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December 31, 2010

不思議な街

私が台本を翻訳したブロードウェイ・ミュージカルの東京公演が12月にあり、それを見るために一時帰国していたのですが、一通り用事を済ませて帰米する前夜に入った四谷・荒木町のお鮨屋さんで、隣に座ったのが鈴木大介さんというクラシック・ギタリストでした。なにやら鈴木さんも明日にニューヨークに飛ぶとか話してらして私もそうなんですと告げると、じつはカーネギーホールのザンケルホールで武満徹の生誕80年記念のコンサートを行う予定なのだとおっしゃる。私も武満は大好きな作曲家なので酒の席もあって話が弾み、鈴木さんがなんと私を招待してくれる運びになったのでした。

さてコンサートは帰米後2日目の夜でした。酷寒のニューヨーク、カーネギーの中ホールであるザンケルホールはほぼ満員でした。大ホールでは例の小澤征爾の復帰コンサートが中日の休みを迎えていた日です。「日本週間」の趣きの中、鈴木さんとクアルテットを組むのはジャズギターの渡辺香津美、アコーディオンのcoba、パーカッションのヤヒロトモヒロの面々。錚々たるもんでしょ。

武満は96年に亡くなりましたが、世界に誇る現代音楽の作曲家です。私は大江のエッセーで彼のことを知りました。高校か大学のころです。で、最初に聴いたのが「エクリプス」。たしかNHKで見たのです。ジャズしか聞いていなかったそのころの私に、それはなによりも先進的で衝撃的でした。エクリプスという言葉の意味も、そのときに辞書を引いて知って、それ以後、忘れられない単語になった。ディカプリオにもそんな映画があって、しかもベルレーヌとランボーですから、なんか、武満から運命的に教わった気さえしたほどです。

さて彼を難解だと敬遠する向きもありますが、ザンケルのこの日は「伊豆の踊り子」や「どですかでん」「他人の顔」などのわかりやすい映画音楽をおおいにアレンジしてたいへんに熱く鋭い演奏会となりました。

鈴木さんもクラシック・ギタリストとは思えぬノリようで、ストロークの音の切れること切れること。それまでテレビでしか知らなかった金髪のアコーディオニストのcobaさんは、テレビから受けた印象とは大違いで鬼気迫る見事な詠いようでした。私もまさかカーネギーで体を揺すり足を鳴らして音楽を聴くことになろうとは思ってもいませんでした。

予定の曲がすべて終了した後はアンコールですが、アメリカ人のクラシックファンをナメていたのか(笑)1曲しか用意していなかったようです。もちろん総立ちの観客はそれが終っても拍手を続けて帰ろうとはしません。その熱い反応に4人はものすごくうれしそうでした。

終演後の楽屋にもお邪魔すると、武満と親交のあった詩人の谷川俊太郎さんもいらしてました。帰宅後、谷川さんのツィッターを覗くと「カーネギーホールで(略)息の合った武満徹を聴いてホテルに戻ったところ、聴衆総立ち拍手鳴り止まず、武満に聴かせたかった。NYは零下、露出している顔が冷たいけど気持ちは元気です。 俊」と呟いていらっしゃいました。

ここは不思議な街です。
「ニューヨーク」という魔法の言葉が、日本の鮨屋でも私と鈴木さんを結びつけてくれました。このコンサートはあまり新聞に載りませんでしたが、私には2010年に出逢ったものの中でベスト3に入る名演奏でした。きっと、生涯でもトップ10に入るはずです。

December 14, 2010

「表現の自由って言われてもねえ……」を考える

過激な性描写のある漫画やアニメを18歳未満に販売するのを規制する石原都政の「青少年健全育成条例改正案」が可決の見通しとなりました。規制されるのは「刑罰法規に触れる性行為や近親相姦などを不当に賛美・誇張」して描写した漫画やアニメだそうです。

この条例に対して反対意見が渦巻く理由が一見よくわかりません。「表現の自由」と言いますが、子供に違法なポルノまがいを売る自由なんてないはずですし……じゃあ、どうして問題なのでしょう?

一般の人にとって、表現の自由ってのは常日ごろ自分を思う存分表現できている自由人たちの特権だと思われているようです。そんなもの一般人には無縁だしまして不健全なポルノを表現の自由を盾に擁護しようと言うのはまったくもって理解できない──そういう思いがこの条例に反対しない、つまりは問題なしと見なす背景なのでしょう。

それは置いておいて、ところで自分や自分の仲間たちのことを思い出すと、十代のころ、ぼくらはどんなに規制されていても「過激な性描写があるもの」を必ず探し出してきました(笑)。その中にはヒエーッてもんもゲロゲロッてもんもありました。どんなに規制したってそれは無駄でした。でどうなったか? そのうちに飽きてきたか、1日のうちの、重要だけれどある一部に成り下がった(あるいは成り上がった?)。

そうやってくだらんもんは淘汰されてきたのです。臭いものに蓋をして、ないかのごとく振る舞われていたらもっと鬱々と延命していたでしょうが、むしろ青年期のすべての葛藤は良きにつけ悪しきにつけそうした性衝動から生まれるものだと開き直った方がずっと「健全」でした。

くだらんものを淘汰する唯一の方法は、じつはくだらんものを排除することではなかったのです。よりくだらなくないもの、そんなものよりもっとかっこいいもの、すごいもの、面白いものがあると気づくことでした。それによってのみわたしの青少年はその澱みを振り返ることができたのです。

この改正案が無駄どころか有害なのは、くだらんものに対峙させるべき素晴らしいものを青少年たちに提示するという最も重要な発想を阻害し、くだらんものもない代わりにくだるものもない社会しか青少年たちに与えられないからです。

聞いてみるといいでしょう、賛成派のPTAとか政治家たちに、あなたはどれだけ人を感動させる物語を知っているのかと。どうせ陳腐な小話や交通標語みたいな常套句しか返ってこないはずです。そこにはボードレールもランボーもロートレアモンもいない。

ここに至って初めて「表現の自由」の重要さが見えてきます。くだらんものがあって初めてくだるものがある。くだらんものを表現できる社会にのみ、それに見合うくだるものが対抗的に存在しうるのです。あるいはそこでは、くだらんもの自体もくだるものに変容しうるのです。それこそが人生の核心なのです。

そういう逆説を理解できない凡庸な知能が、なんとも愚かしく目先の規制に走ってすべての青少年の遥かな可能性を殺すのです。

いや、この改正案が成立しても有能な表現者たちは書き続けるでしょう。そうした「特権」的な才能は大丈夫。しかし問題は、まだ特権的ではない才能たちが、この条例で自粛し、あるいは自粛する表現メディアの検閲によって多く斃れるかもしれないことです。表現の自由が、かくして既成の、特権的な才能に限られることになることが問題なのです。

いみじくも石原は言いました。「連中が果たして芸術家かどうかは知らないけど、そんなことで描きたいものが描けなくなるなら作家じゃないよ」。つまり彼は、彼のような特権的な人間のみが表現の自由を享受できるのだと言っているのです。これが石原という権力装置とこの条例の正体です。それは、ひいては一般人という民主制度の基幹構成概念が、言葉を持たずともよいというファシズムなのです。