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コピペ首相

6日の広島平和記念式典、9日の長崎平和祈念式典、双方で安倍首相の読み上げた「あいさつ」文が昨年の「あいさつ」とほぼ同一の文言が多かったことから、ネット上で「昨年のコピペ」「首相は被爆者をナメてる」「平和軽視の証拠だ」と大炎上になりました。コピペとは「コピー&ペースト」。小保方論文や学生のリポートでも問題となっている「引き写し」のことです。

広島では冒頭が「69年前の朝、1発の爆弾が十数万になんなんとする、貴い命を奪いました」。昨年はこれが「68年前」で、それ以外は2段落分が一字一句同じ。長崎でも「本日、被爆69周年〜」で始まる最初の段落と2段落目は、年数を示す文言以外同一文章。3段落目の「一度ならず、二度までも被爆の辛酸をなめた」もまったく同じ表現でした。

問題は2つあると思います。1つは、こういう全国放送もされる式典などでのスピーチは政治家が自らの「政治の言葉」をフルに発信できる絶好の機会です。それは「言葉の力」で民衆に感動や納得や賛同を植え込む好機です。その檜舞台をコピペ演説で浪費するなんて、政治家ならそれだけで失格です。

少なくともアメリカ大統領の年恒例の演説で前年のスピーチからのコピペはあり得ません。地方遊説で同じスピーチを使い回すことはあっても、それは聴衆が違うからで年一度の大イベントでのコピペはあり得ない。

ならばやはり安倍首相は広島・長崎を舐めてかかったのでしょうか。このところ2年続きで同じ首相が「あいさつ」することがあまりなかったので小泉純一郎まで遡ってみると、さすがに6年も同じ「あいさつ」をしているので内容も似通っているものの、むしろ話の順序を入れ替え、細かい表現を取ったり加えたりと、同じにならないような何らかの工夫が為されていました。安倍首相のコピペとは違ったのです。

しかし加藤官房副長官は安倍コピペを「特段の問題があるとは考えておりません」。首相周辺によれば、こうした式典の挨拶は頻繁に変えるべきではないとして、敢えて同じ言葉を選んでいると言うのです。

なるほどそこが問題の2点目です。官僚的には政府見解の整合性、連続性、統一性こそが重要なのであって、それは首相「あいさつ」にも当てはまるという論理です。

もっともコピペはかなり情緒的な表現部分で行われていて、こうした整合性で問題となる肝心の状況認識とか政治的意義付けの部分ではありません。むしろコピペしたような情緒部分こそスピーチライターの腕の見せ所だったはずです。

ただし問題はそこではありません。整合性というならば問題はむしろコピペじゃなく、コピペ「しなかった」部分にこそある。つまり従来の「あいさつ」を踏襲しなかった部分です。それは「憲法を守る」という表現の欠落でした。

じつは06年まで、自民党の歴代首相は「日本国憲法を守る」「平和憲法を遵守する」と「あいさつ」してきました。それが07年の第1次安倍内閣では「憲法の規定を遵守する」と、なんとなく形式が変わった。そして次の福田、麻生内閣で初めて憲法への言及が消えたのです。

次の民主党政権3年度にわたる「あいさつ」では再び「日本国憲法を遵守する」が復活しましたが、第2次安倍内閣の翌13年と今回14年ではまた憲法への言及が省かれていたのです。

「首相周辺」の論理で行けば、コピペではない部分こそがメッセージの変更です。だとすれば戦後憲法、平和憲法からの「脱却」の試みは、すでにとっくに始まっていたのかもしれません。

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