排除と防衛の本能
6日に行われたフランスの地方選で極右政党の「国民戦線」が記録的な支持を集めました。得票率は全体の28%。5年前の前回選挙では11%でしたから2倍半にも増えました。全13の選挙区のうち半分近い6選挙区で首位、しかも党首マリーヌ・ルペン(47)とその姪の副党首マリオン・マレシャル・ルペン(25)は、それぞれ40%超の票を獲得したのです。
130人もが殺害された11月のパリ同時多発テロの不安が「反EU」「反移民」を訴える同党への共感を呼んでいるのでしょう。
同じことがカリフォルニア州の銃乱射テロでも言えます。共和党大統領候補ドナルド・トランプは例によって全てのイスラム教徒の米国渡航を禁止すべきだと主張し始め、支持率をさらに上げています。
銃規制問題も、こういう事件が起きるたびに米国社会には「銃規制すべきではない」「自分と家族を守るために銃所持は必要」という世論も逆に高まるのです。
これまで、米国で最も銃が売れた1日は3年前の12月21日でした。この日の1週間前、コネチカット州ニュータウンで26人殺害の例の「サンディフック小学校銃撃事件」が発生していたのです。
今年のブラックフライデーでも、過去最高の18万5千件以上の銃購入犯歴照会すなわち過去最高の銃セールスがありました。もっともブラックフライデーに限らず、銃の売り上げ自体も今年は年間を通して例年より増加しています。というか、4人以上が死傷した銃乱射事件自体が今年はすでにカリフォルニアの事件で355件目。こういうのを「負のスパイラル」というのでしょうか。
「反EU」「反移民」「難民規制」「反イスラム」「反銃規制」──これらはすべて人間として当然の防衛本能から始まっていることです。私たち人間は、経験則からも常に「悪いことが起きる」と想像してそれに対処できるようまずは身構えることから始めるようにできています。何かいいことがあるはずと想像してガッカリするよりも、初めに悪いことを想像していればそう落ち込まずにも済む、という先回りした自己防衛です。
しかしそればかりでは人間生活は営めません。周囲に戦々恐々としているだけでは友情も共存も平和すらも訪れません。つまりは繁栄もない。「己を利する」ことだけを考えていては結局周囲の反感を買って「己を利する」ことができなくなるという「利己主義」の矛盾がそこにあります。
「防衛」も似た矛盾を抱えています。究極の防御は「予防的防衛」です。「予防的防衛」は「予防的先制攻撃」にすぐにシフトします。そして「予防的攻撃」に専心すれば相手側も先に予防的攻撃を防ぐ予防的攻撃を画策するでしょう。
それが軍拡競争でした。7万発という、人間世界を何度滅ぼせばいいのかというレベルの核兵器が存在した80年代冷戦期の愚蒙を経て、私たちはその矛盾を知っていたはずでした。
それでも背に腹は変えられない。まずは生き延びねば話にならない。それはそうです。しかしそういうことを主張する人々が「防衛」の後の「共存」の展望を、「利己」の後の「利他」の洞察を、ほとんど度外視しているふうなのは何故なのでしょう。その人たちの脳はマルチタスクではないのでしょうか?
フランスやアメリカを笑ってはいられません。中国の脅威だ、北朝鮮のミサイルだ、と同じパニック感を背景に日本でもいま、平和共存の理念が排除防衛の本能に置き換わろうとしています。
背に腹は変えられません。が、背と腹はともに存在して人間なのです。