戦争のできる国
日本を「戦争のできる国にしようとしている」と安倍政権を批判する声があちこちで聞こえています。そのたびに本当にそうなのかなと思ってしまいます。
たしかに国家安全保障会議(NSC)やら特定秘密保護法やらと来て、次は集団的自衛権の解釈変更からやがては憲法改正まで照準に入れた安倍首相ですが、いかな諸外国から「国粋主義者」と罵られても、その国家運営の目的が「戦争するため」だなんて信じられません。そんなのは狂人です。安倍さんは頭は悪いかもしれませんが狂人には見えません。
じゃあなぜこうも強権的に日本の進路を変えようとしているのか? どうにか考えてみるとそれはどうもきっと日本を「美しい国」にするためです。「結果的に美しくなるんだから(多少ゴリ押しがあったって)いいじゃないか」というわけです。それが「決める政治」というわけです。
でも「美しさ」というのは人によって違います。安倍さんにとっての「美しさ」とは何なのでしょう? それを考えなければ安倍さんの意図するところはわからないままです。
自著「美しい国へ」から簡単に引用しましょう。
「個人の自由を担保しているのは国家なのである」
「自分の帰属する場所とは、自らの国をおいてほかにはない」
「(旅行先での外国人)は、わたしたちを日本人、つまり国家に帰属している個人であることを前提としてむき合っているのである」
──そう書いて、安倍さんは映画「三丁目の夕日」を例に挙げます。「みんなが貧しいが、地域の人々はあたたかいつながりのなかで、豊かさを手に入れる夢を抱いて生きていく」「いまの時代に忘れられがちな家族の情愛や、人と人とのあたたかいつながりが、世代を超え、時代を超えて見るものに訴えかけてきた」
ツッコミたいところは満載ですがまあそれは抑えて1つだけ。私は昭和30年代を知っていますが、それはあの映画に描かれたほど温かくも優しくもなかった。選挙違反は現金が動いて酷かったし、暴力団は幅を利かし、役人の賄賂や情実は横行していた。障害者は(今と同じく)差別され、女性は軽んじられ、親の命令は絶対だった。「三丁目の夕日」が描いた和やかさ、朗らかさの後ろには「生きる」(昭和27年公開ですが)で描かれたあのドブや掃き溜めの沼が偏在していたのです。だからこそひとびとはほんのちっぽけな幸せやささやかな喜びにでも大きくすがるようにして生きていたのです。
そんなひどい時代にそれでも「偉かった」のは「先生」と「親」でした。「先生」とは政治家や医者や弁護士や、とにかくそういう人たちすべて。「親」は会社の社長や暴力団の親分や町内会の会長やそういう身内的な偉い人も含みます。そう、あの時代は「社会」と「家」とが相似形に重なっているようで、「家父長」的な人たちの力が強かったのです。
「三丁目の夕日」が娯楽として存在するには、そんな「親」で「社長」の堤真一の役回りを徹底してコミカルに描くことが必要でした(吉岡秀隆はハナから権威とは無縁に描かれていました)。もちろん実際の昭和30年代にもああいうコミカルな人はいました。けれどその上にはコミカルではない社会が厳然として存在していたのです。
つまり「三丁目の夕日」は、そうした昭和30年代的な「権力」の絶対を相対化しなければ、あるいはその「権力」を存在しないものとしていなければ、あれほどに朗らかにはなれなかったのです。
そう、昭和30年代は強い父親がいてさまざまな困難にも即断対応しようとしていた、そんな時代の名残のような時でした。そんな伝統的な「家」を基本にした立派な国家の最後の光芒。それが60年安保(昭和35年)の学生運動やビートルズが来た1966年(昭和41年)あたりから揺らぎ始めるわけです。
世の中はそう単純じゃないとわかってきたのが昭和40年代からの日本でした。高度成長のせいもあっていろんな個人が自信を持ち始めたのかさまざまに勝手に声を出し始め、ゴチャゴチャうるさいことこの上ない。公共事業で道路つくって公民館つくって箱モノを与えてやればよいだけだった政治もだんだんそれだけじゃあ済まなくなった。ああ、美しくない。
そうやって考えた結果が、もう一回国家がしっかりすれば個人もしっかりするはずだという倒錯です。そして「ゴチャゴチャ国家」の元凶を現行憲法に求める。それは個人より公共、自由より秩序、権利より責務と明記されている自民党の憲法改正草案を見ると明らかです。
これってまさに伝統的な姿である家制度=父権主義=「父さんの言うことは黙って従いなさい」です。伝統的な家を基に国家を考えると、いまの自民党が夫婦別姓に反対するのも、嫡子差別を(違憲判決にも関わらず)当然と考えるのもわかります。それはとてもスッキリとわかりやすく、美しく見える。国家は父親なのです。国家は「国」と「家」とをつなげた概念なのです。
このときあるべき「父親」の姿が見えてきます。国民を守り、国民が帰属すべき国家。子供を守り、子供が帰ってくるべき家。安倍さんの「美しい国へ」にもそう書いてある。そしてそんな家の父親はもちろん押し売りや強盗という外患にも毅然と対応しなくてはならない。それは父親の男気です。誇るべき美しいマチズムです。だからこそ外国に行ったときに名乗るべき名前は、あなた個人を識別するファーストネームなんかよりも先に、あなたを庇護している「日本」という苗字であるべきなのです。
ああ、わかった。安倍さんを批判する「国家主義者」とか「戦争のできる国」とかいうのはまわり回ってそういうことなんだ。外患に対してバットを用意するマッチョな在り方の別名なんだ。安倍さんのすべては、この善意の「男性主義的家父長制国家」への、美しさの幻想から来ているのだ。あの人は男らしいのが好きなんだ。ただこの日本を「オトコらしい」「一丁前の」国家にしたいだけなんだ。「オトコらしい国」ってのがたまたま「戦争もできる国」ってことなんだ。その「オトコの美学」が「美しい国」ってのにつながってるんだ。
──と見切ったつもりでいたら12月14日、都内のホテルで開かれた安倍首相夫妻主催の東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳晩餐会、余興として登場したのはミニスカートの制服もまぶしいAKB48の面々でした。
ごめんなさい。
延々と論を連ねて安倍さんの主義主張を家父長制度に根ざしたものだと言ってきたのに、それはじつは「男性主義」「父権主義」ではなくて単なる「オヤジ趣味」だったのかもしれません。
……ま、同じことかもしれませんが。
Comments
確かにわかりやすい話なんですけど、それよりは「敗戦ー>押しつけ憲法(って思ってるだけですけど)」の劣等感から脱却するショックドクトリンが必要なので、それが対中、対韓の強硬姿勢ー>戦争、および改憲という流れなのかな、と思います。
ただし、その「劣等感」は「強い父親=強い国」のイメージとは相容れないので、(あくまで限定的な)「平成の日清戦争」をやって国威発揚をはかる、つまりは劣等感を払拭したいんではないでしょうか。
普通の国民はそこまで考えないけど、安倍さんの祖父の辛酸と、子どもの頃の話とか聞いてると、そういうことかなと。じいさんの弔い合戦に付き合わされる国民はたまらないけど。
Posted by: あもく | December 19, 2013 02:02 AM
そうそう、安倍個人の話をすればその原動力というか動機は劣等感なんですよね。
昭和の怪物岸信介と政権最長記録保持者の佐藤栄作を家系に持ち、そしてどうしようもなく頭の悪い自分がいる。その劣等感を国家に投影して跳ね返そうとしている。だからちょっとした文句にも言い返さないと気が済まない。新幹線での席を譲る譲らないの一般客との悶着のときなんかその典型例でした。
「平成の日清戦争」をやって国威発揚をはかる、という指摘もそのとおりでしょう。最近、日本の次の戦争は「オリンピック中継のような戦争」だという増田聡さんという方のあるツイートでの指摘はハッとしました。「次に日本が戦争するとき、オレらはそれを「戦争」と認めるのに苦労するだろうと思う。原発が爆発したとき「爆発的事象」と咄嗟に言い換えたのと同じメカニズムです。「学徒動員されてないから戦争ではない」「空襲がないから戦争ではない」などと「これは戦争か」をめぐる不毛な論争が起こるだろう」と。
これを受けて内田樹先生も「たぶん「次の戦争」が始まるとき、それは「東シナ海沖にて某重大事案が発生し、内閣は迅速かつ適切な措置を講じ、ただいま交戦中」というニュースを「大本営発表」として聞かされるというかたちになるでしょう。」とツイートしてらした。
その戦争を内田先生は「通常兵器による戦争では「適宜行使することではじめて抑止的に機能する」と首相は考えているのでしょう。完全にアンダーコントロールにあり、好きなときに始められ、好きなときに止めることのできる戦争。非戦闘員が死なず、都市も破壊されない戦争。」と言っています。「始まると翼賛的世論が盛り上がって、内閣支持率が跳ね上がり、反政府的世論が抑圧され、軍事産業関連株価が急騰する、そんな「おいしい戦争」を首相は夢見ているのでしょう。」とも。
この流れに意識的であり、その流れをどこかで遮断しなければと思います。しかしそのまえに、次の選挙の前に次のその「戦争」が局地的に、中継的に始まれば、選挙はまた安倍に持っていかれてしまうでしょう。
そしてその「戦後」処理でさらなる強権を国民自身が求めることになる最悪のシナリオを危惧しています。
Posted by: きたまる | December 19, 2013 02:26 AM