不思議な街
私が台本を翻訳したブロードウェイ・ミュージカルの東京公演が12月にあり、それを見るために一時帰国していたのですが、一通り用事を済ませて帰米する前夜に入った四谷・荒木町のお鮨屋さんで、隣に座ったのが鈴木大介さんというクラシック・ギタリストでした。なにやら鈴木さんも明日にニューヨークに飛ぶとか話してらして私もそうなんですと告げると、じつはカーネギーホールのザンケルホールで武満徹の生誕80年記念のコンサートを行う予定なのだとおっしゃる。私も武満は大好きな作曲家なので酒の席もあって話が弾み、鈴木さんがなんと私を招待してくれる運びになったのでした。
さてコンサートは帰米後2日目の夜でした。酷寒のニューヨーク、カーネギーの中ホールであるザンケルホールはほぼ満員でした。大ホールでは例の小澤征爾の復帰コンサートが中日の休みを迎えていた日です。「日本週間」の趣きの中、鈴木さんとクアルテットを組むのはジャズギターの渡辺香津美、アコーディオンのcoba、パーカッションのヤヒロトモヒロの面々。錚々たるもんでしょ。
武満は96年に亡くなりましたが、世界に誇る現代音楽の作曲家です。私は大江のエッセーで彼のことを知りました。高校か大学のころです。で、最初に聴いたのが「エクリプス」。たしかNHKで見たのです。ジャズしか聞いていなかったそのころの私に、それはなによりも先進的で衝撃的でした。エクリプスという言葉の意味も、そのときに辞書を引いて知って、それ以後、忘れられない単語になった。ディカプリオにもそんな映画があって、しかもベルレーヌとランボーですから、なんか、武満から運命的に教わった気さえしたほどです。
さて彼を難解だと敬遠する向きもありますが、ザンケルのこの日は「伊豆の踊り子」や「どですかでん」「他人の顔」などのわかりやすい映画音楽をおおいにアレンジしてたいへんに熱く鋭い演奏会となりました。
鈴木さんもクラシック・ギタリストとは思えぬノリようで、ストロークの音の切れること切れること。それまでテレビでしか知らなかった金髪のアコーディオニストのcobaさんは、テレビから受けた印象とは大違いで鬼気迫る見事な詠いようでした。私もまさかカーネギーで体を揺すり足を鳴らして音楽を聴くことになろうとは思ってもいませんでした。
予定の曲がすべて終了した後はアンコールですが、アメリカ人のクラシックファンをナメていたのか(笑)1曲しか用意していなかったようです。もちろん総立ちの観客はそれが終っても拍手を続けて帰ろうとはしません。その熱い反応に4人はものすごくうれしそうでした。
終演後の楽屋にもお邪魔すると、武満と親交のあった詩人の谷川俊太郎さんもいらしてました。帰宅後、谷川さんのツィッターを覗くと「カーネギーホールで(略)息の合った武満徹を聴いてホテルに戻ったところ、聴衆総立ち拍手鳴り止まず、武満に聴かせたかった。NYは零下、露出している顔が冷たいけど気持ちは元気です。 俊」と呟いていらっしゃいました。
ここは不思議な街です。
「ニューヨーク」という魔法の言葉が、日本の鮨屋でも私と鈴木さんを結びつけてくれました。このコンサートはあまり新聞に載りませんでしたが、私には2010年に出逢ったものの中でベスト3に入る名演奏でした。きっと、生涯でもトップ10に入るはずです。