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December 27, 2012

LGBT票が決めたオバマ再選

オバマ再選はすっかり昔のニュースになってしまいましたが、2012年の総括として、LGBT票が彼の再選に果たした役割についてはここに記しておいたほうがよいでしょう。

アメリカでは今回の選挙では、出口調査によれば全投票者中ほぼ5%が自らをLGBTと公言しました。今回は1億2千万人ほどが投票しましたから、5%というのは600万票に相当します。これが激戦州で実に雄弁にモノを言ったのです。

オバマは選挙人数では332人vs206人とロムニーに大勝しましたが、実際の得票数では6171万票vs5850万票と、わずか321万票差でした。つまり2.675%ポイント差という辛勝だったのです。

UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)法科大学院ウィリアムズ研究所のゲーリー・ゲイツ博士とギャロップの共同調査によると、オバマとロムニーはストレートの投票者数ではほぼ拮抗していました。しかも、選挙を決めた最重要州のオハイオとフロリダの両州では、実はロムニーの方がストレート票では勝っていたのです。

ちょっと数字が並んで面倒くさいけれど、最後まで読んでください。オバマに勝利をもたらしたのがLGBTの票だったということがわかりますから。

もともと民主党(オバマの党)はゲイ票やアフリカ系、ラテン系、アジア系米国人の票、さらにユダヤ系の票にも強い党です。それぞれはそう大きくはないグループですが、これらマイノリティ層を全部合わせると全有権者の3分の1を占めます。対して共和党は残り3分の2の層で優位に立たねば選挙に勝てません。ここで支持者層の核を形成するのはキリスト教福音派と呼ばれる白人の宗教保守派層です。この人たちは全有権者数の4分の1を占めます。

ラテン系、アジア系の人口比率はここ最近拡大しています。これは移民の増加によるものです。同時に、ゲイだと公言する有権者も増えています。ギャロップの出口調査によると、65歳以上ではLGBTを公言する投票者は1.9%に過ぎませんでしたが、30歳から49歳の層ではこれが3.2%に上昇し、18歳から29歳層ではなんと6.4%に倍増します。もちろん年齢によって性的指向に偏りがあるはずもありませんから、これはもっぱらカムアウトの比率の違いなのでしょう。そしてそのLGBT層がニューヨークやロサンゼルスといった大都市部を越えて、いま激戦州と呼ばれるオハイオやフロリダなど複数の州でも拡大しているというのです。

共和党はヒスパニックやアジア系の票を掘り起こそうとしていますが、さて、ゲイ票はどうだったのか?

出口調査ではゲイと公言する有権者の76%がオバマに投票していたことがわかりました。対してロムニーに投じた人は22%でした(投票先を答えなかった人もいます)。ストレート票はオバマvsロムニーでともに約49%とほぼ同率だったのに、です。つまり、オバマに投票したLGBTの有権者は600万票のうちの76%=474万人、対してロムニーには22%=120万人。その差は354万票になります。

思い出してください。これは、全得票数差の321万票を上回る差です。つまり、ストレート票だけではオバマは負けていたのに、このLGBT354万票の差で逆転した、という理屈になるのです。

じつは共和党の内部にも「ログキャビン・リパブリカンズ」というゲイのグループがあります。ゲイの人権問題以上に、共和党のアジェンダである「小さな政府」主義に賛同して共和党支持に回っている人がほとんどなのですが、その事務局長を務めるR・クラーク・クーパーは「反LGBT、反移民、反女性権といった社会問題に関する不協和音の大きさに共和党はいま多くの票を失っている」と分析しています。

実際、同性婚に関してはすでに全米規模で賛成・支持が過半数を超えて多数派になりました。共和党支持者ではまだ同性婚反対に回る人が多いですが、それでも今年5月のオバマによる同性婚支持発言に対して、共和党の指導的な政治家たちはそろって静かでした。以前ならば声高に非難していたところなのに、有権者の支持を得られないとわかってその問題に反対するよりもその話題を避けるようにしたのです。とてもわかりやすい時代の変化でした。クーパー事務局長も「それが時代の進むべき方向なのだと(共和党の)議員たちもわかってきている」と話しています。「もっとも、それを公式に表明することはしないだろうが」

翻って日本の総選挙です。同性婚どころかLGBTの人権問題の基本事項すら国政の表舞台ではなかなか登場してきません。得票数では前回の民主党の政権交代が実現した選挙よりも減らしているくせに議席獲得数では大勝した今回の自民党は、ある選挙前アンケート調査ではLGBTの人権問題に関しては「考えなくともよい」「反対」とこたえたそうですね。

LGBT票は日本でも世界の他の国と等しい割合で存在しています。つまりそれが政治の行方を変える力は、いまこの時点でも日本に潜在しているということなのです。それがいつ顕在化するのか、そしてどういうふうな政党に何を託す形で姿を現すのか、長い目で見なくてはならないかもしれませんが、私はそれが少し楽しみでもあります。

December 15, 2012

男性主義の政治という遺物

明日は自民党が290議席、あるいは300議席をも窺うという勢いだそうです。もっとも、どこに投票するかわからないと答える人も全体で40%以上、女性だけだと50%以上もいるようで、民意は単純に「自民復権」を望んでいるわけではないような気もします。

というのも、「わからない」人たちは今回はむしろ、浮動層というよりは「民主党には裏切られたが、かといって自民党には投票したくない」と逡巡している層を多く含むと疑われるからです。その未回答層が結果的にどこに投票するのか、その動向はこれまでの選挙世論調査の常識とは違うような気がしないでもありません。まあ、でも実際は「自民党対それ以外」という選挙動向上の仕組みでは、多党乱立の「反自民勢力」は票が分散して不利になってしまうのでしょうが。

でもいったい今回の総選挙はどういう選挙なのか、少し考えてみてもよいかと思います。3.11後初めてとなるこの選挙を、ある人は「生命vs経済」の戦い、「善悪vs損得」の戦いだと呼びます。でも大方の関心事は原発問題よりも経済・景気のことで、すでに首相気分の安倍・自民党総裁は日銀法改正、金融緩和、公共事業と大風呂敷を広げています。

原発も重大、景気も重要、善悪も損得もともに大切なことです。だからどこに入れてよいかわからない、という人が多いのでしょう。でもその中で、目を付けるべき何かが欠けている。いま日本にいてこの選挙戦を目の当たりにしながら、私はずうっと日本の政治と言論とに奇妙な違和感を感じています。その根が何なのか、安倍晋三や石原慎太郎や橋下徹らキーパーソンの言葉を聞いていてなんとなくわかってきたような気がします。

この3人は簡単に言えば男性至上主義者です。男性主義というのは父権主義のことです。停滞する政治への不信を募らせる民衆が強い指導者像を求めて父権政治にあこがれを抱く、というのは「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」の社会です。

欧米はこの「父権」を超克あるいは脱構築しながら現代社会を形成してきました。その過程では「父権」だけでなく「男性性」そのものも超克されてきました。それは50年代からの黒人解放で「白人」が、60年代からの女性解放で「男性」が、70年代からの同性愛者解放で「異性愛者」が解体されてきた歴史に裏打ちされます。オバマvsロムニー、ウォール街占拠運動vsティーパーティー運動は一方でそういう戦いでもあったのです。

ところが日本ではこうしたイケイケどんどんの「男性主義政治」に対するアンチがそう明示されません。そもそもそれが父権政治=強権政治=国粋主義であるという批評が存在せず、逆にイケイケどんどんが「強いリーダーシップ」という美辞にすり替えられてしまうのです。その状況下で安倍は国防軍を強調し、石原は徴兵や核武装を唱え、橋下は仮想敵を量産してはそれらを叩き潰して見せることでヒーローを気取る。ナチスに関する総括もできていない、なんと雄々しい「男」たちでしょうか。

そういえば自民党の憲法改正草案は「基本的人権」以上に「公益及び公の秩序」を強調し、国民を「市民 citizen」であるよりも「臣民 subject」であるかのように描いています。自民党に投票しようという人たちは、しかしそれを望んでいるわけではないでしょう。そうじゃなくて単に民主党より前の方がよかった、という印象で投票しようとしているのかもしれません。いや、態度を決めかねている40%を鑑みれば、自民党圧勝の読みの背景の支持者の数字は、前回の選挙で自民党に入れた人たちとそう変わっていない。そうすると、民意はどこにあるのか? ほんとうに「300議席」という単純な議席数に置き換えて測ってはいけないのではないか、という気がするのです。

「生命vs経済」「善悪vs損得」の二者択一ならばどちらを取るか決断しかねます。両方とも大切だからです。がしかし、他者を「対象 subject」としか捉えない雄々しい男性主義か、それに対抗する反・男性主義か、となれば私の選択は明らかです。なぜなら国家の機能不全は、すでにジョン・ウェイン的な人物の解決できる次元を越えているからです。

バットマンもジェイムズ・ボンドも悩み傷つき涙を見せる時代です。どうしてその事実に気づかないのか? 気づきたくないのでしょうか? 勇ましい方がかっこいいしスッキリもする。そう、男性主義的な政治は日本国内だけを見ていれば一時的には有効かもしれません。しかしそれは国際的には必ず破綻するのです。尖閣をめぐる安倍や石原の発言が現実の政治の上ではまったく無効なばかりか有害ですらあったように。女性たちの50%以上が投票先を決めかねている現実は、いまも続くそんな日本の男性主義の胡散臭さに気づき始めたからではないかと願うのです。

拳を振り上げるとき、人は自分に陶酔しています。けれどそれを振り下ろすとき、後悔はすでに始まっています。それに気づかないのは、ずっと陶酔していられる人間だけです。なのに拳を振り上げる人が、それを振り下ろす人が絶えない。それは、後悔しても、人間は陶酔感に高揚することのほうが好きだからなのかもしれません。その高揚に、人間は後先を忘れるようにできているからなのかもしれません。

アホです。