暗殺の皇帝
24日にはアカデミー賞の発表です。ホメイニ革命後の79年に起きた在イラン米大使館人質事件での救出作戦を描いた『アルゴ』と、オサマ・ビン・ラーデン殺害作戦を描いた『ゼロ・ダーク・サーティ』とはともにCIAや軍の“活躍”の舞台裏を描いて、「ミッション・インポッシブル」や「007」みたいな派手なスパイものとは異なる現実を見せつけます。
両事件の間には30年あまりの時間差があります。が、CIAと米軍がいつの時代でも世界の最暗部で最も危険な諜報戦を繰り広げている事実は変わりません。しかしその戦法は先鋭化しています。1つは「水責め」尋問であり、もう1つは「ドローン」と呼ばれる無人機による敵の殲滅です。前者は30年前には違法でした。後者は技術的に存在しませんでした。
米議会では先日、そのCIA長官に新たに指名されたジョン・ブレナンと、CIAと密接に共同作戦を遂行する国防長官指名のチャック・ヘーゲルの承認公聴会が開かれました。2人とも議会承認は遅れています。
ブレナンはブッシュ政権下でCIA副長官でありテロリスト脅威情報統合センター(現在の国家テロ対策センターの前身です)の所長でした。『ゼロ・ダーク・サーティ』の冒頭で始まる水責め尋問シーンやビン・ラーデンの隠れ家に対しても検討された「無人機攻撃」の背後にいた人物の1人です。そして付いたあだ名は「暗殺の皇帝(The Assassination Czar)」
相手の首を水中にグイッと突っ込むのは息を止めて抵抗されたりしますが、水責め尋問は違います。相手の背中を板に固定して頭に布袋をかぶせて逆さ吊りにする。逆さまの状態で顔の部分に水を注ぐと、抵抗できないばかりか不随意の反射反応ですぐに水を肺に吸い込むことになって、「オレは溺死する!」という迫真の恐怖が襲うのだそうです。そうして容易に自白に至る。
しかし「その死の恐怖は錯覚である」というのが現在の米政府の主張です。錯覚なのでジュネーブ協約で禁じられている、実際に身体を傷つける「拷問とは違う」という論理。
しかしこれはベトナム戦争時の68年には違法とされました。それが対アルカイダ、対タリバンのテロ戦争で復活した。オバマ政権もそれを黙認・踏襲しているのです。
もう1つの無人攻撃機もやはり9・11以降のテロ戦争で実用化され、何千マイルも離れたネバダなどの空軍基地から遠隔操作されています。ビデオゲーム同様、自分の機が敵に撃ち落とされても操縦者は安全なモニターのこちら側にいます。
私はこの攻撃用無人機が心理的にも戦術的にも戦争の仕方を変えたと思っています。アフガニスタン戦争での昨年1年間の無人機攻撃は447回に及び、空爆全体の11.5%を占めるようになりました。前年の5%からの大きなシフトで、これは今後も拡大を続けるでしょう。
しかし無人機攻撃は大変な数の市民たちを誤爆してきました。死者のうちの20〜30%は一般市民で、高度な標的は殺害された者の2%に過ぎないという調査もあります。
このため、ブレナンの公聴会ではCODEPINKの活動家女性が米無人機攻撃で殺害されたパキスタン人の子供たちの名前のリストを掲げて抗議を行いました。独立系ニュースのデモクラシー・ナウ!は「無人機攻撃は単なる殺人ではない。そこに住むすべての人々を恐怖に陥れている。24時間絶え間なく遠鳴りの飛行音を聞き、学校や買い物や葬式や結婚式に行くにも怯えている。コミュニティ全体を混乱に陥れているのだ」とパキスタン現地の声を紹介しています。
思えば究極の戦略とは、「死」の格差を可能な限り広げることです。相手にはより大きな死の脅威を、味方にはより少ない死の怖れを。格差とはいま、富だけではなく命の領域にも及んでいる。「暗殺の皇帝」とはその格差の頂点に立つ者への尊称なのでしょうか、蔑称なのでしょうか。
オバマの2期目が始まっています。正義や人権を掲げる彼ですら、ブッシュ時代より暗くなった闇を背後に負っています。それにしてもCIA長官も国防長官も、自身の民主党ではなくて共和党からの人選だということに、オバマの逡巡が見て取れるのでしょうか? それとも汚いことは他人任せ、ということなのでしょうかね。そこにも政権を取った者の格差操作があるのかもしれません。