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February 23, 2014

拡大する日本監視網

浅田真央選手のフリーでの復活は目を見張りました。ショートでの失敗があったからなおさらというのではなく、それ自体がじつに優雅で力強い演技。NBCの中継で解説をしていたやはり五輪メダリストのジョニー・ウィアーとタラ・リピンスキーは直後に「彼女は勝たないかもしれない。でも、このオリンピックでみんなが憶えているのは真央だと思う」と絶賛していました。前回のコラムで紹介した安藤美姫さんといい、五輪に出場するような一流のアスリートたちはみな国家を越える一流の友情を育んでいるのでしょう。

一方でそのNBCが速報したのが東京五輪組織委員会会長森嘉朗元首相の「あの子は大事な時に必ず転ぶ」発言です。ご丁寧に「総理現職時代から失言癖で有名だった」と紹介された森さんのひどい失言は、じつは浅田選手の部分ではありません。アイスダンスのクリス&キャシー・リード兄妹を指して「2人はアメリカに住んでるんですよ。米国代表として出場する実力がなかったから帰化させて日本の選手団として出している」とも言っているのです。

いやもっとひどいのは次の部分です。「また3月に入りますとパラリンピックがあります。このほうも行けという命令なんです。オリンピックだけ行ってますと会長は健常者の競技だけ行ってて障害者のほうをおろそかにしてると(略)『ああまた27時間以上もかけて行くのかな』と思うとほんとに暗いですね」

日本の政治家はこうして自分しか知らない内輪話をさも得意げに聴衆に披露しては笑いを取ろうとする。それが「公人」としてははなはだ不適格な発言であったとしても、そんな「ぶっちゃけ話」が自分と支持者との距離を縮めて人気を博すのだと信じている。で、森さんの場合はそれが「失言癖」となって久しいのです。

しかしこういう「どうでもいい私語」にゲスが透けるのは品性なのでしょう。そのゲスが「ハーフ」と「障害者」とをネタにドヤ顔の会長職を務めている。27時間かけてパラリンピックに行くのがイヤならば辞めていただいて結構なのですが、日本社会はどうもこういうことでは対応が遅い。

先日のNYタイムズは安倍政権をとうとう「右翼政権」と呼び、憲法解釈の変更による集団自衛権の行使に関して「こういう場合は最高裁が介入して彼の解釈変更を拒絶し、いかなる指導者もその個人的意思で憲法を書き換えることなどできないと明確に宣言すべきだ」と内政干渉みたいなことまで言い出しました。国粋主義者の安倍さんへの国際的な警戒監視網はいまや安倍さん周辺にまで及び、というか周辺まで右翼言辞が拡大して、NHKの籾井会長や作家の百田さんや哲学者という長谷川さんといった経営委員の発言から衛藤首相補佐官の「逆にこっちが失望です」発言や本田内閣官房参与の「アベノミクスは力強い経済でより強力な軍隊を持って中国に対峙できるようにするためだ」発言も逐一欧米メディアが速報するまでになっています。

日本人の発言が、しかも「問題」発言が、これほど欧米メディアで取り上げられ論評され批判されたことはありませんでした。安倍さんはどこまで先を読んでその道を邁進しようとしているのでしょうか? そのすべてはしかし、東アジアにおけるアメリカの強大な軍事力という後ろ盾なくては不可能なことなのです。そしてそのアメリカはいま、日本経済を建て直し、沖縄の基地問題を解決できると踏んでその就任を「待ち望んだ安倍政権を後悔している」と、英フィナンシャルタイムズが指摘している。やれやれ、です。

February 17, 2014

自信喪失時代のオリンピック

安藤美姫さんが日本の報道番組でソチ五輪での女子フィギュア競技の見通しに関して「表彰台を日本人で独占してほしいですね」と振られ、「ほかの国にもいい選手はいるから、いろんな選手にスポットライトを当ててもらえたら」と柔らかく反論したそうです。

五輪取材では私は新聞記者時代の88年、ソウル五輪取材で韓国にいました。いまも憶えていますが、あのころは日本経済もバブル期で自信に溢れていたせいか、日本の報道メディアには「あまりニッポン、ニッポンと国を強調するようなリポートは避けようよ」的な認識が共有されていました。それは当時ですでに24年前になっていた東京オリンピックの時代の発展途上国の「精神」で、「いまや堂々たる先進国の日本だもの、敢えてニッポンと言わずとも個人顕彰で十分だろう」という「余裕」だったのだと思います。

でもその後のバブル崩壊で日本は長い沈滞期を迎えます。するとその間に、就職もままならぬ若者たちの心に自信喪失の穴があくようになり、そこに取って替わるように例の「ぷちナショナリズム」みたいな代替的な擬制の「国家」の「自信」がはまり込んだのです。スポーツ応援に「ニッポン」連呼が盛大に復活したのもこのころです。

知っていますか? 現在の日本では街の書店に軒並み「嫌韓嫌中」本と「日本はこんなにスゴい」的な本が並ぶ愛国コーナーが設けられるようになっているのです。なにせその国の首相は欧米から「プチ」の付かない正真正銘の「ナショナリスト」のお墨付きをもらっているのですから、それに倣う国民が増えても不思議ではありません。だからこそ64年の東京五輪を知らない世代の喪失自信を埋め合わせるように、日本が「国家的自信」を与える「東京オリンピック」を追求し始めたのも当然の帰結だったのでしょう。

そこから冒頭の「表彰台独占」コメントへの距離はありません。さらに首相による羽生結弦選手への「さすが日本男児」電話も、あざといほどに短絡的です。80年代にはあったはずの日本人の、あの言わずもがなの「自信」は、確かにバブルのように消えてしまったよう。まさに「衣食足りて」の謂いです。

そんな中で安藤美姫さんも羽生選手も自信に溢れています。それはやるべきことをやっている人たちの自信でしょうが、同時に海外経験で多くの外国人と接して、その交遊が「日本」という国家を越える人たちのおおらかさのような気がします。そしてその余裕こそが翻って日本を美しく高めるものだと私は思っています。じっさい、安藤さんのやんわりのたしなめもとても素敵なものでしたし、羽生選手の震災に対する思いはそれこそじつに「日本」思いの核心です。

スポーツの祭典は気を抜いているとことほどさように容易に「国家」に絡めとられがちです。だからヒトラーはベルリン五輪をナショナリズムの高揚に利用し、それからほどなくしてユダヤ人迫害の大虐殺に踏み切ることができました。ソチ五輪もまたロシア政府のゲイ弾圧に国際的な黙認を与えることかどうかで議論は続いています。

オリンピックはいつの時代でも活躍する選手たちに「勇気を与えてくれた」「感動をありがとう」と感謝の声をかけたくなります。そして表彰台の彼らや日の丸につい自己同一してしまう。そんなとき、私はいつも歌人枡野浩一さんの短歌を思い出します──「野茂がもし世界のNOMOになろうとも君や私の手柄ではない」

はいはい、わかってはいるんですけどね。

February 04, 2014

ソチ五輪の華やかさの陰で

ロシアで15歳の少女が反ゲイ法に抗議して学校の友だちの前でカムアウトしました。父親は少女を激しく殴打し、頭部に重傷を負った少女は入院しました。裁判所は有罪を言い渡しました。父親ではなく、少女に対して──同性愛を「宣伝」することが犯罪になるロシアでも、未成年に対する初の法適用だそうです。

ソチ五輪が始まります。スポーツの祭典といわれるオリンピックがこれまでさまざまな政治論争に利用されてきたことは多くの人が知っているでしょう。今回も開会式に欧米首脳が一斉欠席。冒頭の同性愛宣伝禁止法が人権弾圧法であり、その影響でロシア全土でLGBTQへの虐待や暴力、殺人行為までもが急速に広まっているのにロシア政府は何ら手を打たない。それに反発する欧米の世論が、自国のトップの開会式出席を許さなかったのです。

ソチではフィギュアやスキーのジャンプなど日本選手の活躍もおおいに期待されています。それはそれ。だがしかし、そんな面倒くさい政治が、このスポーツの祭典には付き物なのです。

例えば6年後の東京オリンピックでは8千億円以上の公的予算、つまりは税金からの拠出が組まれ、経済効果は3兆円ともいわれます。さらにこれを主催する国際オリンピック委員会(IOC)という組織には、テレビ放映権や公式スポンサー企業からの収益で2千億円近くのおカネが入ります。

夏に比べ冬の五輪は規模は小さくなりますが、それでも国家と企業とがこれだけおカネを出しているのですから、五輪がその国の政治や経済、そしてスポンサー企業の宣伝に利用されるのは当然、というよりもむしろそのためにこそ五輪を開いていると言ってもよい。そしてソチ五輪はロシア国家の威信をかけて、なんと5兆円もの予算規模で行われるのです。これは夏の北京五輪の4兆円をも上回る巨費です。五輪が「純粋なスポーツの場」というのは、その競技を見て楽しむ私たちの頭の中だけの話。オリンピックは「村おこし」ならぬ、「国おこし」「企業おこし」の超巨大イベントなのです。

なので過去の五輪メダリストやソチに出場する12人の現役選手を含む計52人の五輪選手たちが、LGBTQ迫害のロシア政府、そしてそれを黙認するIOC、そしてソチ五輪スポンサー企業を批判する声明に署名しているのも無理もありません。そんな人権弾圧国の「国おこし」には加担したくないのです。ちなみにそれに「加担している」と批判されている世界スポンサー企業にはコカ・コーラ、マクドナルド、ビザ、サムスンなどに混じって日本のパナソニックもいます。

この声明運動は五輪憲章にある「オリンピズムの根本原則」第6条にちなんで「第6原則(principle six)キャンペーン」と呼ばれています。その第6条には「人種、宗教、政治、性別、その他の理由に基づく国や個人に対する差別はいかなる形であれオリンピック運動とは相容れない」とあって、差別はダメなんじゃなかったの?というわけです。

署名者には米スノーボード金メダリストのセス・ウエスコット、ソチ出場のカナダ選手ロザンナ・クローフォード、オーストラリアの男子4人乗りボブスレーチームが含まれます。他にも国際的スポーツ選手で史上最初にカムアウトした1人であるテニスのマルチナ・ナブラチロワやイングランドのサッカーチーム「リーズ・ユナイテッド」の元選手ロビー・ロジャーズらそうそうたる名前が並びます。残念ながら、日本人選手の名前は見当たりません。

きっとこの抗議運動自体を知らないのでしょう。冒頭の事件などを教えてやれば必ず署名してくれる選手が多いはずだとは思うのですが、日本社会の世界情報遮断力はとても大きい。なにせ国のトップが、そういう情報をまったく意に介さない人ですから。