« October 2011 | Main | January 2012 »

December 24, 2011

捏造された戦争のあとで

先日の野田首相の東電福島第1「冷温停止状態」宣言を聞いていて、なにかどこかで同じ気分になったことがあるなあと思ったら、ジョージ・W・ブッシュが2003年、イラク開戦50日ほどで空母リンカーンの上に降り立って行った「任務完了(Mission Accomplished)」の演説でした。これからの問題が山積しているのに任務が達成されたなんて、バカじゃないかってみんな唖然としたものです。そして彼はその後、史上最低の大統領の1人に数えられるようになりました。

ブッシュのその任務完了宣言から8年有余経った12月14日、オバマ大統領が米軍の完全撤退をやっと発表しました。クリスマスの11日前でした。

クリスマスというのは家族が集まる1年の〆の大イベントです。このタイミングでの発表は、実際にクリスマスに帰国できるかは別にしてとても象徴的なことです。その後ろにはもちろん今年11月の大統領選挙のことがあります。共和党の候補指名争いの乱戦というか混乱というか、ほんとくだらないエキセントリズムの応酬のあいだに、オバマは着々と失地を回復しているようにも見えます。失業率は若干ながら改善し、議会では給与減税法案の延長を拒んだ下院共和党に怒りの演説をしてみせて翌日には明らかに渋面の共和党の下院議長ベイナーから妥協を引き出しました。イラク撤退もオバマの成果になるでしょう。戦争の終わり方は難しい。とくにブッシュの始めた「勝利」のない戦争を終わらせることは、尚更です。

たしかに今も米兵が反政府派の攻撃にさらされているアフガニスタンに比べると、イラクはまだマシに見えます。しかし撤退後は米軍というタガがはずれて治安は悪化するでしょう。事実、12月22日には早くもバグダッドで連続爆弾テロがあり60人以上が死亡しました。政権が空中分解する恐れもまだ色濃く残っているのです。

さまざまな意味で、イラク戦争は新しい戦争でした。そもそも発端が誤った大量破壊兵器情報による「予防的先制攻撃」でした。ブッシュ政権は同時に9.11テロとイラクの関連付けも命じていました。イラク戦争はつまり捏造された戦争だったのです。

他にも、戦争の末端で多く民間の軍事請負企業が協力していることも明らかになりました。ブラックウォーターという軍事警備会社が公的な軍隊のように振る舞い、実際米軍とともに作戦を遂行していました。さらにはその途中の2007年9月17日、バグダッド市民に対する無差別17人射殺事件まで起こしたのです。ブラックウォーターはこの年、悪名をぬぐい去るかのように社名を“Xe”(ズィー)に変更、さらには今月には名称を"Academi"(アカデミー)というさらに何の変哲もないものに再変更して、すでに新たに国務省やCIAと2億5000万ドルの業務請負契約を結んでいるのです。

一方で、ウィキリークスが公開した、ロイターのカメラマンら2人を含む12人の死者を出した2007年の米軍ヘリによるイラク民間人銃撃事件は衝撃的でした。ウィキリークスには米陸軍上等兵のブラッドリー・マニングの数十万点に及ぶ米外交文書漏洩もあり、これも従来なかった戦争への異議の形でした。

マニングはいま軍法会議にかけられ、終身刑か死刑の判決を下されようとしています。米軍の検察側の言い分は「ウィキリークスに重要情報を漏洩したことでアルカイダ側がそれを知ることになった。従ってこれは敵を利する裏切り行為だ」というものです。それはすべての戦争ジャーナリズムを犯罪行為に陥れる可能性を持つ論理です。どんな隠された情報も、公開することで敵に知れるわけですから。そこに良心の内部告発者は存在しようがありません。国家が間違いを犯していると信じたとき、私たちはそれをどう止めることができるのでしょうか?

大手メディアは一様に米国側の死者が約4500人、イラク側の死者は10万人と報じていますが、英国の医療誌Lancetは実際のイラク市民の死者は60万人を超えるだろうと記しています。実際の死者数は永遠に誰にも明らかになることはないでしょうが、米国側の公式推定である10万人という数字ではないと私は思っています。

そしていま米軍が撤退しても、例の民間の軍事請負業者はだいたい16000人もまだイラクに残るそうです。戦争の民営化から、戦後処理の民営化です。こうしてイラクの管轄は米軍から米国務省(外務省に相当)に移ります。バグダッドの米国大使館は世界最大の大使館なのです。そんな中、“戦後復興”に向けてすでに多くの欧米投資銀行関係者がイラクを訪れていることを英フィナンシャル・タイムズが報道していました。将来的に金の生る木になるだろう国家再建事業と石油取引の契約に先鞭を付けたいのです。

イラクはまだ解決していません。お隣イランでは核開発疑惑でイスラエルや米軍がまた予防的に施設攻撃をするのではないかと懸念されています。そしてアジアでは金正日死亡に伴う北朝鮮の体制移譲。そのすべてが米国の大統領選挙の動向とも結びついてきます。

2012年はあまり容易ではない年になりそうです。

December 05, 2011

沖縄を「犯す」

7週間ほどどっぷり日本に浸かってきました。おかげさまで私の翻訳したブロードウェイ・ミュージカル「ロック・オブ・エイジズ」は西川貴教さん、川平慈英さんほかキャスト・バンド・スタッフのみなさんの奮闘で東京、大阪、北九州と無事に公演を終えることができました。よかったよかった。

またいろいろと美味しいものも食べてきましたが、ところで本日の話題はまた沖縄の話です。

日本にいて楽なのは、なんとなくふうわりと過ごすことができるところです。換言すればすべてを言わずとも通じるところ。逆に居心地の悪さもまた、すべてを言わないから論理が通じないところです。そしてその意味の通じなさ/おかしさを言論メディアまでもが黙過しているので、居心地の悪さはいつかイライラに嵩じてしまう。

今回もそんなことがありました。沖縄防衛局長が米軍普天間飛行場の辺野古移設に関する環境影響評価書の遅れについて「(女性を)犯す前に犯すとは言わない」という比喩を使って更迭されました。そのことに関するメディアの論調がどうも表面的で片手落ちだったのです(ちなみに、「片手落ち」は片手のない人への揶揄とは関係ない語源を持つ言葉ですからね)。

確かに「犯す前に犯すとは言わない」とは、こりゃ非道い言い方です。女性の人権無視も甚だしい。野田さんも「女性や沖縄の方々を傷つけ不愉快な思いをさせ申し訳ない」と謝罪しましたから、更迭の理由はその表現方法なんでしょう。

でも、それはとてもおかしな理由付けです。

環境アセスは、これが出たら一応下調べも済んだということで次に工事へと進みます。つまり「工事」を「やる」という宣言にもなります。防衛局長はこの「工事」を「犯る」と言い換えた。問題の核心はここです。

つまり辺野古移設は沖縄を「犯す」=蹂躙する行為だと彼は(図らずも?)示唆した。それは沖縄県民の過半数が思っていることでもあります。だから辺野古移設も反対だし、米軍基地という「犯す」主体が丸ごといなくなってほしいとも願っています。

もしこれが当の沖縄県民の発言だったら、自虐的ではあるがそれ以外に表現しようのない事として問題にはならなかったでしょう。それは発言者の「当事者性」というものです。

ならば防衛局長は沖縄県民の代弁者として「本当の事」を言ったのか? 本当の事だが政府は違う立場に立っている。発言はそれに反する。だから更迭したのだ──この場合は沖縄の代弁者たるこの局長の更迭に、沖縄県民は怒って然るべき、という見方も出てきます。

一方で、逆にこの沖縄防衛局長の人柄がとんでもないという場合もありましょう。本当に女性蔑視の男性至上主義者なのかもしれません。同じような発言の前歴もあるイヤな奴で、だから報道メディアもオフレコ発言とはいえ横紙破りを承知の上で今回ついに問題にしたのかもしれない。

それを指摘しつつ、では実際にこのオフレコ発言を最初に記事にした琉球新報の編集局長談話を見てみましょう。彼は掲載理由をこう記します。「人権感覚を著しく欠く発言であり、今の政府の沖縄に対する施策の在り方を象徴する内容でもある」。なるほど、私が前段で指摘したような、あまり踏み込んだ見方も説明もしていません。新聞メディアとしてはまあそこまで触れる必要もないでしょうし。しかし明らかに、局長はここで問題は2つあると併記しています。「人権感覚を著しく欠く発言」とそれに象徴される「今の政府の沖縄に対する施策の在り方」。

そう、2つです。でも、政府謝罪にはその後者がすっぽりと抜け落ちている。「女性や沖縄の方々を傷つけ不愉快な思いをさせ」たという野田さんの謝罪は前者に対するものだけであり、むしろより重く本質的な後者=沖縄施策の非人間性、から視線を逸らさせる詭弁なのです。政府はまさに、また黙って気づかれないように沖縄を「犯そう」としているのです。

そういえば以前も同じようなことがありましたね。「福島=死の町」発言。これも「福島の人に不快感を与えた」から辞任。以前にもこのブログで指摘しましたが、問題の核心は福島が実際に死の町であるという事実です。言葉尻の問題ではない。

自民党時代も民主党政権になってからも、政治家と官僚がこういう表面的な言い換えで問題の本質をごまかすのは変わっていません。次は4年間上げないと言っていた消費税の引き上げを、どういう理由でごまかすのかを見ているとよいでしょう。