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January 26, 2012

共和党の4人──米大統領選挙基礎講座、みたいなもん

アメリカではここ連日、共和党の大統領候補指名争いの模様がニュースになっています。しかしいったい誰が本命なのか、いずれの候補も今ひとつ決め手に欠いて、アメリカにいてもよくわからないから日本では尚更でしょう。

米大統領選挙というのは基本的に2大政党である共和党と民主党の間で争われます。かつてのロス・ペローのように第3の政党候補が注目されることもありますが今回はその動きはありません。いまは現職の民主党オバマ大統領に対抗する候補を、誰に一本化しようか共和党が決めている段階です。これが予備選挙と呼ばれ、夏までに正式決定しますが、普通はもっと前の3月、つまり再来月ですね、多くの州で一度に予備選が行われるスーパー・チューズデイと呼ばれる決戦の火曜日(今回は3月6日)で大勢が決まると言われています。でも、今回はどうなんでしょうね。

というのも、いま注目されている4人の共和党候補は共和党の支持層を層ごとに縦割りしているような人たちばかりで、党全体をまとめるような突出した大物がいないのです。

共和党はオバマさんの民主党に比べて保守派です。アメリカの保守派というのは宗教における保守派と、政治における保守派の2つがあります。その2つともアメリカの建国の歴史に深く関わっています。

アメリカはキリスト教徒が作った国です。それも本国イギリスのキリスト教が堕落したと言って飛び出してきた厳格なプロテスタントたち、清教徒(ピューリタン)と呼ばれる人たちです。

この人たちにとって、人生は聖書が拠り所です。新大陸に渡り、西へ西へと開拓が始まったときも移住したその土地に作ったものはまずは教会でした。そこが公民館であり娯楽場であり学校であり政治の場でもあったのです。

こんな人たちを支持層にしているのがリック・サントラム候補です。この人は妊娠している女性が中絶するのはどんな理由があってもダメ、ましてや同性結婚などもってのほか、というキリスト教原理主義者です。宗教に対する考え方が違う日本人から見ると、なんだかものすごく頭がおかしくさえ見えます。

もう1つ、アメリカはそんな人たちが自分たちで作った国です。便宜上、議会や政府や裁判所なんかを作っていますが、それはあくまで調整役であって、この国の主人公は自分たちだという自負を持っています。そこでは自助努力こそがモットーであり、政府は余計なことはしなくてよい。そこから生まれるのが「小さな政府論」。この極端な形を標榜しているのがロン・ポール候補です。彼は徹底して「他人のことに口を挟むな」主義。福祉政策など不要、さらには外国に戦争に行ったりするなんてことも無駄なお世話だと言い切ります。

さて、その中間でキョロキョロしているのが穏健派と称されるミット・ロムニー候補です。前者2人に比べて、この人は「極端ではない」ということで支持と選挙資金を集めています。マサチューセッツ州知事で投資会社の経営者でもありましたから失業に悩む米国社会の経済政策も改善してくれるのではという期待もあります。共和党のもう1つの支持層であるビジネス界や富裕層からも、「落ち着きどころ」としての期待を集めている、といったところです。

ただ、その投資会社時代の大量解雇などの経営実態や、超高額所得のわりには税金を15%しか納めていないなどの金持ちぶりなども明らかになってきて、逆風も吹いています。州知事時代に彼が作った健康保険制度もまるでオバマの医療保険と同じで社会主義的だと攻められてもいます。おまけに彼のマサチューセッツ州というのは同性婚を認めた全米で最初の州だったのです。これも共和党らしからぬ、と不評。そこを突かれると言を左右するというか、いまは反対だと言ったりしてしどろもどろになったりするのです。

共和党の支持層の最後は、とにかく民主党が嫌いという勇ましい人たちです。この人たちの受け皿が1999年に政界を引退したはずのニュート・ギングリッチ候補です。この人は若い頃から連邦下院で鳴らした政治家で、クリントン政権時代は舌鋒鋭い野党の論客でした。というかケンカ口調が上手いんです。そう、宗教的、政治的保守派と続いて、最後はとどのつまりジェンダー的保守派、男性主義のショービニストなのですね。マイノリティに優しい民主党は、男らしくないと毛嫌いする人たち。

この人、がんで入院中の最初の奥さんを「大統領夫人になるには若さと美しさに欠ける」と言って離婚しちゃって不倫相手だった若い女性と結婚しちゃった人です。さらにはその奥さんのときにも不倫をしていてまた離婚、その10日後にまたその不倫相手と結婚した。それが現夫人です。まあ、この人を支持する人たちはそんなことはあまり気にしない人たちばかりですが、アメリカには西部劇時代から続くこういう保守的男性主義がいまもかっこいいと思っている人たちがけっこういるということでしょう。

頭の変な宗教右翼、頑固一徹の小さな政府論者、中途半端な穏健派、そして凶暴な男性主義者──この4人がいま、互いのアラをつついてとにかく指名争いでトップに立とうとしている。まあ、おそらく資金的な面からも今後はロムニーとギングリッチの2人へと絞られてゆくでしょうが、いまのところ、それが次の大統領を狙う共和党の現状です。

January 10, 2012

新年に考えること

子供のころはおとなになったらわかると言われつづけてきましたが、おとなになってわかったことは、おとなになってもいろんな答えがわかるわけではないということでした。にもかかわらず、疑問の数は以前より確実に多くなっているような気さえします。

昨年末からずっと考えているのは民主主義のことです。アラブの春も、99%の占拠運動のアメリカの秋も、根は民主主義に関わることです。でもそこに1つ大きな誤解があります。それは、民主主義になれば自分の思っていることがきっと実現するという誤解です。

民主主義は、何かを実現するにはおそらく最も非効率的な制度だと思います。なぜなら、民主主義とは、何かをやるためではなく、何かをやらせないための制度だからです。

それは「牽制」の政体です。「抑制」の政体と言ってもいい。様々な歴史がある個人や集団の暴走で傷ついてきました。そのうちに傷つけられてきた「みんな」こそが歴史の主役なのだという考え方が広がってきました。そこでそのみんなで、付託した「権力」の独善や独断や独裁や独走を許さない仕組みを作っていった。それが民主制度でした。

ところが民主制度になると、何かを実行するにもいちいち特定の集団の利益や不利益に結びつかないかとかみんな(=議会)で検証しなくてはなりません。ものすごく面倒くさいし時間もかってまどろっこしいことこの上ない。
 
「アラブの春」で指導者を放逐した「みんな」は、これから民主的な政体ができると期待しているのでしょうが、心配はなにせそういうシチ面倒くさい仕組みですから、直ちに現れない変化に業を煮やしてまたぞろ過激な原理主義思想が台頭してくることです。

アラブに限ったことではありません。イギリスやイタリアでの若者たちの暴動も、ウォール街占拠運動も、世界はいま、急激に変質する経済や社会の動きに対応し切れていないこの民主制度の回りくどさに、辟易し始めているのではないか?

冒頭に、疑問は多くなる一方なのに答えはわからないままだと書きました。世の中は情報や物流や金融が世界規模でつながることでとても複雑になってきています。ギリシャの債務が日本のどこか片田舎の農家の借金に関係してくる。いままで「風が吹けば桶屋が儲かる」噺を笑い話にしていましたが、いまやそれは冗談ではなくなっているのです。なのにその論理の飛躍をより緻密な論理で埋めつつ理解する能力を、人間はいまだ持ち得ていない。これからだって持てる理由もありません。それは私たちの処理能力を越えているようにさえ思えます。

そんなときに「風」と「桶屋」との間を快刀乱麻で切り捨てる人物が魅力的に見えてきます。先の大阪市長選挙での橋下徹市長の誕生は、きっとそうした「みんな」のもどかしさを背景にしています。暴れん坊将軍や水戸黄門といっしょです。しち面倒くさい手間を省いて1時間で悪者を退治してくれるのです。そして「みんな」は、世直しなんぞにあまり努力する必要もなく楽に暮らせるわけです。

めでたしめでたし? いえ、この話はところがここでは終わりません。なぜなら、フセインもカダフィもムバラクもサーレハもみな当初は暴れん坊将軍や黄門様と同じくみんなの英雄として登場してきたからです。しかし権力は堕落する。絶対的な権力は絶対的に堕落します。独占的な権力は独占的に堕落し、阿呆な権力は阿呆なくらいに堕落する。そうして「切り捨てられる」余計として、また「みんな」が虐げられるのです。

民主主義の中から登場したものたちが、その民主主義を切り捨てるような手法でしか政治を断行できないと判断するようになる。それは自己否定であり自己矛盾です。これは民主主義の、いったいどういう皮肉でしょうか? その答えを、私はずっと考えています。