検はこの保安官を逮捕しないまま任意で捜査を続けるようです。捜査を続けると言っても、はたして起訴するのかどうか自体わかりません。書類送検くらいはしなくちゃならんでしょうがね。
これはじつに興味深い推移です。政府が率先して「大問題」にしてきた一件では、ふつう容疑者は何がなんでも逮捕されてきたもんです。指揮権発動などという大げさなものではなく、その意を汲んだ捜査当局がその方向でよしなに動き出すのです。逮捕要件というのは法的には証拠隠滅や逃亡の恐れがあることですが、そんなことはお構いなしに逮捕して密室でぎりぎり取り調べるのが一般的。特にメディアが大きく扱うような話題性のあるものはそうしてきました。芸能人とか有名人の逮捕とか、ときに証拠は出そろっているし逃亡の恐れなんか全然ないようなときだって捜査当局は彼らを簡単に逮捕・勾留してきたわけです。なのに今回に限ってこんな「大問題」でも逮捕しない。これはいったいどうしたことでしょう?
この保安官の場合、国家公務員法の守秘義務違反というのがとりあえずの容疑なのですが、限定的ながら国会議員に見せたビデオはすでに秘密に当たらないとか、海保内部で広く閲覧入手できたことも秘密性を薄めるとか、そういう「逮捕できない」技術的かつ論理上の理由が論議されています。でもそんなことも本当は関係ありません。だってこれまでは逮捕すると決めたらこないだの厚労省の村木局長冤罪逮捕のようにそれから犯罪事実を作り上げるという倒錯的な手法だって取ってきたわけですし。
これでは、秘密保護法の制定まで持ち出した仙谷長官も振り上げた拳の下ろしようがない。面目丸つぶれ──そう、つまりそういうことなのです。
この仙菅内閣で、政府当局者=役人たちが次々と“反乱”を起こしているのです。この尖閣問題に限っても那覇地検が船長釈放を意趣返しのように政治判断だとわざわざ会見で明かしたのはなぜだったのでしょう。この海保保安官だって、「政治的主張ではない」と言っていますが、ビデオを公開しない政府にこのままでは永遠に闇に葬り去られてしまうと危惧したからだとも言っています。これは政府に対する反抗です。
そこに来て今度は捜査当局が彼を逮捕しない。それは何かというと、捜査当局がこの内閣のメンツを立てる必要はないと判断したということです。内閣支持率が30%を切ったそんな国民感情に反してまでこの内閣と心中したくない、する価値はない、という判断です。それはつまり、この内閣は早晩つぶれるという判断に他なりません。
事業仕分けで廃止と決められても無視して名目替えの予算を要求するような官僚たちのしたたかさに、枝野幹事長代理は「与党がこんなに忙しいものとは知らなかった」「政治主導なんてウカツに言ったら大変なことになった」と漏らしたそうです。確かに官僚もひどいが、そこに来て政治家がこれではまともな国家運営など望むべくもありません。この論理だとウカツだったのはあのマニフェスト全部ということになるのですから──だって八ツ場ダムは建設中止発言を撤回し、高速道路無料化も子供手当満額達成もあやふや。議員定数削減はウソだし企業献金は禁止どころか復活示唆。普天間は五里霧中で日米地位協定の改定などどんどん声が小さくなる。
そうして先日のAPECでは、菅総理は胡錦濤に対して相手の目ではなく自分のメモを見て抗議するという腰抜けぶり。おまけにメドベージェフには「北方領土上陸がなぜいけないのか」と逆ギレ質問される始末。これに菅が毅然と応え得たのかも明らかでなく、この返答もきっと国家機密なのでしょう。かつてのソ連で、ブレジネフをバカだと言ったら逮捕され、罪状が国家機密漏洩罪だった、というジョークが流行っていたのを思い出させます。
そう、ビデオ流出問題の本質は、あんなビデオを思わせぶりに国民に秘密にしていた仙菅内閣の支離滅裂さの露呈です。判断能力への疑義なのです。
あれは実は国家機密の漏洩などというものではありません。捜査資料の漏洩ですらない。だって船長は釈放され、今後、裁判になんかなるわけがないのですから捜査資料としての秘匿性は事実上必要ないのです。日本国としては、かろうじてこれを秘密にすることで中国側との外交交渉のカードにしようということはあり得たでしょう。しかしそんな素振りすらなかった。
ではなんで問題となっているのか? それはあのビデオの公開が、たんに仙菅内閣に都合が悪かったというだけの話です。公開によって国益なんぞ損なわれていません。損なわれたのは内閣のメンツだけです。「最初から公開していればこんなことにならなかった」というのは、つまりそういうことです。秘密だと言うから、それが公開されたらメンツが立たなかった。秘密だとしてなければ、そもそも問題なんぞなかったのです。
それなのにまだそんな政府の無能さを擁護するかのように大メディアは情報管理の徹底を訴えたりしています。「管理」の名目で権力によって隠される「情報」を、「事実」として広く主権者たる国民に提供して国民自身の判断を仰ぐ、というのが自分たちの使命なのに、これではまるで権力側に立つ御用ジャーナリズムです。wikileaks で先日来、アフガン戦争関連の国防機密文書9万2000点、イラク戦争40万点が公開されましたが、欧米のメディアは犯人探しや国家機密情報管理の危うさなんぞにはほとんど関心を示しませんでしたよ。むしろその情報内容の重大さをこそ掘り下げていた。
日本のメディアもいま報道するなら海保保安官の個人的な情報なんかではなく、警視庁公安部外事3課の国際テロに関する資料の流出問題でしょう。流出は流出でも、これはわけが違います。そっちのほうが百倍も千倍も重大・危険です。いったい何をのんきに構えているのでしょうか。
この内閣も、この国の記者クラブ・メディアも、確かにもう長くはないでしょう。捜査当局が見限ったということは、他の省庁も見限るということですから。ますます官僚たちは働かなくなります。
不幸なことですが、そういうのは早くつぶれないと次の時代はやってきません。官僚制度だけはつぶれそうもありませんが。願わくば、次のその時代がよりよいものであるようにするために、とりあえずはこの内閣とこの記者クラブ・メディアの何がダメなのか、きちんと何度でも書き留めておかなければならないのです。