朝日非難の正体
朝日新聞が大変なことになっています。
まずは8月5日にこれまでの「従軍慰安婦」関連報道の検証を公表して、32年前の吉田清治証言など多くの事実関係の誤りを認めました。次にこの問題を分析して「訂正するなら謝罪もすべきではないか」と論評した池上彰氏の同紙コラムを不掲載として、これも大批判を浴びました。さらには東電福島原発事故の際の吉田調書のスクープ(5月20日付記事)でも「吉田昌郎所長の命令に違反して所員が撤退した」とした記事が誤報だったとして9月11日付で再び削除、謝罪するに至りました。そこで現在、同業の読売、産経をはじめ週刊誌や自民党政治家などから「朝日は潰れろ」とばかりの袋だたきに遭っているのです。まるで「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」状態です。
背後にはとにかく「従軍慰安婦問題」が気に食わないいわゆるネトウヨ(ネット右翼)がいるようです。というのも慰安婦問題そのものがなかったかのような「訂正しろ」コールが沸き起こっているのですね。
実は「吉田証言」はかねてから怪しいとされてきて、さまざまな国際報道でも疑義が差し挟まれてきました。訂正するにしても本質的な全体像にはあまり変わりはないのですが、首相である安倍サンですらこの虚報騒動の中で「世界に向かってしっかりと取り消すことが求められる」「事実ではないと国際的に明らかにすることをわれわれも考えなければならない」と、何かまるで全部「事実ではなかった!」みたいな言い方でしょ。
もちろん池上問題はまったく弁解の余地もない話ですし、引き続く「吉田調書」スクープでの失敗も、記者がとにかく「原発は危ない」「東電はけしからん」などの世論と呼応して前のめりになってしまって、調書の読解が「ウケ狙い」の曲解に傾いたのが原因だと思います。
朝日が大きな間違いを犯したのは事実です。でも、それで巻き起こっている日本社会の非難の正体が何なのかが気になるのです。産経に至っては連日の批判記事の他に「朝日よ『歴史から目をそらすまい』」「産経 史実に基づき報道」という大見出しで全面PRまで作って読者牽引を図っているサモシさですよ。
例えばNYタイムズが誤報をして、それを他のメディアが嬉々として叩いて客引きする、なんて図式はアメリカではまず考えられません。Foxでもそこまではしない。むしろジャーナリスト同士で叱咤すべきは叱咤し、商売仇とはいえ同僚でもある当該紙の再起を願うはずです。なぜならそれが言論全体の健全さを保障すると、ジャーナリストなら知っているからです。
でもそんなことを言うと「反日だ」とレッテルが張られます。「朝日をかばうのか」「捏造した記事を書く新聞は逝ってヨシ」などといった実に乱暴な反論が(罵詈雑言とともに)ツイッターで返ってきます。彼らの「反日」とは国内向けにはまさに「非国民」という意味なのですが、なぜか彼らは「非国民」という非難の仕方は避けています。アノ時代のアノ人たちとは違うと思われていたいのかしら?
私たちの言論の拠って立つところは、実はとても稀少で脆弱です。みんなで育て支えていないとすぐに崩れる。なのに、そういう乱暴な声の行き着く社会が、真っ先にそういう人たち自身の物言いをも封じ込める社会だとは気づいていない。
かくして欧米では朝日の誤報自体と同時に、朝日の誤報以降に安倍政権や保守派勢力が朝日=リベラル勢力に対して絶え間なく圧力を掛けているという話もニュースになっているのです。