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June 15, 2013

ビッグブラザー

国家安全保障局(NSA)の国民監視システムの存在を暴露したエドワード・スノーデン(29)は愛国のヒーローかそれとも国家版逆の犯罪者か──オバマ自身が08年の大統領選挙のときに政府の腐敗を正す内部告発を「勇気と愛国心の行動」と話してもいて、あなたはどう思います?

ちょっと複雑な違いもあります。内部告発者とは「不正・不法を告発する人」です。ところがスノーデンの告発したことが政府の不正・不法なのかは微妙です。ベトナム戦争のときにダニエル・エルズバーグが漏洩した有名な「ペンタゴンペーパー」というのがあります。あのときは政府が議会や国民に嘘をついて戦争を準備した。その不正の経緯を証明する文書は立派に公開の根拠があった。でも今回の監視活動にはいちおう秘密裁判所の許可が出ていました。

オバマは電話の盗聴などしていないとも弁明しています。「封筒の外側を見ているだけ」と例える政府高官もいます。ところがスーザン・ランドーというサイバーセキュリティの専門家は、通話の内容そのものよりもそうしたメタデータ(具体的なデータではなくそれらを統括する、1つ次元が上のデータ)の方がはるかに多くの事実を明らかにできると言います。

彼女の説明はこうです。「例えばあなたが乳がんの検査でマンモグラムを受ける。数日後に医者が電話をかけてくる。あなたも医者に電話をかけ、その診察室に行ってそこから家族に電話をかける。何を話しているかその内容を知らなくとも、それは悪い知らせだとわかる」

別の例えもあります。サンマイクロシステムズがオラクルに買収されたときの話です。買収の前の週末、サンのCEOがオラクルのCEOと電話で話す。それで双方がともに顧問に電話をする。さらに担当者に電話をする。短い間にそれが何度も行われる。さて何が起きているか。月曜の朝の正式発表の前に、それが買収話だろうとわかってしまうのです。

今は携帯電話、携帯端末の時代。あなたのいる場所がGPS機能付きのそんな端末で4カ所判明すれば、95%の確率であなたが誰か、どういう人なのかもわかるそうです。盗聴禁止法というのはありますが、それは通話内容の盗聴を禁止するのであって、どこで何時に誰とつながったかという情報を収集することは禁じていないのです。

人間がスパイとしてそういう情報を収集するのをヒューミント(Human Intelligence)といいます。対して、コンピュータネットワークでこういうメタ情報を収集分析するのをシギント(Signal Intelligence)と言います。いまや007の時代じゃない。なにせ人間はカネがかかるし人数も必要だ。でもシギントの方法だとコストは何十分の1で済むのです。

09年に新型インフルエンザが流行した際、グーグルはそれに関連する言葉がどこでどれだけ検索されたかを調べて拡散地域を正確に割り出しました。疾病管理センターが同じ結論を導き出したのはその2週間後でした。昨年の米大統領選挙もNYタイムズの統計分析家ネイト・シルバーが100%の確率で州ごとの勝者を適中させました。これもメタデータ分析でした。もっと身近な例は、アマゾンで買い物したら次には必要なものがお勧め商品としてピックアップされている。これもシギントの一種です。

いまのこのシステムがあったら「9.11も防げたかもしれない」とFBI長官が言っています。それを言われると辛いニューヨーカーの私たち。そんなビッグブラザーの監視社会に私たちはすでに住んでいるのです。

June 10, 2013

テロ戦争の代償

「テロ戦争」の根幹が揺れています。情報こそすべての現代のテロ対策で、オバマ政権で引き継がれているPRISM(プリズム)と呼ばれる秘密の大規模国内監視プログラムが暴かれました。国家安全保障局(NSA)がネットや通信の大手企業中央サーバなどにアクセスして個人データや通話履歴を収集保存しているというのです。まるでオーウェルの「ビッグブラザー」の世界。

オバマは演説では理想主義者で人道主義者です。しかし今現在のことに関してはかなりシビアに対処するようで、理想の未来を語る一方でそのためにいまやれることは徹底してやる。司法手続きを踏まないグァンタナモ刑務所での無期限拘束や尋問もそうです。

今回のPRISMに関してもオバマは「100%の安全と100%のプライバシーと0%の不都合とを同時に手にすることはできない。社会としては何らかの選択をしなくてはならないのだ」として悪びれることがありません。09年のニューヨーク地下鉄爆破テロ計画は電話履歴の捜査によって回避できたというのですから、背に腹は代えられないのは確かなのですが。

多くの民間人犠牲者を出しながらも拡大する一方の無人機(ドローン)攻撃もそうです。

10年前には50機にも満たなかった米軍の無人機は現在、機数だけで言えば7000機と、軍所有の航空機の40%以上を占めるようになりました。米軍がこれまでの無人機攻撃で殺害した人々は主にパキスタン、イエメン、アフガニスタンなどで今年2月時点で計4700人とも言われています。

私はこの無人機が「戦争」の仕方を変えつつあると思っています。スピルバーグが「プライベート・ライアン」で描いたノルマンディ上陸作戦のような、ああいう多大な人命を犠牲にする揚陸強襲作戦というのはもうあり得なくなっています。

どうするかというと、緻密な(あるいは大雑把でもいいから)敵側情報を分析し、最初から最後まで無人機攻撃で叩く。実際の人間を投入するのは最後の最後だけ。味方の人的被害はこれで最小限に抑えられます。

しかしなにしろ1万キロ以上離れたネバダの砂漠の空軍基地からの遠隔操縦です。どういうことが起きるかというと、殺害した4700人のうち、テロ組織の首脳たちは全体の死者のわずか2%でしかないとされています。パキスタンでは3000人ほどが殺されているのですが、最大でうち900人近くがテロとは無関係の一般市民とも言われます。

それだけではありません。味方にだって取り返しの付かない傷が残る。先日、NBCが引退した無人機攻撃の27歳の遠隔操作官のインタビューを放送しました。彼は退任時に「これまであなたの参加した作戦で殺害した人員は推計1626人」という証明書を渡されたそうです。

「アフガニスタンで道を歩く3人の標的に向けてミサイルを2発撃ったことがあった。コンピュータには熱感知映像が映っている。熱い血だまりが広がっていくのが見えた。1人の男は前に行こうとしている。でも右足がなくなっている。彼は倒れ動かなくなる。血が広がり、それは冷えていってやがて地面の温度と同じ色になる」「いまでも目をつぶれば僕にはそのスクリーンの小さなピクセルの一つ一つが見える」「そして、彼らが実際に殺害すべきタリバンのメンバーだったのかどうかは、いまもわからない」「自分に吐き気がするんだ、本当に」

彼はいまPSTDに苛まれています。突発的な怒りの発作、不眠、そして記憶を失うほどの酒浸り。「背に腹は代えられない」と先ほど書きましたが、その結果もまた地獄なのです。

June 01, 2013

2013年プライド月間

私が高校生とか大学生のときには、それは1970年代だったのですが、今で言うLGBTに関する情報などほとんど無きに等しいものでした。日本の同性愛雑誌の草分けとされる「薔薇族」が創刊されたのは71年のことでしたが、当時は男性同性愛者には「ブルーボーイ」とか「ゲイボーイ」とか「オカマ」といった蔑称しかなくて、そこに「ホモ」という〝英語〟っぽい新しい言葉が入ってきました。今では侮蔑語とされる「ホモ」も、当時はまだそういうスティグマ(汚名)を塗り付けられていない中立的な言葉として歓迎されていました。

70年代と言えばニューヨークで「ストーンウォールの暴動」が起きてまだ間もないころでした。もちろんそんなことが起きたなんてことも日本人の私はまったく知りませんでした。なにしろ報道などされなかったのですから。もっともニューヨークですら、ストーンウォールの騒ぎがあったことがニュースになったのは1週間も後になってからです。それくらい「ホモ」たちのことなんかどうでもよかった。なぜなら、彼らはすべて性的倒錯者、異常な例外者だったのですから。

ちなみに私が「ストーンウォール」のことを知ったのは80年代後半のことです。すでに私は新聞記者をしていました。新聞社にはどの社にも「資料室」というのがあって、それこそ明治時代からの膨大な新聞記事の切り抜きが台紙に貼られ、分野別、年代別にびっしりと引き出しにしまわれ保存されていました。その後90年代に入ってそれらはどんどんコンピュータに取り込まれて検索もあっという間にできるようになったのですが、もちろんその資料室にもストーンウォールもゲイの人権運動の記録も皆無でした。

そのころ、アメリカのゲイたちはエイズとの勇敢な死闘を続けていました。インターネットもない時代です。その情報すら日本語で紹介されるときにはホモフォビアにひどく歪められ薄汚く書き換えられていました。私はどうにかアメリカのゲイたちの真剣でひたむきな生への渇望をそのまま忠実に日本のゲイたちにも知らせたいと思っていました。

私がアメリカではこうだ、欧州では、先進国ではこうだ、と書くのは日本との比較をして日本はひどい、日本は遅れている、日本はダメだ、と単に自虐的に強調したいからではありません。日本で苦しんでいる人、虐げられている人に、この世には違う世界がある、捨てたもんじゃない、と知らせたいからです。17歳の私はそれで生き延びたからです。

17歳のとき、祖父母のボディガード兼通訳でアメリカとカナダを旅行しました。旅程も最後になり、バンクーバーのホテルからひとり夕方散歩に出かけたときです。ホテルを出たところで男女数人が、5〜6人でしたでしょうか、何かプラカードを持ってビラを配っていたのです。プラカードには「ゲイ・リベレーション・フロント(ゲイ解放戦線)」と書いてありました。手渡されたビラには──高校2年生の私には書いてある英語のすべてを理解することはできませんでした。

私はドキドキしていました。なにせ、生身のゲイたちを見るのはそれが生まれて初めてでしたから。いえ、ゲイバーの「ゲイボーイ」は見たことがあったし、その旅行にはご丁寧にロサンゼルスでの女装ショーも組み込まれていました。でも、普通の路上で、普通の格好をした、普通の人で、しかも「自由」のために戦っているらしきゲイを見るのは初めてだったのです。

私はその後、そのビラの数十行ほどの英語を辞書で徹底的に調べて何度も舐めるほど読みました。そのヘッドラインにはこう書かれてありました。

「Struggle to Live and Love」、生きて愛するための戦い。

私の知らなかったところで、頑張っている人たちのいる世界がある。それは素晴らしい希望でした。そのころ、6月という月がアメリカ大統領の祝福する「プライド月間」になろうとも想像だにしていませんでした。

オバマが今年もまた「LGBTプライド月間」の宣言を発表しました。それにはこうあります。

「自由と平等の理想を持続する現実に変えるために、レズビアンとゲイとバイセクシュアルとトランスジェンダーのアメリカ国民およびその同盟者たちはストーンウォールの客たちから米軍の兵士たちまで、その歴史の次の偉大な章を懸命に書き続けてきた」「LGBTの平等への支持はそれを理解する世代によって拡大中だ。キング牧師の言葉のように『どこかの場所での不正義は、すべての場所での正義にとって脅威』なのだ」。この全文は日本語訳されて米大使館のサイトにも掲載されるはずです。

この世は、捨てるにはもったいない。今月はアメリカの同性婚に連邦最高裁判所の一定の判断が出ます。今それは日本でもおおっぴらに大ニュースになるのです。思えばずいぶんと時間が必要でした。でも、それは確実にやってくるのです。