「一滴の血」の掟
アメリカ南部州にはかつてワンドロップ・ルール(一滴の血の掟)というのがあって、白人に見えても一滴でも黒人の血が混じっていたら「黒人」と定義されていた時代がありました。奴隷制度では白人たちは黒人を性的にも所有し、奴隷を増やすためにも混血は進んだのでしょう。もちろんそれだけではなく純粋に人種を越えた恋愛や結婚もあるわけで、いま「一滴の血」ルールを適用したらアメリカの白人の3人に1人は黒人になるとも言われます。
Jリーグの浦和vs鳥栖戦のあった3月8日の埼玉スタジアムで、浦和サポーター席入り口のコンコースに「JAPANESE ONLY」という横断幕が掲げられる“事件”が起こりました。浦和サイドはこれを問題視したサポーターからの通知で事を知りますが、どうすべきかわからずそのまま1時間ほど放置。一方では問題視したサポーター氏にその写真をネットにアップしないように要求。横断幕が撤去されたのは試合後しばらく経って、欧米系の観客が写真を撮って初めてスタッフが慌てて外したのだそうです。
右翼国粋主義と形容される安倍内閣から始まって嫌中嫌韓の見出し踊る週刊誌、そしてアンネの日記破損問題と、このところの日本社会はまさに「ナチスの手口にマネ」ているようです。で、今回の「日本人以外お断り」の横断幕。そしてそれに即応できない大のオトナの思考停止。
それにも増して意味不明なのは、この期に及んでこの「JAPANESE ONLY」を、浦和の8日の先発・ベンチ入り選手が全員日本人だったことから「日本人だけで戦う」だとか「日本人だけでもJリーグを盛り上げよう」だとかの意味だと言い張る“愛国”者たちがいることです。挙げ句の果てにこの横断幕の何が問題なのかわからない、という開き直り同然の差別主義者まで。
同じ言い逃れを、昨年12月の安倍靖国参拝の際の米国務省「失望」声明でも聞いたことがあります。例の「The United States is disappointed」を、いかにも英語通であるかのように「よくある表現で重大なことではない」などと勝手に講釈する右派評論家が後を絶ちませんでした。
今回も新聞やTVニュースの論調までもがどういうわけかこれを「差別」とは断定せず、「差別的な意味にも取れる」「差別的とも解釈されかねない」などと奥歯に物が挟まったような報道ぶりです。誰がどういう意図で書いたかは関係ないのです。表現とは、表現されたその「モノ」こそが自立した表現なのであって、「JAPANESE ONLY」は差別表現に他ならないのです。
「日本人」にワンドロップ・ルールを適用したら、古く縄文時代から続く中国・朝鮮半島からの渡来人との混血は限りなく「日本」人など1人もいなくなります。さらにはそもそもこの島国は大陸と陸続き。人種も民族もあったもんじゃありません。
ワンドロップ・ルールは、本来はそれによって白人の立場を死守しようとした人たちが作ったものですが、実際には逆に機能して、結果、白人という立場がいかに実体のないものかを浮き彫りにしてしまいました。同じように“チョン”だ“チュン”だと純血主義けたたましい人は、自分の血の一滴に気づいて自爆するしかないのです。生き残れるのはその決まりを唾棄できる者だけ。
この浦和での一件を知って、翌日のFC岐阜のサポーター席には「Say NO to Racism」の文字の横断幕が掲げられたそうです。偏狭な愛国心をあおるのもスポーツならば、それを糾弾するのもスポーツなのです。
後者のスポーツをこそプロモートしていかなくてはならないのに、それでもまだ「スポーツは信条表明の場ではない」などという人もいます。ねえ、友情とか、親交とか、差別反対とか、そういうのだって立派な「信条」なのです。どうしてそんなにみんな信条や思想を表明することにアレルギーを持つのでしょう? スポーツを、堂々と麗しき信条を表明する場にしてなにがいけないのでしょうかね。
Comments
いつも宮台先生とのラジオ放送を聴かせていただいております。
まさしくワンドロップルールはバカげた愛国もどきの人々に聞かせてあげたいくらいです。
私の家系は由緒正しい昔から続く武家家系ですが、私は純粋な日本人だとは思ってはいません。
大学で考古学を少し勉強したことがありましたが、その時も教授は日本人(天皇家も含めて)は大陸から来た人々であると言っていました。
愛国者や右翼系の人々はよく歴史を勉強すべきと言っていますが、彼らも勉強し直すべきではないかと思います。
勉強し直す=自分たちの都合の良いように解釈してこい!としか読み取れないと思います。
ワンドロップルールの歴史も自分たちの都合の良い解釈の結果なのではないかと思います。
Posted by: T.H | March 29, 2014 08:35 AM