原理には原理を
「イスラム国」が2億ドルの身代金を払わねば人質の日本人2人を殺害すると予告した事件は米国でも波紋を広げています。米国ではすでにジャーナリストら3人が容赦なく斬首されていて、この件で私に話しかけてきた友人たちも、2人の運命がすでに決まっているかのように「アイ・アム・ソーリー」と言うばかりでした。
米政府はこれまで交渉を表向き全く拒否して空爆を強化してきました。「それが功を奏しつつあってISIL(イスラム国)は追い込まれている」とも発表されたばかりでした。20日のオバマ大統領の一般教書演説でも「イスラム国」の壊滅を目指し、国際社会で主導的な役割を果たすとの決意表明がありました。
交渉しない代わりに、諜報力でどこに拠点があるのか割り出し、そこを急襲して人質を救出するという作戦も行われています。ところが失敗して、昨年12月には数日中に解放予定だった英国人人質を殺させてしまったこともある。
そういうのがアメリカのやり方です。まるでハリウッド映画です。そうじゃない世界の可能性というものはないのか? アメリカ式ではない別の道はないのでしょうか?
今回、拉致されているジャーナリストの後藤さんはシリアに入る際に「日本はイスラム国と直接戦っていない。だから殺されることはないだろう」と語っていました。しかし、安倍首相はエジプトでの記者会見で「イスラム国対策2億ドル支援」を勇ましく表明しました。曰く「ISILがもたらす脅威を少しでも食い止める」「ISILと闘う周辺各国に総額で2億ドル程度支援をお約束」。
ところが人質殺害予告後のイスラエルでの会見はもっぱら「非軍事的な人道支援」を強調した内容で、「イスラム国」を刺激しないためか一転して名指しすらせずもっぱら「過激主義」とのみ呼んでいました。
私はイスラエルでの会見はとてもバランスのとれた、平和主義日本の立場をよく説明した声明だと思いました。それは日本憲法の前文と9条の精神を下地にしたもののようでした。「イスラム国」に対し「何を言っているのだ。日本は困っている人々に手を差し伸べる国家なのだ。2億ドルはそういう支援だ。そんな私たちの国民を殺害するなどイスラム法に則っても正義はない」と正面から啖呵を切れる論理だったと思えたのです。
ここに疑問が湧きます。エジプトでの声明とイスラエルでの声明との間にある明らかな語の選択と語調の差。それこそが安倍外交の齟齬、外務省の失敗の自覚なのではないか? エジプト声明での自慢気さに「拙い」と気づいての慌てての語調変更。
私は「イスラム国」には対抗すべきだと思っているし、「わざわざ標的になるような余計なことは言うな」とは思いません。ただ、彼らの原理主義への対峙は、米国追従やハリウッド的なテロ絶対悪説ではなく、もっと根源的な別の人間原理に基づくべきだと思っています。その原理とはまさに憲法前文と9条と民主主義による真正面からの反撃のことなのだと思うのです。そしてそれこそが、ハリウッド式ではない、世界のもう一つの在り方なのだ、ということなのです。
そんなことを言うとまた「平和ボケのお前が9条を掲げてシリアに入って、おめでたい人質救出交渉でもしてこい」とか「北朝鮮や領土問題の中国や韓国にも同じこと言えるのか」と言う人が現れます。はいはい、でも私が話しているのはそういうその場その場での対処方法の話なんかじゃないんです。
83年からパキスタンやアフガニスタンで戦火の中でも医療活動や水源確保・農業支援活動を続けてきた中村哲さんが毎日新聞の取材に答えて次のように語っています。
「単に日本人だから命拾いしたことが何度もあった。憲法9条は日本に暮らす人々が思っている以上に、リアルで大きな力で、僕たちを守ってくれているんです」
平和憲法を平和ボケだとかお題目唱えてろとか言う人たちは、そんな中村さんたちの、現場の切実な安心感はわからんのでしょうね。