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June 29, 2015

無理と道理

安保法制に関する安倍政権の国会答弁にあまりに呆れたり怒ったりでブログ更新も忘れていました。でもそろそろ書かねばなりません。何に怒っているのかというと、これまで築かれてきた立憲主義の道理が安倍政権によってことごとく無視されていることにです。

そもそも立憲主義=憲法とは時の政府の権力を制限し、国民の権利・自由を擁護するためのものです。なのに安倍首相は「それは王権が絶対権力を持っていた時代の考え方で古いものだ。憲法は国の形、理想と未来を語るものだ」と独自の見解を固持しています。王様の時代には憲法なんか存在すらしていなかったのに、です。

「独自」というか「勝手」は安倍政権のすべてを覆っています。集団的自衛権は日本に数多いる憲法学者のたった3人しか明確に合憲だと考えていないのに合憲だと言い張り、しかもその根拠はだれもが「?」な砂川判決だと言います。そんな無理な牽強付会がまかり通れば日本社会で道理が通じなくなります。

百田尚樹を招いての自民党若手の勉強会の問題でも同じです。安倍は「(自民に批判的な)マスコミを懲らしめるには広告収入がなくなるのが一番」と発言した議員には「自民党は自由と民主主義の政党」「私的な勉強会」だからと謝罪を拒否、「沖縄の2紙は絶対に潰さなあかん」とした百田に関しても「その場にいないのに勝手におわびできない。発言した人だけができる」と他人事で済ませました。

こうした「無理」の背景はすべて、じつは自民党の「憲法改正草案」にあります。

「自民党草案」21条は言論・表現の自由を保障すると書きながら「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動(中略)は認められない」と但し書きを入れます。自民党の論理では「マスコミ」は「公益と公の秩序を害する」報道をしているのだから「懲らしめ」てよいことになる。テレ朝幹部を呼びつけて安倍政権を批判した報道番組に関して査問したのはつい先日です。

注目の9条はタイトルを「戦争放棄」から「安全保障」「平和主義」へと「改正」します。まるで今回の安保法制が「平和安保法制」となったのと同じ種類の改名です。改正草案では、武力の行使は「永久にこれを放棄する」という文言が消えているのにも関わらず。

自衛隊の活動拡大で懸念される徴兵制も、まるで国家的急務においてはOKとも読めるようになります。なにせ国民の権利が尊重されるのは憲法草案に頻出する「公益及び公の秩序に反しない限り」(13条)で、「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚」するのが国民の責務(12条)なのですから。

もとより「憲法改正をするために政治家になった」と明言してきた首相です。その露払いたる解釈改憲での集団的自衛権の容認理由を、まるで降ってわいたように「日本を取り巻く安全保障環境が変わったからだ」とうそぶくのは、この「環境の変化」を奇貨としているというよりもむしろ、未必の故意の外交不在でわざと敵対環境を仕組んだのだと勘ぐられても仕方がないほどです。

昨今の自民党の「無理くり」ぶりは自分たちが常に「公」であるという「一強」の自信から来ています。安保法制やメディア弾圧に限りません。2520億円以上かかってなおも赤字な新国立競技場の計画を推進するのも政治的知性の劣化です。政権交代はそんな自民党システムの限界を多くが知ったから起きたのに、政権復帰後の自民党はそれを反省ではなく重篤化させているように思えてなりません。

June 26, 2015

アメリカが同性婚を容認した日

2015年6月26日、連邦最高裁が同性婚を禁止していたオハイオ州など4州の州法を、法の下での平等を保障する連邦憲法修正14条違反と断じました。これで一気に全米で同性婚が合法となったのです。

聖書によって建国されたアメリカには戸惑いも渦巻いています。28日に全米各地で行われた性的少数者のプライド・パレードにも眉をひそめる人が少なからずいます。その「嫌悪」はどこから来るのでしょう? そしてアメリカはその嫌悪にどう片を付けようとしているのでしょう?

それを考えるには、1973年、1993年、2003年、2013年という節目を振り返ると良いと思います。

▼それは22年前のハワイで始まった

じつは「法の下での平等」というのは1993年にハワイ州の裁判所が全米で初めて同性婚を認めた時にも使われた論理です。ところがそれは当時、州議会や連邦政府に阻まれて頓挫します。それから22年、今回の連邦最高裁の判断までに何が変わったのでしょう?

これを知るには46年前に遡らねばなりません。69年6月28日にビレッジの「ストーンウォール・イン」というゲイバーで暴動が起きました。警察の摘発を受けて当時の顧客たちが一斉に反乱を起こしたのです。

そのころのゲイたちは「性的倒錯者」でした。三日三晩も続いたそんな大暴動も、新聞記事になったのは1週間経ってからです。それは報道に値しない「倒錯者」たちの騒ぎだったからです。

▼倒錯じゃなくなった同性愛

ところがその4年後の1973年、アメリカの精神医学会が「同性愛は精神障害ではない」と決議しました。同性愛は「異常」でも「倒錯」でももなくなった。では何なのか? 単に「性的には少数だが、他は同じ人間」なのだ、という考え方の始まりです。

その20年後の1993年には世界保健機関(WHO)が「同性愛は治療の対象にならない」と宣言しました。これで世界的に流れは加速します。ハワイが同性婚容認を打ち出したのもこの年です。

そして2000年以降オランダやベルギーなど欧州勢が続々と同性婚を合法化し始めました。

▼犯罪でもなくなった同性愛

そんな中、アメリカ連邦最高裁が歴史的な判断を下します。2003年6月26日、13州で残っていた同性愛性行為を犯罪とするソドミー法を、プライバシー侵害だとして違憲と断じたのです。これでマサチューセッツ州が同年、同性婚を合法と決めたのでした。

しかし2州目はなかなか現れませんでした。それが変わったのが2008年です。オバマ大統領が選ばれた年です。その原動力だった若い世代が世論を作り始めていました。

彼らの世代は性的少数者が普通にカミングアウトし、「異常者」ではない生身のゲイたちを十全に知るようになった世代でした。結果、2013年には「自分の周囲の親しい友人や家族親戚にLGBTの人がいる」と答える人が57%、同性婚を支持する人が55%という状況を作り出したのです。

▼だから法の下での平等

その年の2013年6月26日に再び連邦最高裁は画期的な憲法判断をします。連邦議会が1996年に決めた「結婚は男女に限る」とした結婚防衛法への違憲判断です。そして2年後の先週6月26日、さらに踏み込んで同性婚を禁止する州法自体が違憲だと宣言したわけです。

結論はこうです。1993年時点では、そしてそれ以前から、同性愛者は「法の下での平等」に値しない犯罪者であり精神異常者でした。それがいま、「法の下での平等」が当然の「普通の」人間だと考えられるようになったのです。人々の考え方の方が変わったのです。

ところで1973、1993、2003、2013年と「3」の付く年に節目があったことがわかりましたが、途中、1983年が抜けているのに気がつきましたか? そこに節目はなかったのでしょうか?

じつは1980年代は、その10年がすべての節目だったのです。何か? それはまるごとエイズとの戦いの時代だったのです。同性愛者たちは当時、エイズという時代の病を通じて、差別や偏見と真正面から戦っていた。その10年がなければ、その後の性的少数者たちの全人格的な人権運動は形を変えていたと思っています。

興味深いのは昨今の日本での報道です。性的少数者に関する報道がこの1〜2年で格段に増えました。かつて「ストーンウォールの暴動」が時間差で報道されたように、日本でもやっと「報道の意義のある問題」に変わってきたということなのかもしれません。