安倍マクベス
国民の6割以上が今国会での成立を「拙速」と考えているのに、安倍政権は安保法案を来週16日に強行可決するそうです。自民党の高村副総裁は「国民のために必要だ。十分に理解が得られていなくても決めないといけない」と断じます。
成立への凄まじいまでのこの固執は、どこから来ているかより、どこへ向かおうとしているのかを考える方がわかりやすい。それは「私たち」の国ではなく「彼ら」の国家です。もちろん民主政治を指して「衆愚政治」と呼ぶことはあります。賢人がそんな衆愚を導くこともあるでしょう。
しかしいまは古代ギリシャではないし、「ナチスの手口に学べばいい」とか「立憲主義なんて聞いたことない」と言ってはばからない政府が「賢人」であるとはとても思えません。高村の言は単に、現在の一政権の命運だけを気にしているふうにしか聞こえない。
というのも、彼らが盛んに吹聴する「周辺環境の悪化」というのも、この法案を成立させるために小さな脅威を大きく見せつけているようにしか思えないからです。
「東シナ海のガス田開発で中国が新たに12基のプラットホームを新設している」というのは、今年の防衛白書では当初「施設建設や探査を行っている」との表現にとどまっていました。それが自民党で「表現が弱すぎる」とヤリ玉にあがり、急に「新たな建設」「一方的な開発」と付け加えられました。さらに中谷防衛相が国会でそれが軍事拠点化される「恐れ」があると強調した。
ところがこれは東シナ海で日本が主張する日中の「中間線」(中国の主張する目一杯こちら側に張り出した「中間線」ではなく、わが日本の主張する「中間線」です)に従った中国側経済水域内での経済活動であって、中国は別に日本の水域を侵しているわけではありません。文句のつけようはないのです。しかも軍事施設でもないのにそのように仮想してみせる。
中国の南沙諸島岩礁埋め立てにしても、海洋法条約では「人工島及び構築物はそれ自体の領海を有しない」と定めていてすぐにどうだという話じゃありません。そこに中国が「一方的に」埋立てや飛行場建設を行ったと騒がれていることについても、軍事評論家の田岡俊次さんはフィリピンはパグアサ島、ベトナムがチュオンサ島、マレーシアがラヤンラヤン島に、いずれも他国の了承なしに「一方的」に飛行場を建設し、一部では埋立ても行っていて、中国の行為だけを「一方的」と論じるのは公正ではないと説明します。
南シナ海で中国が支配権を握っているような報道も間違いで、12ある「島」はベトナム、フィリピン、台湾、マレーシアが支配していて中国の支配はゼロ。どこに喫緊の脅威があるのか?
安倍政権のこの前のめりぶりを見ていると、私はシェイクスピアの「マクベス」を思い出します。王を暗殺して自分が王になったマクベスは、自分の周囲にいる者たちをすべて脅威に感じて、自衛のために次々と先制的に友人や臣下を殺していくのです。それは自衛の妄想スパイラルです。
究極の自衛を考え詰めれば「攻撃は最大の防御である」に落ち着きます。9・11後のブッシュ政権はその妄想で誤った戦争を起こしました。
そんな「自衛の妄想スパイラル」に落ち込まないために日本は「専守防衛」という方策を育んできたのです。その70年分のクレジットを、今の一政権が、喫緊ではない「周辺環境の悪化」を煽り立ててかなぐり捨てようとしている。切迫した「脅威」といえば朝鮮戦争や中ソ対立の時の方がはるかにひどかったでしょうに、そんなことは思い出しもしない。
彼らはすでに妄想の領域に落ちているのかもしれません。
ちなみに今年、日本の演劇界が劇団の大小を問わずさまざまに「マクベス」を上演しています。流山児事務所もやりましたし、今度は蜷川マクベスも17年ぶりに再演となるそうです。これを、アベ政権に対する演劇界からのメッセージだと見るのは深読みに過ぎるでしょうか。