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November 15, 2010

この内閣は早晩つぶれる

仙谷官房長官があんなにカンカンになって怒っていた神戸海上保安部の保安官による尖閣沖・中国漁船衝突ビデオ流出で、警視庁捜査一課と東京地検はこの保安官を逮捕しないまま任意で捜査を続けるようです。捜査を続けると言っても、はたして起訴するのかどうか自体わかりません。書類送検くらいはしなくちゃならんでしょうがね。

これはじつに興味深い推移です。政府が率先して「大問題」にしてきた一件では、ふつう容疑者は何がなんでも逮捕されてきたもんです。指揮権発動などという大げさなものではなく、その意を汲んだ捜査当局がその方向でよしなに動き出すのです。逮捕要件というのは法的には証拠隠滅や逃亡の恐れがあることですが、そんなことはお構いなしに逮捕して密室でぎりぎり取り調べるのが一般的。特にメディアが大きく扱うような話題性のあるものはそうしてきました。芸能人とか有名人の逮捕とか、ときに証拠は出そろっているし逃亡の恐れなんか全然ないようなときだって捜査当局は彼らを簡単に逮捕・勾留してきたわけです。なのに今回に限ってこんな「大問題」でも逮捕しない。これはいったいどうしたことでしょう?

この保安官の場合、国家公務員法の守秘義務違反というのがとりあえずの容疑なのですが、限定的ながら国会議員に見せたビデオはすでに秘密に当たらないとか、海保内部で広く閲覧入手できたことも秘密性を薄めるとか、そういう「逮捕できない」技術的かつ論理上の理由が論議されています。でもそんなことも本当は関係ありません。だってこれまでは逮捕すると決めたらこないだの厚労省の村木局長冤罪逮捕のようにそれから犯罪事実を作り上げるという倒錯的な手法だって取ってきたわけですし。

これでは、秘密保護法の制定まで持ち出した仙谷長官も振り上げた拳の下ろしようがない。面目丸つぶれ──そう、つまりそういうことなのです。

この仙菅内閣で、政府当局者=役人たちが次々と“反乱”を起こしているのです。この尖閣問題に限っても那覇地検が船長釈放を意趣返しのように政治判断だとわざわざ会見で明かしたのはなぜだったのでしょう。この海保保安官だって、「政治的主張ではない」と言っていますが、ビデオを公開しない政府にこのままでは永遠に闇に葬り去られてしまうと危惧したからだとも言っています。これは政府に対する反抗です。

そこに来て今度は捜査当局が彼を逮捕しない。それは何かというと、捜査当局がこの内閣のメンツを立てる必要はないと判断したということです。内閣支持率が30%を切ったそんな国民感情に反してまでこの内閣と心中したくない、する価値はない、という判断です。それはつまり、この内閣は早晩つぶれるという判断に他なりません。

事業仕分けで廃止と決められても無視して名目替えの予算を要求するような官僚たちのしたたかさに、枝野幹事長代理は「与党がこんなに忙しいものとは知らなかった」「政治主導なんてウカツに言ったら大変なことになった」と漏らしたそうです。確かに官僚もひどいが、そこに来て政治家がこれではまともな国家運営など望むべくもありません。この論理だとウカツだったのはあのマニフェスト全部ということになるのですから──だって八ツ場ダムは建設中止発言を撤回し、高速道路無料化も子供手当満額達成もあやふや。議員定数削減はウソだし企業献金は禁止どころか復活示唆。普天間は五里霧中で日米地位協定の改定などどんどん声が小さくなる。

そうして先日のAPECでは、菅総理は胡錦濤に対して相手の目ではなく自分のメモを見て抗議するという腰抜けぶり。おまけにメドベージェフには「北方領土上陸がなぜいけないのか」と逆ギレ質問される始末。これに菅が毅然と応え得たのかも明らかでなく、この返答もきっと国家機密なのでしょう。かつてのソ連で、ブレジネフをバカだと言ったら逮捕され、罪状が国家機密漏洩罪だった、というジョークが流行っていたのを思い出させます。

そう、ビデオ流出問題の本質は、あんなビデオを思わせぶりに国民に秘密にしていた仙菅内閣の支離滅裂さの露呈です。判断能力への疑義なのです。

あれは実は国家機密の漏洩などというものではありません。捜査資料の漏洩ですらない。だって船長は釈放され、今後、裁判になんかなるわけがないのですから捜査資料としての秘匿性は事実上必要ないのです。日本国としては、かろうじてこれを秘密にすることで中国側との外交交渉のカードにしようということはあり得たでしょう。しかしそんな素振りすらなかった。

ではなんで問題となっているのか? それはあのビデオの公開が、たんに仙菅内閣に都合が悪かったというだけの話です。公開によって国益なんぞ損なわれていません。損なわれたのは内閣のメンツだけです。「最初から公開していればこんなことにならなかった」というのは、つまりそういうことです。秘密だと言うから、それが公開されたらメンツが立たなかった。秘密だとしてなければ、そもそも問題なんぞなかったのです。

それなのにまだそんな政府の無能さを擁護するかのように大メディアは情報管理の徹底を訴えたりしています。「管理」の名目で権力によって隠される「情報」を、「事実」として広く主権者たる国民に提供して国民自身の判断を仰ぐ、というのが自分たちの使命なのに、これではまるで権力側に立つ御用ジャーナリズムです。wikileaks で先日来、アフガン戦争関連の国防機密文書9万2000点、イラク戦争40万点が公開されましたが、欧米のメディアは犯人探しや国家機密情報管理の危うさなんぞにはほとんど関心を示しませんでしたよ。むしろその情報内容の重大さをこそ掘り下げていた。

日本のメディアもいま報道するなら海保保安官の個人的な情報なんかではなく、警視庁公安部外事3課の国際テロに関する資料の流出問題でしょう。流出は流出でも、これはわけが違います。そっちのほうが百倍も千倍も重大・危険です。いったい何をのんきに構えているのでしょうか。

この内閣も、この国の記者クラブ・メディアも、確かにもう長くはないでしょう。捜査当局が見限ったということは、他の省庁も見限るということですから。ますます官僚たちは働かなくなります。

不幸なことですが、そういうのは早くつぶれないと次の時代はやってきません。官僚制度だけはつぶれそうもありませんが。願わくば、次のその時代がよりよいものであるようにするために、とりあえずはこの内閣とこの記者クラブ・メディアの何がダメなのか、きちんと何度でも書き留めておかなければならないのです。

November 04, 2010

田中ロウマ SHELTER ME

田中ロウマ、米国で頻発する十代のゲイの自殺、その予防呼びかけキャンペーン「It Gets Better」に寄せたPVっすよ。日本でも同じ状況はあるわけで、何で日本人アーティストが作ってはいけない理由があろうか、というわけでしょう。素人っぽいモデルの2人、急ごしらえ的な作りですが、逆にそれがリアリティを持ってるようでわたしにはとても微笑ましいかった。この2人、これに出ること自体、大変な勇気がいたと思います。まだまだそういう社会なのですから。

最後の最後にメッセージが出ます。
そう、必ずこれからよくなるから。
このPVを作った田中ロウマをわたしは誇りに思います。

この自殺問題、時間のあるときにまとめておきたいのですが。ああ、怠惰な自分。



shelter me
 シェルターになって
by ROMA Tanaka 田中ロウマ (訳詞はわたしのです。非公認ですけどw)



its raining out side 外では雨が降っている

can I come in just for a little while ちょっとだけ入っていいかな

inside me, there's a past I can't let go ぼくの中、忘れられない過去があって

and now consumes my soul

 それがぼくの魂を食い尽くす

you are everything I have always been waiting for きみはぼくがずっと待っていたもののすべて

and someone who'll tear down these walls この壁を壊してくれるだれか

will you show me how to love

 どうやって愛したらいいか教えてください

shelter me, comfort me
 シェルターになって 慰めて
all my scars have shown and I am here 傷をみんなさらけ出して ぼくはここにいる

ready to love 愛することを待ちながら

shelter me comfort my heart シェルターになって この心を慰めて

it's yearning for you and only you きみを きみだけを思ってるんだ

and this life I am ready to share
 この人生を 分かち合うのを待っている
through all my tears shed please be there 流れる涙すべてを越えて おねがい ここにいて



patiently you waited じっと長いこときみは

for the perfect moment to come steal my heart ぼくの心を奪いに来る最高の瞬間を待ってたんだね

like sun warms the spring air, your words, your touch
 ちょうど太陽が春の大気を暖めるように きみの言葉が、きみの指が
you fill me to the core

 きみがぼくを芯まで満たす

you are everything I have always been waiting for きみはぼくがずっと待っていたもののすべて

and someone who will stand with me ぼくの味方になってくれるだれか

never leave me with doubt ぼくを悩ませないだれか

shelter me, comfort me
 シェルターになって 慰めて
all my scars have shown and I am here 傷はみんなさらけ出して ぼくはここにいる

ready to love 愛することを待ちながら

shelter me comfort my heart シェルターになって この心を慰めて

it's yearning for you and only you きみを きみだけを思ってるんだ

and this life I am ready to share
 この人生を 分かち合うのを待っている
through all my tears shed please be there 流れる涙すべてを越えて おねがい ここにいて

I'm still healing ぼくの傷はまだ癒えてなくて

people telling me it's not the way to live そういう生き方はダメだよって言われるけれど

but we're not so different
 ぼくらそんなに違ってるわけじゃない
breaking down to the same sad love songs 同じ悲しいラブソングに泣いたりするし

they tell me I'm not broken ぼくはまだだいじょうぶだって言われる

I'm not broken まだだいじょうぶ

I'm here holding on to you だってここできみを掴んでいられるから



you are everything I have always been waiting for
 きみはぼくが待っていたもののすべて
and someone who'll tear down these walls
 この壁を壊してくれるだれか
so I'm asking you to だからお願い



shelter me, comfort me シェルターになって 慰めて

all my scars have shown and I am here 傷はみんなさらけ出して ぼくはここにいる

ready to love 愛することを待ちながら

shelter me comfort my heart シェルターになって この心を慰めて

it's yearning for you and only you きみを きみだけを思ってるんだ

and this life I am ready to share
 この人生を 分かち合うのを待っている
through all my tears shed please be there 流れる涙すべてを越えて おねがい ここにいて



I'll shelter you comfort you
 きみのシェルターになる きみを慰める
all your scars have shown and you are here
 きみの傷もみんな見たし きみはここにいる
and I'm ready to love きみを愛する準備はできてるんだ


I'll shelter you comfort your heart きみのシェルターになる きみを慰める

it's yearning for me and only me ぼくを ぼくだけを思ってくれてる

and our lives we are ready to share
 ぼくらの人生を 分かち合う準備はできている
through all our tears shed we'll still be there... すべての流れる涙を越えて ぼくらはずっとここにいる

November 03, 2010

自由と平等との衝突

米中間選挙はいままだ開票が続いていますが、下院は共和党が56議席ほどを上積みするという歴史的大勝を遂げました。上院は民主党がかろうじて多数派を維持するようですが、象徴的なのはこれで上院に黒人議員が1人もいなくなるということです。黒人の3候補がいずれも敗北、残る1人の黒人議員も引退するからです。

2年前のオバマ選挙のあの熱気はどこに行ったのか、というと、オバマを支持していた学生たちはいま就職できなくて選挙ボランティアどころではないわけで、先日のワシントンDCでのRestore the Sanity(正気を取り戻そう)キャンペーン集会でも2年前とはぜんぜん若者たちの動員率が違いました。

その2年前の熱気はあのティーパーティー運動の方に移ってしまっていたようです。いろいろ日本でも解説されているでしょうが、いまひとつ新しい視点でこの運動を見てみると、これは「平等」政策に対する「自由」派の反対運動でした。日本人の私たちには「自由」と「平等」とが対立する概念なのだということはなかなかわかりにくいのですが、今回の選挙戦で台風の目となったティーパーティー運動は一言で言うとすべての権力からの「自由」を標榜して運動を全米に広め、そして一定の勝利を収めたのです。

「自由」というと日本ではなんだかお題目的で、雰囲気だけはなんとなく革新のモットーみたいですがアメリカではちょっと違います。これはもっと実践的かつ具体的に、連邦政府によるすべての口出しからの自由を指します。つまり税金からの自由、銃規制からの自由、教育カリキュラムからの自由、エリート政治からの自由、エスタブリッシュメント(既得権益層)からの自由…等々。これは同じフリーでも「シュガーフリー」などの「フリー」、「〜なしの」の「フリー」の意味です。

どうしてそんなことが起きるのかというとそれはアメリカの建国の歴史と関係しています。ヨーロッパから渡ってきたプロテスタントの白人たちは自助と自立の精神で西へ西へと進みその地を自らの手で開拓してきました。そこにはこの地は自分たちの土地だ、自分たちの町だ、自分たちの国だ、という自負があります。後からできた連邦政府などに(しかも南北戦争以来、それはそもそも北軍の政府なのです)四の五の言われたくない。そういう人たちがアメリカの中西部、南部を築いてきたのです。その伝統はいまももちろん生きています。

米国ではこういう層を右派と呼びます。日本のように国家主義や国粋主義の右翼とは違い、米国の右翼は「連邦政府(国)は黙ってろ」「おれたちの好きにさせろ」という個人主義に結びつくわけです。それはつまりさっき言った白人プロテスタントの自助精神なのですね。それが彼らの「自由」なのです。

対して「平等」とは、社会格差をなくしてなるたけ多くの人が等しく幸せになれる社会基盤を作ることを旨とします。そのためには少数者差別をなくし社会弱者の優遇措置をとったり健康保険制度を作ったり突出や特権を規制したりするなど、政府がいろいろと手を出す必要があります。つまり税金もかかる大きな政府になるわけです。これが米国の左派=リベラル派です。

政府から「自由」にやりたいティーパーティー運動は、こうしたリベラル政策を攻撃して大きくなりました。きっかけはオバマ政権による金融企業の公的資金による救済や、住宅ローン破綻者の救済でした。公的資金を入れてでもこれらを救わない限りアメリカ全部が大変なことになる、との判断から行われたのがこの政策ですが、しかもそれらの元凶はそもそもブッシュ前政権だったのですが、MSNBCのクリス・マシューズによれば「すべてはブッシュ時代に始まったのだが、アメリカ人は現在の症状しか見ない、なにが悪いのかの診断をしない」ので、いまではすっかりオバマがすべて悪いことになってしまっているわけです。

そんな中、今年1月、2月に煽動右翼のラジオホストのラッシュ・リンボーがティーパーティーの原型となるばらまき型景気刺激策への反対運動をけしかけた。さらにCNBCの経済評論家リック・サンテリも「失敗した住宅ローンを自分が代わりに払ってやろうという御仁がいったい何人いるのか?」と呼びかけました。当初はたんなる単発的なキャンペーンだったのですが、それが長引く不況の中でさまざまな形の鬱憤を吸収して拡大していきました。彼らの論理では、国民皆保険制度も公的資金による救済もすべて社会主義的な悪しき平等だということになりました。そういう論理が言葉となって人口に膾炙し始めたわけです。

かくしてオバマはティーパーティー運動のプラカードでは社会主義者(アメリカではこの言葉は極悪人と同義なのです)になり、ヒトラーに模され(ヒトラーも国家社会主義者でした)、バットマンのジョーカー(ヒース・レッジャー版)の化粧を施されました。

従来も、こうした右派を吸収してきたのは共和党です。ところがティーパーティー運動は前のブッシュ政権を支えた宗教右派=福音派ともやや違います。今回のティーパーティーの選挙戦に教会は介在せず、自然発生的に個人が運動に参加した。だからなかなか実体のつかめない集団として、「〜派」というより「運動」という流動的な名称で呼ぶのでしょう。

これまでは共和党も民主党も小さい政府と大きい政府というおおざっぱな目標の違いこそあれそれぞれに現実的な妥協点を見つけてきました。しかし現在の景気の沈滞と失業率の高さはどんどんと社会への不満を募らせた。そんな状況では誰が大統領をやっても合格点は難しいのは当然なのですが、オバマ政治は、変革への期待が高かった分だけ余計に拙速に見えたのです。それは支持層の若者や社会的少数者たちからさえ改革の後退、妥協に映り、だから投票者すら2年で急速に減らしてしまった。それが今回の中間選挙の結果です。

さてティーパーティー運動はこれからの米国政治を左右するのでしょうか? 同運動でかなり目立ったサラ・ペイリンがまた2年後の大統領選挙に出てくるのでしょうか? オバマの再選は危うくなるのでしょうか?

ティーパーティー運動が今後、共和党の本流になるのかは微妙です。が、今回の結果は、直截の民意の現れとしてややもするとあの健康保険制度の見直しにつながるかもしれません。同時に、彼らが槍玉に上げていた中国の“不当な人民元レート”の切り上げを迫る強硬論が急激に台頭してくるはずです。でもその後でどうなるか? じつはティーパーティー運動は直近の怒りだけで動いてきたのであって、「その後」が用意されていないのです。外交政策だってなにもわかっていない。アラスカからロシアが見えると言ったサラ・ペイリンに象徴されるように、外国のことなど知らない、じつに内向きな運動なのです。

ただし、不気味さは残ります。なぜなら同運動を支える「白人プロテスタントの自助精神」の極端な形は、じつは白人至上主義やミリシア(極右武装集団)、さらにキリスト教原理主義に通底しているからです。大げさに言えば95年にオクラホマ連邦庁舎ビル爆破事件を起こしたティモシー・マクベイにも連なる。

「自由」とはこの場合、人種差別の自由や天地創造の聖書教育の自由でもあります。誰もはっきり言いませんが、それは黒人のリベラルな知的エリートであるオバマ大統領の誕生に触発された、伝統的な非・知的白人層の反動運動でもあるのです。あの2年前の白人中間層の屈辱が、米国の主人公であったはずの白人男性のなんとはなしの胸クソ悪さが、ティーパーティーの名を借りて形を表してきた、ということでもあるのです。冒頭で、上院で黒人議員が1人もいなくなるという事実が象徴的だと言ったのも、そのせいです。中間選挙では史上最高額となった計40億ドルもの選挙資金で、右翼・反オバマ派は親オバマ派の2倍ものおカネを投入していたのです。ティーパーティー運動を草の根保守運動と呼ぶ向きもありますが、いったいそんなカネ、「草の根」から出てくるようなものでしょうか? この金額は、いかにオバマへの拒否反応が渦巻いているかを示しているのです。そしてそれを支える者たちがどこにいるのかをも。

これでも2年後のオバマ再選はあるのか? それはまだだれにもわかりません。現時点では、なにも決まっていないのです。オバマのこれからの政策もまた。日本の菅政権の混迷は惨憺たるものですが、オバマ政権がどういう手を打てるのか、下手をすると一国の惨憺だけでは済まないのがアメリカの大統領職の恐ろしいところです。