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December 23, 2014

クーバ・リブレ!

キューバとの国交正常化に向けてのホワイトハウスの動きには驚かされました。どの報道機関もスクープできなかった「青天の霹靂」でしたが、じつは昨年6月ごろからオバマ政権とカナダ、さらに仲介役としてこれ以上は望むべくもないローマ法皇庁のあいだで水面下の交渉が行われていたようです。オバマは大統領就任以前からキューバとの問題を解決したいと意欲的でしたし、そこに昨年3月、国際問題でも平和と公正を訴えて積極的にコミットする人物が法王になった。下準備を経て今年2月のオバマ・フランシスコ会談ではこの問題が内密に直接話し合われたといいます。

20年前にキューバに訪れたことがあります。ちょうどソ連崩壊でサトウキビと石油とのものすごい好条件のバーター貿易体制が崩壊した後で、この社会主義の優等生国が困窮の配給制を実施、路上に初めて物乞いの子たちが立つようになっていたころでした。

キューバではフィデルとエルネストという名前の人がとても多い。それは59年のバチスタ政権打倒でカストロとゲバラが英雄となり、当時生まれた男の子に多く彼らの名前が付けられたせいです。20年前のキューバでは、そのフィデルとエルネストたちが経済危機と独裁の圧政でその自分の名祖を罵っていました。

もっともキューバは他の社会主義の(ジメジメしたり暗かったり寒かったりする)どの国とも雰囲気が違っていて、それはきっとあの南国の明るい空気とスペイン語の陽気な発音のせいなんじゃないかと思いました。首都ハバナは新市街と旧市街に分かれていて、ヘミングウェイの愛した旧市街のバーでクーバ・リブレ(「キューバに自由を!」という名前のラムとコーラとライムのカクテル)などを飲んでいると若いお兄ちゃんが手招きしてきました。何だと思って近寄ると、いいものがあると言って路地に連れて行かれます。そこでそのお兄ちゃん、おもむろにズボンのベルトを外し、腹からコヒーバの葉巻を取り出すのでした。

コヒーバやモンテクリストは世界最上等の葉巻銘柄で、禁輸のせいでアメリカでは絶対に手が入らない垂涎の的でした。それが随分と安い。葉巻工場で働いている友達がこの経済混乱の中、生活のために横流しして観光客から米ドルを稼いでいるのだと言います。もっとあると言うので付いていくとたしかに木箱に入った「工場直送葉巻」が山積みになっていました。葉巻なんか吸わなかったけれど2箱買うとその夜、そのお兄ちゃんは街の裏側を案内してくれました。

友達がカリブ海を渡ってアメリカにイカダで亡命したという若者の家にもこっそりと取材に行きました。お母さんは配給手帳を見せてくれて、芋とババナしか手に入らないとカストロのダメさ加減を激しく非難していました。親戚にもアメリカに逃げた人がおり、ドルを地下送金してくれるネットワークのことも聞きました。自分たちもいつか亡命したいと言っていましたが、彼らはいまどうしているのかなあ。

それでもカストロ体制は90年代をなんとか乗り切り、21世紀に入ってからは各種経済システムの自由化を実施して、最近ではエボラ禍の西アフリカに国家事業でもある医師団の大量派遣を行って面目を施していました、米国内でもついひと月ほど前、この国際貢献に免じて経済制裁の緩和という動きも報じられていたのです。

ところがその一方で今年の原油急落はキューバにも大きな影を落としていました。ソ連の代わりにキューバを支えていた産油国ベネズエラが経済破綻に直面し、それがキューバ経済に波及していたのです。ラウル・カストロ政権としてもオバマ政権のこの「太陽政策」は渡りに船だったはずです。

もちろん、カストロ革命で米国に亡命せざるを得なかった当時の既得権益層はいつかキューバを取り戻そうと復讐心に燃えていたのですが、このオバマの方針変更でカストロ体制が延命するとカンカンです。でも、亡命移民の二世、三世はむしろこれを歓迎している。共和党の有望株マルコ・ルビオ上院議員(42)はキューバ系で、国交回復反対の急先鋒ですが、それはむしろ世代的には少数派。オバマ民主党は、200万人近いこのキューバ系有権者の票勘定もしたはずです。それはフロリダ州での次期大統領選にも関係してくるし、フロリダのヒスパニック票がいまプエルト・リコ系の方が多いという事実も分析したはずなのです。

ところで、来年から上下両院で多数派となる共和党は国交再開のための予算執行や経済制裁解除で徹底拒否に回るでしょう。大使館の設置にしてもその建設費などは議会の承認を経ないと出てきませんから。そこでオバマとしては大統領令でできる細々としたことで先に既成事実を積み重ねてゆく、という算段でしょう。共和党としても反対一本槍では、150kmも離れていないカリブ海の隣国との関係として、果たしてどれだけ支持されるでしょうか。じじつ、日本と違って党議拘束などない米国議会では、この国交再開を歓迎している共和党議員も出ています。なにせ50年以上も経済制裁を続けて埒が開かなかったのは、転機を訴えるのによいタイミングだったのかもしれません。

それにしてもオバマは中間選挙での敗北を経て、逆にオバマらしさを打ち出してきて、レイムダックになるのをまったく感じさせません。まあそれも来年の議会との攻防を見なくては判断するに早いでしょうが。

December 15, 2014

「圧勝」の正体

「自公圧勝」と一面に大見出しが踊ったのは読売と産経でした。しかしその割に各局の開票速報テレビ特番に顔を出した安倍総理はあまり笑顔が持続しませんでした。というかはっきり言って時にとても苛立っていた。

中でもひどかったのは読売系であるはずの日本テレビ「NEWS ZERO」での村尾信尚キャスターへの受け答え。アベノミクスで賃金は来年も上がると強調する安倍首相に対し「中小企業に賃上げ余力はあるのか」と問われると、安倍さんはスタジオからの音声イヤフォンを外して「村尾さんみたいに批判しているだけでは何も変わらない」と一方的にまくし立てる始末。言いたいことしか言わない例の「強弁で糊塗」癖と「言い返し」癖がまたぞろ出てきて、とても「圧勝」の将の弁とは思えません。

もう1つはテレビ東京「池上彰の総選挙ライブ」。「集団的自衛権について選挙戦であまり触れていなかった」と指摘されて安倍さん、「そんなことありませんよ。今までもテレビの討論会で何度も議論したじゃないですか!」「(自民党が)勝ったから(集団的自衛権について)訴えていなかったというのはおかしいと思いますよ」と語気を強めました。

つまり今回の選挙結果は「集団的自衛権容認も支持を得られたと受け止める」ということです。うーむ、そう言いたいのは山々でしょうが、自民党が選挙前、国民の意見がかなり分かれる問題から懸命に話題をそらそうとしていたのも事実。菅官房長官は選挙が決まった先月19日の記者会見で集団的自衛権に関しては「既に憲法改正を国政選挙の公約にしており(信を問う)必要はない」と明言していて、秘密保護法についても「いちいち信を問うべきではない」と争点化を避けていたのです。そして「信を問うのはアベノミクス」と言い切っていた。

自公合わせて議席占有3分の2以上は選挙前と変わりません。つまり「圧勝」ながらも「現状維持」なのです。しかも自民党は議席を3つ(追加公認で最終的に2つ)減らしている。

では何のための選挙だったのか? 野党の体たらくのうちにあわよくば自民だけで3分の2の議席を、とでも皮算用していたのか? 実際、産経新聞などはそう予想していました。安倍さんのあの日の苛立ちはそこら辺が原因かもしれません。

一方で憲法9条改変に反対の党は150から174議席に、原発再稼働慎重派の党は119から139議席へと増えました。そもそも自民のストッパーを自称する公明党が議席を増やしての前議席数越え。そして反自民鮮明な共産が大幅増。自民より右翼と言われる次世代の党が壊滅状態。安倍政権へのこのメッセージは予想以上に明らかではないかと思われます。

前回衆院選も似たようなものでしたが、比例区で自民党に投票した人は今回も全有権者の17%に過ぎません。3分の2という「圧勝」はあくまで小選挙区制というプリズムを通しての数字です。得票率を全国完全比例代表制で議席に分配したら与党勢力は自民158、公明65、次世代12で計235議席で全475議席の過半数に至らず。対して野党勢力は民主87、維新75、共産54、社民12、生活9、幸福2云々となるそうです。

まあいずれにしても14年前の森喜朗政権以降、小泉フィーバーの時の3回を除けば自民党の比例区絶対得票率は16〜18%どまりです。国民有権者の6人に1人くらいしか自民党に積極的に投票していないとすれば、これは「圧勝」という見かけよりも「支持横ばい」が実態です。しかしそれでも安倍政権は「圧勝」で動いていくのでしょう。そして私たちはそれを見越しての対応を考えなければならないのでしょう。

December 09, 2014

戦場の狂気

ファーガソンからスタッテン島の事件まで、黒人に対する暴力警察への抗議が止みません。抗議マーチの人たちとダウンタウンを歩きながら、この人たちはこの社会は自分たちが作っているのだという思いがとても強いのだなと感じました。

これは「水戸黄門」を期待している人たちではありません。コミュニティから国家まで、問題には自分自身が立ち上がらねばと思う人たちです。そんな社会では「権利」の反対語は「義務」ではありません。「権利」の反対語は自分でやらねばという「責任」「責務」の気持ちなのでしょう。

警官側もじつはかつてのKKKのような差別意識丸出しの時代ではもうないのです。ただ、差別は意識していなくとも「黒人は恐い」という、無知の偏見と思い込みがある。なにせ奴隷時代から白人が抑圧者だった国です。彼らは白人に対して敵意を持っているはずだと先読みする。犯罪に対処する警官にとって、普段から警戒するに越したことはないのですから。

この「先読み」はそこでは「偏見」ではなく標準的な「事前警戒」として認識されます。警官はそうして予防的な正当防衛権を行使する。ブッシュ時代に広まったテロ危険国家に対する「予防的先制攻撃」の考え方と同じです。

黒人に対する「プロファイリング」も、人種偏見のバイアスがかかっていると問題になっています。こういう事件が続くとなおのこと、黒人にとっては警官が脅威です。だから逃げようとする。するとまた「止まれ!」と言われて発砲される。対して警官の方もだからいっそう慎重に取り締まる、とはなかなかならない。どうしてもいつ反撃に転じられるか戦々恐々となって、いっそう過剰に自分を守ろうとする。

それは実は戦場での心理です。イラク戦争から帰ってきた元海兵隊員ロス・カプーティーさんの証言があります。あの高遠菜穂子さんが日本各地で彼の講演会を開催して紹介しました。

「私の同僚はイラクでパトロール中、道端に立っている老人を発見し、武器を持っていると判断し即座に射殺しました。が、手にもっていたのはコーランでした」「ファルージャに入る直前に軍の弁護士から交戦規定に関して一度だけ説明があった。自分の身に危険を感じた時に規定を破っても正当防衛ということで軍が守ると言われた」「もし規定違反をしてしまったような場合は、とにかく『身の危険を感じたから』と言いなさいと言われた」

思えば、警官たちが立て続けに不起訴になっているのはこの戦場の論理です。周囲はみな敵かもしれないという疑心暗鬼。そして恐怖を盾にした過剰な暴力の発散。その典型例が1999年にニューヨークで起きたアマドゥ・ディアロさん射殺事件でした。

ディアロさんは自宅アパート前で職質に遭い、警官たちに動かないように言われたにも関わらずポケットに手を入れたために計41発も銃撃されて即死しました。警官4人が過剰防衛で裁判にかけられましたが全員無罪になりました──「41発」という狂気。ポケットには財布しか入っていなかったのに。

この悪循環を断ち切るにはシステムを変えるというハード面での規制も必要です。大統領が導入を発表した警官のボディカメラ装着はニューヨークではじき始まろうとしています。イラクやアフガンからの米軍撤退であぶれた軍用武器が払い下げられて警察の重武装化が進んでいるのも規制しなくてはなりません。警察自体の銃規制が必要なのです。とはいえ警官たちの心の中の、戦場の狂気こそが問題なのですが。

December 02, 2014

礼節を知る

選挙の際になぜいつも景気の話が最も重要視されるのか、それは何を為そうにも生活が保障されていない限りすべてがむなしいからです。ですから今回の解散総選挙で安倍首相は「この道しかない」と言ってアベノミクスの推進を前面に押し出しているのでしょう。

けれど、アベノミクスそのものが成功しているのか、正しい「道」なのか、という点には実質賃金が16カ月連続でマイナスになっているなど、さまざまな疑問が生じ始めているのも事実です。

思えばアベノミクスはその命名自体こそが政治的成功でした。経済の話は難しいのでなかなかついていけない。でも「アベノミクス」と聞けばなんとなく実体があるような、具体的な政策のように聞こえます。

簡単に言えばそれは世間にお金をじゃぶじゃぶ注ぎ込んでカネ余りの状態を作り、そこで「国土強靭化」と称する公共投資をやっていけば、そのうちに民間の会社にも活力がみなぎるはずだという政策なんですが、活力がみなぎる前に米格付け会社ムーディーズが日本の国債を1つ格下げしたというニュースも飛び込んできました。

ムーディーズも勝手なもんで「消費増税を見送ったことで財政健全化が遠のいた」というのが一因だそう。一方では消費増税のあおりで個人消費が落ち込み、財政健全化の一端を担う税収増の源(民間活力)がヘトヘトになっているのに。結局アベノミクスも「行くも地獄、戻るも地獄」状態だということですか。

しかし「この道しかない」と言うだけあって、野党にはアベノミクスに対抗する経済政策の上手いネーミングがありません。なので有権者には魅力的な「別の道」がさっぱり見えてこない。

私は「アベノフィックス(アベノミクスの修正)」が必要だと思うんですが、そもそもどうして景気が大切なのかというと、それは「衣食足りて礼節を知る」ためなのだと信じています。少なくとも私は礼節を知って「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会(世間)において、名誉ある地位を占めたいと思」うのです。

ところがアベノミクスでもなんでもいい、とにかく日本経済を再生させて安倍政権が手に入れようとしているものが、どうもこの「礼節」とは違うもののように思えてしょうがない。

集団的自衛権の閣議決定という解釈改憲やチェック機能なしの特定秘密保護法の施行は、戦争や全体主義のあの時代の残酷さを忘れた逆の意味の「平和ボケ」にしか思えませんし、先の選挙で脱原発や反TPPを訴えてそれらを全て反故にした無責任さも、景気条項を外した消費増税の決定を「増税先送り」と呼ぶセコさも、そして何より首相自らが民族差別組織を宣伝したり先の大戦を美化したりするような不見識も、礼節とはかけ離れている。礼節なくしていったい何のための景気回復なのでしょうか?

選挙に際してぜひ肝に銘じてほしいことがあります。民主主義というのは何かをするのに適した制度ではなく、むしろ何かをさせないよう生み出された制度なのです。何かを為すには話し合いなどない独断専行がいちばん手っ取り早い。でもそうすると権力は必ず独善と横暴に堕します。

独裁や専政、圧政、そういうことをさせないためにわざとまだるっこしい手続きである民主制度が作られました。選挙とは、権力の奢りを遅滞させ反省させる唯一の武器なのです。まだるっこしさの覚悟がないところに民主主義は成立しません。景気の話と同時に、選挙では礼節と覚悟の話もぜひ考えてください。