「理解」が足りない?
どうにも引っかかるのが、安保法案の審議に関して「国民の理解が進んでいない」と繰り返す安倍首相以下、政権の言葉です。「反対しているのは理解していないからだ。理解さえ進めば賛成するはずだ」とはつまり、この法案に異例の抗議署名を連ねた日本の1万人の学者・研究者を筆頭に、反対者はみな理解力に欠けるという認定なのでしょうか。
「理解が進んでいないから反対している」のではなく、「この法案は憲法違反であり、安倍首相のこの性急な強行姿勢はどこかおかしい」と「理解」しているからこそ反対している──じつは政府はそれを恐れているのです。16日の衆院強行採決は、これ以上「理解が進む」と反対がさらに増えるので「支持率の高い今のうちに強行採決した方がよい」という判断が働いていたのですから。
はたして安保法案強行可決で安倍内閣の支持率は30%台にまで急落し、不支持は50%前後に増えました。これを受けて安倍首相はおそらくは人気浮揚の秘策と用意していたのでしょう、それまでは論外としてきた大不評の新国立競技場の突然の建設計画白紙撤回を発表しました。しかも実は「1カ月前から検討していた」という打ち明け話まで付けて、あたかもこれが首相自らの英断であるとの印象操作までしながら。そうであるとすればなぜ、撤回20日前の6月29日にそもそも総工費2520億円(+加算忘れの周辺整備費72億円)の政府案を決定したのか、という矛盾はスルーしたまま。
だいたい、3000億円もの馬鹿げた建設案を認めたのは政府であり、それを政府自らが撤回したからといって、それが支持率回復につながるという都合のよい発想はどこから来るのでしょう。思いっきり落書きをしてしまった小学生が自分でそれを消したからといって、そこで言うべきことは「ボクってエラいでしょ」ではなくて「ごめんなさい」なのです。
安保法案の「理解を進める」ために首相は20日、かねてより懇意である日枝会長のフジTVの番組に90分も出演して、「支持率を上げるために政治をしているのではない」とうそぶきました。ひとさまの年金をジャブジャブつぎ込み株価を上げ、円安を仕組んで海外への日本売りを進めてはアベノミクスの功績だと吹聴して支持率を維持してきた、それがすべての強権の前提であると骨の髄まで知っているはずの御仁の言うこととはとても思えません。
そして集団的自衛権の「わかりやすい説明」として持ち出したのがまた三軒の家が燃える「たとえ話」です。首相は「日本の消防士たちが、日本に延焼する恐れがあるのでアメリカの離れの家の火事を一緒に協力して消すというのが集団的自衛権だ」と話し、それが国際的に正しい行動規範だと強調したのですが、このたとえ話は軍事の常識に無知なのか、知ってて国民をだましにかかってるのかどちらかです。
だって、「火事」には「敵」はいません。火を消すときに襲撃される心配はないし、消火活動に協力することで憎まれることもありません。
首相は他にもこれを「町内みんなで戸締まりをしっかりやろうという法案、特定の泥棒をやっつけようという法案ではない」と説明したことがあります。これもおかしな「たとえ話」です。なぜならそれは集団安全保障の話であって、敵を想定する集団的自衛権の話ではないからです。
「理解」を進めると言いながらその実「理解」を妨げる政府のこの不誠実を、「理解」しているからこその反対であるということを、今後の参院審議を通して安倍政権はしみじみ理解すべきなのです。