第二の「人間宣言」
「社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、(中略)私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います」と「天皇」が切り出したとき、私はほとんどめまいのような感覚に襲われました。「天皇」は「個人」としても「天皇」なのであり、存在そのものが一体である象徴だと(なんの根拠もなく)思っていた自分に気づかされたからです。
それが、ある「個人」が存在して、その人が「天皇」という「務め=機能」について話をしている。では、私の目の前にいる「この人」はいったい「誰?」なのだろうという一閃の疑問がよぎったのでした。そのとき、「天皇」の「お気持ち」表明のこのビデオ・メッセージは実は、「天皇」の新たな、第二の「人間宣言」なのだと気づかされたのです。
日本のメディアは奥歯に物が挟まったような表現しかしていませんが、NYタイムズなど海外メディアの論調は「リタイアメント=引退」という直接表現でこのメッセージを解説していました。あれは確かに「生前退位したい、それが合理的だ」という訴えでした。
生前退位がなぜこんなにも問題になるのか?──それは主に
(1)退位後の上皇、法王化で権威の二重化が起こる恐れがある
(2)退位したいというご自身の意向を装って強制退位させられる恐れも生じかねない
(3)恣意的な退位が可能になれば象徴天皇としての権威が薄れる
(4)皇室典範を変えなければならないので、生前退位を言うこと自体が(違憲の)政治行為になる
──ということでしょう。
これは今の天皇がそうだ、ということではなく、普遍一般の話で、あくまでも様々な「恐れ」を想定した法律論議とならざるを得ないのです。
今上天皇は、15年前には世の嫌韓ブームの走りを察してか自ら「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じています」と話されたり、太平洋戦争での激戦地に慰霊の旅を続けられたりと、とても目配りの利かれた、いまの日本で最大の平和主義者であり、かつ現行憲法の見事な体現者であると感得しています(なんといっても、「天皇」もまた人間的な「個人」であると気づかせてくれているのですから)。
そんな方が上皇になって憲法の制約を離れ、ビシバシ政治的発言をなさるとは思いませんし、今回の「お気持ち」に「陰謀」が仕組まれているとも思いません。今回の「お気持ち」の核はあくまでも82歳という年齢のこと、健康のことなのだと推察します。そしてその「意向」が最初にNHKから報じられ、直後に宮内庁がその「意向」の事実を完全否定したのも、前掲の(4)の政治行為を疑われてはならないという、深慮の末の当然のシナリオだったのだと思います。
さてここでやはり日本のメディアが指摘しない重要な視点が欧米主要紙によって明らかにされています。それは「時代遅れ」と批判される皇室典範の改正で退位が実現すれば、皇室の戦後の大転換として女性天皇容認論議も再燃する可能性がある、ということです。これは10年前にも起きた論議ですが、あの時は安倍首相を含む自民党保守派が、そしてその背後にいるいま話題の「日本会議」が強く反対した経緯があります。そしてそれが、現政権の憲法改定路線にどう関わってくるのか?──もっとも、国民の7割が理解を示す生前退位にも、元号や退位後の地位や住居まで、法整備の問題は山積していて、実現はなかなか難しいのも確かなのですが。