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宗教の罪

ニューヨーク州で同性婚を合法とする法律が施行された7月24日は、一方でまだ2日前に起きたばかりのノルウェーの爆破テロと銃撃テロの余波が続いていて、ニュースもおめでたい話と悲惨な事件とが交叉するめまぐるしい1日でした。

多くの報道は当初、ノルウェーの事件をイスラム過激派によるテロだと断じていました。英紙サンは一面で「アルカイダの大虐殺:ノルウェーの9・11」と見出しを打ち、ウォール・ストリート・ジャーナルも「ノルウェーは欧米の規範に忠実であったから標的にされた」として犯行を「ジハーディスト(聖戦主義者)たち」によるものと推断したのです。

でも結局イスラム教徒は関与していませんでした。関与したのはキリスト教原理主義者でした。

そうわかるとメディアは今度は一斉に「テロ」という言葉を使うのをやめ、犯人を異様な反イスラム・反移民思想を持つ「極右の国粋主義者」と説明し始めました。

このテロ事件がニューヨーク州での同性婚開始に影を落としたのは、私にはとても象徴的なことだと思えます。理由は2つ。この両者がともに「マジョリティが犯罪をなすとその罪は個人に帰属し、マイノリティが犯罪をなすとその罪は集団全体に帰属すると見なされる」という法則を想起させるからです。

ツイッターで、ノルウェー事件を次のようにつぶやいた人がいます。「イスラム教原理主義者がテロを行えば世界中のイスラム教徒がみな悪者のように糾弾される。だがキリスト教原理主義者の白人が大量に人を殺しても、他のキリスト教徒たちは誰に責められるでもなく平気なままだ」

片や欧米におけるキリスト教とイスラム教の関係、片や世界中の性的多数派と少数派の関係。

ゲイの場合はこう。たとえば猥褻行為やポルノ絡みで逮捕されたとすると「やっぱりゲイは変態だ」となるし、殺人でも犯そうものなら「やっぱりホモの連中は異常だ」となります。対して多数派である異性愛者の痴漢や殺人者はその犯罪を取り立てて性的指向と絡めて論難されることはありません。単に単独の、よくある犯罪の一例として忘れ去られるだけです。

もう1つ、同性婚のニュースではこれに反対する人たちも紹介されていました。彼らの代表者の1人は、同性婚を違法なものに戻すと宣言して「ニューヨーク州はこれから血みどろの混乱状態(Bloody Mess)になるだろう」と恫喝していました。

その反対団体はキリスト教の団体でした。この「血みどろの混乱」と、ノルウェーの銃撃犯のあの血みどろの銃撃とは、違うものなのでしょうか? あの日、同性婚開始のニュースの直後にノルウェーの犯人の背景を説明しながら、このキリスト教原理主義の2人が、じつは深くどこかでつながっているのだということを、キャスターの誰ひとりとして指摘しなかったのが私には不思議でした。

片や1500ページものマニフェストで移民とイスラム教徒への宣戦布告をした犯罪者、片やニューヨークが血みどろになると予言する団体代表。もちろん彼らの残酷はキリスト教者たちの全体に帰属するものではありません。しかし、この2人が攻撃対象とする集団全体にテロル(恐怖)を植え付けようしていることは明白です。その意味でこの2人は等しくテロリストであり、キリストの名の下に憎悪を広めている…キリストは迷惑しているのでしょうか? それとも、彼にも責任の一端はあるのでしょうか?

宗教自体の持つ先験的な罪業を考えています。

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NYにいたあきこちゃんの友人です。とても共感します。あきこちゃんから教えてもらい、このブログに来ました。また、あきこちゃんを通じて、連絡しますね。

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