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メディア化する会社

こちらで「LAW&ORDER」や「CSI」などのテレビドラマを見ていると本当にのめり込んでしまって仕事がはかどりません。日本でなぜこういう優れた番組が作れないのか役者の友人に聞いたら、日本では資金を管理するプロデューサーがほとんどそのテレビ局の人で、ドラマの制作現場におカネがあまり落ちてこないからじゃないかと言っていました。

おカネがないから優秀な才能が集まらない。だから出来上がったものがつまらない。それはテレビに限らずどこの業界でも同じ理屈に思えます。もちろんおカネがなくとも頭角を現す才能はいつの時代にも存在します。しかしどうしておカネがないのか?

「みんなテレビ局の社員の給料になっちゃってるからじゃないの?」と友人が続けます。「いまでこそ社内監査が厳しいけど、それでもプロデューサーって給料の他に接待だ何だってぼくらから見たら夢みたいなおカネを使えてる。ぼくらもそれにお相伴させてもらってるんだけどね」

日本の中央の、いわゆる大手マスコミ社員というのはかなりの給料をもらいます。テレビ局に限らず大手の出版社、広告会社の社員も30代で年収1千万円以上も珍しくありません。

対して米国のメディアでそんな給料をもらえている人はあまりいません。もちろん名前を出して仕事をするワン&オンリーの人たちは日本とは比べ物にならない報酬を得ていますが、テレビ局や出版社の社員はあくまでメディア=仲介役に徹して薄給で働いています。「オレはマスコミだ」と肩で風など切れません。

それでたとえば作家は本の売上の25%とか30%の印税をもらえます。アマゾンで電子書籍を売れば65%前後が手許に入ってきます。でも日本は単行本で10%。文庫本だと5%前後しか払ってもらえません。日本の電子書籍はフォーマットとおカネの取り分で揉めていてまださっぱり形になっていません。かくして出版社の社員の方が作家先生たちよりもずっとお金持ちという倒錯した現象が起きている。

テレビや演劇や音楽の世界も同じでしょう。アメリカではコンテンツとその提供者は別物です。発送電分離じゃないけれど、プロデューサーは独立していて、集めてきたおカネはメディアの社員の給料を支払うためには使われない。自ずからプロダクション内の、作家や作曲家、役者やスタッフなど作り手の現場に落ちるようになっています。もちろん下働きもものすごく多いですが、作り手は作り手として独立して産業を形作っている。メディアとは一線を画しているわけです。

ことはメディア業界だけじゃありません。世界経済の金融資本化と同じく、銀行だけでなく多くの企業もメディア化して現業やモノ作りの現場から離れていき、現場を支配しています。実際にモノを作っている外部の人々の労働を安く買い叩き、その分で浮いた利益を会社内部の人間だけの互助会・互恵会的な運営に回す仕組みを作っているのです。

会社に入った方が(楽じゃないにしても)カネになるのなら、バカらしくてモノ作りなどやってられません。「そのために苦労して大企業に入ったんです。そういう社員たちだけの特権的な互恵組織の機能を持っていても、べつにそう悪いことではないでしょう」と言う人もいるでしょう。でも組織というものは「互助機能を持つ」とよほど律していないとその互助機能こそを自己目的化してしまうものなのです。そうして閉鎖サーキットの中で自らを喰い潰すことになる。会社はそうやってダメになっていきます。会社だけじゃなくやがてはその社会も、その国も。

日本経済の停滞、日本企業の低迷、官僚組織の怠慢と政界の混迷、それらはすべて中間メディアが肥大するだけの、そんなおカネの回り具合のまずさで起きているような気がします。しかもそのおカネを、メディアのいずれもが既得権として絶対に手放そうとしない。

かくして日本のテレビでは下手な脚本のドラマと芸人が浮かれるだけの低予算番組が隆盛なのでしょう。なんともチャンネルを変えたくなるような話です。

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