生ぬるさの裏側で
「改憲勢力が3分の2議席」という今回の参院選の結果を、NYタイムズはアメリカの大統領選やイギリスのEU離脱国民投票とは異なって「ポピュリズムの激しい感情のうねりを必要とせずに達成された。日本の選挙は現状への諦めを反映しているようだ」と論評しました。「大衆はハッピーじゃない。けれど投票で何かが変わるとも思っていない。自民党への支持はせいぜい生ぬるい程度のものでしかない」というテンプル大学アジアン・スタディーズ部長ジェフ・キングストン教授のコメントも合わせて。
この「生ぬるさ」を、高知新聞が興味深いアンケートで裏打ちしています。高知市内で100人に質問したところ、今回の参院選での「3分の2議席」の意味を83人までの人が知らなかったというのです。
「3分の2」というはもちろん憲法改定の是非を国民投票にかけるために必要な議席数です。自民、公明を中心とした改憲派が3分の2を占めたのがこの参院選でもあったのですが、その一方で憲法を変えることに賛成の人はアンケートの100人中35人、反対の人は51人ですから、憲法改定には漠然とでも抵抗がある。けれど「3分の2」のことは気にしていなかったというわけです。
今回から始まった18歳選挙権にしても、蓋を開ければ18、19歳の投票率は45%そこそこ。全体よりも9ポイント以上低いものでした。
どうしてかくも政治への関心が「生ぬるい」のか? ロイターは「人口減少、社会保障制度の先細り、生まれてからずっと停滞している経済まで、日本の若者は不満の種に事欠かないのに」といぶかります。そして「日本の若者は、学校でほとんど政治に触れていない。政治活動のイメージを悪くさせた1960年代の暴力的な学生デモが残した『遺産』なのかもしれない」と推測します。
その「学校」のことで、自民党のウェブサイトが参院選のさなかに「教育現場の中には『教育の政治的中立はありえない』あるいは『子供たちを戦場に送るな』と主張し中立性を逸脱した教育を行う先生方がいる」として、「政治的中立を逸脱するような不適切な事例を具体的(いつ、どこで、だれが、何を、どのように)に記入してください」と〝タレ込み〟〝密告〟を促す書き込み欄を設けていたことが明らかになりました。
「子供たちを戦場に送るな」が「中立を逸脱した教育」なのか、という激しい反論がネット上で渦巻いて、自民党は即刻この文言だけは削除しましたが、「密告の勧め」はまだそのまま残っています。この後味の悪さは実は今の教育現場では「後味」ではなく今も舌の上で続く味なのかもしれません。
さらには都知事選に出馬しようとした石田純一さんに対し、政治的行動をしたことでのCMや番組出演に関する違約金が「数百、数千万円」に上るという芸能界の「非政治」圧力もまた、アメリカから見ていると本当に不思議な現象なのです。「日頃から政治に関心を持ちなさい」という時間をかけた〝教育〟が、こういう現象で一気に否定される「反政治」社会を見ていれば、若い人たちが「触れぬ〝政治〟に祟りなし」と感じるようになるのは至極当然なことに思えます。実際、学校で政治のことを話したりすれば生徒や学生同士で「意識高い系」として敬遠される風潮はずっと以前から続いていて(生徒会の会長選にだって立候補者がいないという状況はかねてより指摘され続けてきたことです)、昨年来の学生たちによるあの「SEALDs」運動も、そんな圧倒的な現状への異議を申し立てようというささやかな胎動でした。
もっとも、大人社会でできないことが、若者社会ならできるというのは青春というものへの淡い妄想で、この親にしてこの子ありなのはいつの時代もどの世界でも同じなのかもしれません。
ただ、もう一つ、いつの時代もどこの世界でも共通していることがあります。
それは、政府の言うことは常に「政治的中立」で、それ以外は「中立性を欠く」と言うのは、独裁国家の物言いだ、ということです。それを通用させるには、その前にまず「政治を語らない、関心がない」という世間一般の「生ぬるさ」が必要だということもです。なぜならいつの時代でもどこの世界でも、権力は常にそんな「生ぬるさ」の裏側で策動しているのですから。