2013年を日本で迎えて
久しぶりに日本で新年を迎えました。帰国するとその間の日本社会のちょっとした変化に気づいたりします。今回はテレビ画面の右下に小さく現れる「CM上の演出です」というテロップでした。1つはキムタクが出ている宝くじのCMで、彼が手筒花火をぶっ放しているものです。もう1つは乗用車が迷路を疾駆している車のCM。ほかにもありました。で「CM上の演出です」と来る。これって前からありましたっけ? 今回初めて気づいたんですが。
以前から「これは個人の感想です」とやるカンキローやコージュンやセサみんやクロズやなんかのインフォマーシャルはありました。が、今度は「これはCM上の演出です」って、いくらなんでもそんな言わずもがなのことを、わざわざ断らなければならない事情はいったいなぜなんでしょう。そもそも演出のないCMなど存在しないって、常識ではないのでしょうか?
こういうテロップはすべて視聴者からの苦情に対する予防措置なんですね。「こんなことを真似して事故を起こしたらどうする?」。なので前もって警告しておく、あるいは断り書きをしておく。でも健全な社会には「こんなことは安易に真似しない」というもう1つの予防教育があるはずです。あるいは「これは演出だ」と判断できる常識的な知力も。
日本はクレイマー社会だという説もあります。しかしこうした断りはもともとは米国のテレビで始まりました。「これはPaid Advertisementです」からそのつもりで見てください、という。苦情はアメリカ社会のほうがずっと厳しく多い。モンスターペアレンツだってきっとアメリカの方が手強い。
でも何が違うかと考えると、アメリカ社会は苦情にも簡単に謝らない。毅然と対処(あるいは理不尽なほどにも反論)する。対して日本社会は謝罪するんですね。謝罪することがあらかじめ当然のように期待されている。身分制度の名残が売り手と顧客の関係にも影響しているのしょうか? 日本語の「客」は確かに「カスタマー」や「ゲスト」やはてさて「神様」までをも取り込んだ強力な概念ですし。
でも、そうやって何か悪いことが起こらないようにと事前警戒ばかりして予防線を張り巡らす社会というのは、みんなとても窮屈でヘマをしないようにおどおどビクビクしている社会に見えてしまいます。さらにそれが何かの際に、人々を発作的な激高に煽ってしまうような、そんな悪循環。
かくして日本では普通のニュース映像でも通行人の顔や事件現場の背景のことごとくにボカシが入って、万が一のプライバシー上の苦情にも万全の予防措置を講じています。事故を目撃した人の証言までその人の足しかテレビには映っていない。もちろん背景には例の個人情報保護法みたいなものがあるのですが、それは見ていてあまりにパラノイア的ですらあります。
私がニューヨークに来て最初に気づいたことの1つは、地下鉄の駅に時刻表がないという事実でした。さらにはちゃんとしたアナウンスもなく勝手に駅を飛ばしたりルートを変更したりする。でも利用者たちはそれでも平然としてるし、そのうちに私も「ああ人間社会ってこんなもんなんだ」と思うようになってきました。あるいは近所のスーパーやファストフード店でも客あしらいがとんでもなくぞんざいで、あるいは商品だっていい加減で、トマトだってブドウだって下の方がつぶれていたり腐っていたり、まあ、そんなことに腹を立ててもしょうがない。自分でどうにかするしかない。だいたい、ニコニコと平身低頭な店員や時刻表通りに運行される列車なんて、世界中で日本くらいにしか存在しないんだと妙に得心している次第です。
ただしアメリカだってもちろんテロ警戒は空港に行くたびに物凄いですし、重要施設の入館チェックも神経質すぎると感じるほど厳重です。ただ、社会全体としては事前警戒と事後対処の覚悟のバランスが取れている。何がおかしいかって、「携帯電話は他の人に迷惑です」と言っていながら東京の地下鉄では現在、携帯の電波が走行中でも通じるようにどんどん工事が進んでいるんですよ。ま、データ通信やテキスティングのためでしょうけど。
「何か悪いことが起きないように」という心配や警告はいまやだれもが気づいているように「悪いことが起きてもこちらの責任が回避できるように」という言い訳になっています。リスク管理上それらも必要なことではあるでしょう。ただし、いくら事前警告していてもそれでも何か悪いことは起きるものです。その場合に「だから言っていたでしょう」という言い訳は責任回避のなにがしかを担うかもしれませんが、問題の解決には何の役にも立ちません。
リスク管理の成否とはむしろ、問題が起きたその際にどう毅然と対処できるか、ということに掛かっていると思います。予防教育と常識の強化ではなく事前警戒の責任回避のみに執心している社会は、肝心の時の対処に必ず抜かりを生じるのではないかと、新年早々、日本社会を見ていてとても心配なのです。
ちなみにこれは「個人の感想です」。