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November 10, 2016

一夜明けて

一夜明けたアメリカは、まるで会う人会う人意気消沈して地下鉄も通りもなんだかゾンビがたむろしているような活気のなさでした。それが夕方6時からユニオンスクエアでの反トランプ集会がFBなどで呼びかけられ、あっという間に数千人が集まって五番街を北上してミッドタウンのトランプタワー前を埋め尽くしました。ヒラリー支持者層の多い都市部での反トランプ抗議デモがそうやって深夜を回っても続いています。カリフォルニアでもフィラデルフィアでもボストンでもシカゴでも、10代の若者たちも多い彼ら彼女らが口々に唱えているのは「Not Our President, We Didn't Vote You!(お前は私たちの大統領ではない。お前には投票しなかった!)」だったり「Dump Trump!(トランプをゴミ箱へ!)」です。性差別主義者で人種差別主義者のトランプを自分達の代表であるとなんかどうしたって認めたくないのです。その気持ちはとてもわかります。この国の分断はいま、内戦でも始まりそうな気運です。

いろんな言説が渦巻いています。総得票数ではヒラリーがわずかですが上回っていることで、アメリカが「トランプランド」というわけではないのだ、とか。確かにトランプは前回の共和党候補ミット・ロムニーの得票数を下回りました。つまり、前回オバマに投票した民主党の支持者たちがヒラリーにはそれほど投票しなかったというのがトランプ勝利の原因だということです。とするとヒラリーの敗因はまさに民主党支持者たちのほうにあるのですが、デモ参加者はそれでも「投票者の過半数がトランプではなくヒラリーに入れたのに、トランプが大統領だなんて言わないでほしい」と訴えます。

怒り、恐れ、不安、絶望、反感……今日のデモに表れたそんな参加者たちと同じ大きさの感情を、しかしおそらくトランプに入れた6000万人の半分は、すでにじっくりと、ゆっくりと、何年もかけて侵食されるような速度で感じていたんだろうと思うのです。それはこの民主主義の国で、民主主義的ではない経済がはびこり、そのせいで民主制度の恩恵から外されてしまったオハイオなどのラストベルト、あるいは中西部や南部の白人労働者たちの重苦しいストレス感情でしょう。それも、黒人よりも白人の労働者たちの方が疎外感は強いはずです。もともと民主制度の内側にいなかった黒人よりも、いたはずなのに気づけば民主主義から外されてしまった、弾き出されてしまったような白人労働者たちの絶望感というのは、違う意味で強く、痛みを伴うものだったはずです。

一方でいまデモをしている者たちは、言葉を持つ者たち、そしてそれを表明するショーウィンドウの都会という場所を持っている人たちです。彼らはこうして都会で抗議と怒りの集会もデモもできる。でも他方で、言葉も、それから集まってデモンストレーションを見せることのできる都会という場所も持たなかった彼らは、これまでずっと鬱屈を募らせるしかなかったのです。今回の投票はそんな彼らの積年の怒りのデモ(発露)だったわけです。

もう一つ、「6000万人の半分」と言いました。では別の半分は誰か? それはいわゆる中流以上のトランプ支持者です。彼らのトランプ支持はどういうものだったかというと、経済の民主主義をさらに遠のけ、富裕層は富裕層として安穏に暮らすための政治体制を望む者たちです。映画「イリジウム」で描かれたような、富裕層が生き残るためだけのセーフヘイヴンを志向する既得権者たちです。まさにトランプのいう「メキシコ国境の壁」の地域版です。その壁はつまり、排外主義、人種差別、「クッキーを焼かない女」たちへの侮蔑と嫌悪の象徴です。たとえそれを口にしなくても、それが隠れトランプの意味です。

もっとも、そんなふうに前者と後者がくっきり色分けできるわけでもありません。前者の中にも排外主義者や差別主義者は少なからず混在し、後者の中にも民主的な経済体制の再構築を望む者もいるはずです。隠れトランプとは、公には口にはできない隠れ排外主義、隠れ人種差別、隠れ性差別主義者のことです。そして昨日のブログで書いたように、民主的な経済システムからいつの間にか疎外されてしまっていた層はまた、民主的な情報システムからも疎外され、何が政治的な正しさなのか、どうしてそれが政治的に正しくかつ口にしてはいけないことなのか、納得できるような情報教育からも長く除外されていた者たちなのです。差別主義者であるのはただ単にそういう境遇の結果だったりもするのでしょう。「男が男らしくして何が悪いのか!」のその「男らしさ」の誤りも弊害も知りもせず教えられもしなかった人生。

トランプに票を投じた6000万人のうち、どれだけの数が非民主的経済的システムの犠牲者なのか、どれだけが逆に非民主的な経済体制をさらに推進して儲けることを考えている亡者なのか、それはわかりません。言えることは、トランプ自身は、人種差別主義で排外主義で性差別主義の後者だということです。前者の鬱憤を票としてうまく利用した、後者の代表です。前者の怒りは非民主的な経済から発した怒りでしたが、実際は、トランプというさらに非民主的な経済の体現者、差別と偏狭さの促進者を求めてしまった。それは「皮肉」というレヴェルの話ではありません。悲劇です。

トランプ勝利後、ノースカロライナ州ダーナムの壁に大書された落書きは「BLACK LIVES DON"T MATTER AND NEITHER DOES YOUR VOTES(黒人の命は大事じゃない。黒人の票だって同じだ)」というものでした。それは英語の文法的には本当は「Neither DOES your votes」ではなくて「Neither DO your votes」とすべきところです。

その愚かしさの持つ悲しさ。そしてそれを「愚かしい」と指摘できてしまう「知」の「上から目線」が彼らを怒らせた原因でもあるという、堂々巡りの「鶏と卵」です。どちらもがどちらもの原因であり結果であるという、種としての人間の「知」の限界です。

内戦状態のようなこの分断は、実はそんな怒りと怒りのぶつかり合いでは解決しません。大切なのは、政治的な民主主義と釣り合う、何にも増しての民主的な経済、そして民主的な情報共有と理解だったのです。

November 09, 2016

未来の新しい何か

開票からなんだか票の出方がやばいなあって思ってたんだよね。そうしたら日が変わって今度はミシガンやペンシルベニアまで持ってかれちゃう感じになって、てかその前からもうダメって感じだったんだけど、未明のタイムズスクエアはどんどん寒くなるし、お祭り騒ぎを期待して来た若者たちもまるで静かになるしで、まるでお通夜みたいになっちゃっててさ。

でも今もなんだかまだ冗談でも見てるような気がするんだな。だってトランプが大統領って、SF映画でアメリカが壊滅状態になっても誰も希望と再建の演説をしてくれる人がいなくなるってことでしょ。トランプみたいな大統領が登場する映画なんてコメディしかないでしょ? この価値観のでんぐり返り、どうするんだろ、ハリウッド。

それにしてもこの選挙、民主党と共和党ってこれまでは政策とか思想信条を基に「左右」で争ってきたんだけど、トランプ対ヒラリーは心理的というか心の動きの上での、理屈と感情、建前と本音、大脳皮質とその奥の原始的な反射脳、みたいな心の中の「上下」の層の争いみたいな感じがした。従来の政治的対立の構図とは違ってさ、なんかよくわからない下克上みたいな気がする。

正直、ダメだなこりゃ、と思った時の最初の感覚は、文化大革命やクメール・ルージュみたいな、やがて反知性主義革命が襲ってくるみたいな気分だった。そもそもこの選挙戦の初めに共和党自体がそんな下克上にメタメタにされたわけだしね。トリックスターがトリックスターの分を超えてキングになっちゃったわけだから。

本戦に入ってからのTV討論会だってまるで女と男の喧嘩だったし、でも実はそれが事の本質を衝いてたんだなとも思う。何かって言うと、トランプが「もうウンザリだ!」って唾棄して見せた「PC(政治的正しさ)」って結局、アメリカでは白人のヘテロセクシュアルの男たちの「この世界はオレ様のためにできてる」みたいな”独善”をことごとく否定するものだったわけでしょ? 「女は黙ってろ」とか「オカマは気持ち悪い」とか「黒人のくせに」とかメキシコ人のことを「オンブレ」と呼んだりとか。対してヒラリーはそういう「男」の非PCにことごとくケチつける嫌な女(ナスティ・ウーマン)の代表なわけ(と、少なくとも相手方の非PC頭はそう信じてた)。

そこに「なんでそんなこといちいち文句つけられるんだよ」と面白くない思いをしてきた層が食いついた。そうね、PCって80年代からだからここ30年くらい鬱憤をためてたんだ。「オレたちゃこの西部開拓の国の主人公だったのに、いつの間にか黒人や女やホモたちが偉そうにのさばるようになってよ」なんてさ。彼らは取り残されていたんだ。どうしてそんな「非PC」がダメなのか、誰も教えてくれないし考えることもしなかった。その思いを政治にする言葉も持たなかった。それを代弁してくれる政治家なんかトランプが現れるまでいなかったんだ。もう共感するしかないよね。そんな層が結構な数、ずっと鬱々と潜在していたことを、PCまみれの頭のいいエラいさんたちには(天才統計学者のネイト・シルバーを含めて)まったくわからなかったんだろうな。

するってえと、これは、黒人、女性、ゲイ(LGBTQ+)に続く、アメリカにおける(精神的かつ最大数の)被抑圧層の、遅れてきた大解放運動だったのかもしれないわね。確かにそれ(解放)はアメリカの伝統ではあるんだし。ただ、蓋を開けてみたら思いの外たくさんいた、なんとも奇妙な変形「マイノリティ=白人異性愛男性」運動……。トランプが白人女性層の票を集めたってのはあまり関係ない。白人異性愛男性主義の女性はたくさんいるわけだし。

こないだトランプ支持のある弁護士さんと話してて、彼が言うんだ。「この社会はもう飽和状態で閉塞状態で、内側からはどうにもできない。内側からは腐るだけだ。だからトランプみたいに外側から壊す奴が必要なんです」って。「でも、彼があぶり出した憎悪や差別はどうするんです?」と聞くと「そんな憎悪は昔からあるんですよ。この国はそういう差別や排斥感情を表沙汰にすることで解決してきたんです。トランプはそのための劇薬。アメリカ社会はそんな彼をも消費してゆくはずだと思う」。でも、劇薬にもほどがあるだろうさね。「それはそうだけど、ヒラリー支持者たちはそういう劇薬を使うのが怖い保守派、旧守派なわけですよ。私はトランプでもアメリカは大丈夫だと思います」とね。

ほとんどのトランプ支持者は彼ほどには後のことを考えてない。ただ一票を使って既成社会、上部社会にファックユーを叫びたかっただけかもしれない。後は野となり山となっても、トランプが開発してくれると期待して。でもその期待はきっと叶わなくてもいいんだ。どうせ失うものはとっくに失い終えているんだしって。

そう、トランプは革新候補だったんだよ。すでに未来の「新しい何か」しか残っていない彼らには。

そんなこんなでタイムズスクエアから帰ってきてからも日本のラジオやテレビに「トランプ大統領」の現地報告やら解説やらしてて、朝の9時過ぎになってやっとベッドに入った頃から友人たちがそろそろ起きだしたんだろう、ひっきりなしにテキストやLINEや電話がかかってくるんだよね。「ねえ、どうなるの、一体?」とか「クレイジー!」とか、ショックと不安を共有したいんだろう、とりとめもない放心状態で。若いゲイの子は「ねえ、またクローゼットに戻らなきゃダメなんでしょうか?」って。いやはや。

トランプを支持した者たちにとっての新しい何かは、新しい何かだからと言って常に素晴らしいものとは限らない。それが大問題なわけですわ。「Make America Great Again」のその「Great」は、すでに葬り去ったはずの「偉大さ」であって、新しい偉大さにはなりえないわけだから。

9.11に続いて、11.9という、アメリカの価値観の大転換を、二度も目の当たりにしているわけか。

長く居すぎたな。さてさて私はアメリカを去って、日本への拠点移動の準備をしますわね。クリントンから始まり、クリントンで終わる。

しかし、女性大統領を見たかったな、ほんと。

November 01, 2016

「女嫌い」が世界を支配する

投票日11日前というFBIによるEメール問題の捜査再開通告で、前のこの項で「勝負あったか?」と書いたヒラリーのリードはあっという間にすぼみました。州ごとの精緻な集計ではまだヒラリーの優位は変わらないとされますが、フロリダとオハイオでトランプがヒラリーを逆転というニュースも流れて、なんだかまた元に戻った感じでもあります。

だいたい今回のメール問題の捜査対象は、ヒラリーの問題のメールかどうかもわかっていません。ただFBIがまったくの別件で捜査していたアンソニー・ウィーナーという元下院議員の15歳の未成年女性を相手にしたエッチなテキストメッセージ(sexting)問題で彼のコンピュータを調べたところ、中にヒラリーのメールも見つかったので、それをさらに捜査しなくてはならない、というだけの話なのです。もっと詳しく言えばそのウィーナーのコンピュータは彼が妻と強要していたもので、かつその妻がヒラリーの側近中の側近として働いてきたフーマ・アベディンという、国務長官時代は補佐官を務め、今は選対副本部長である女性なんですね。ということで、そのアベディンのメールも調べることになっちゃう。だからその分の捜査令状もとらなくちゃならない、ということで、「ヒラリーのメール問題」とすること自体もまだはばかられる時点での話なのです。

つまりそのメールが私用サーバーを使った国家機密情報を含んでいるものとわかったわけでもなんでもないのですが、とにかくFBIのジェイムズ・コミー長官は自分の机の上に10月半ばまでに「ヒラリーのメールがあった」という書類が上がってきたものだから、これはこのまま黙殺はできない。捜査はしなくてはならないが、捜査のことを黙っていたりその情報自体を黙殺でもしたら後で共和党陣営にヒラリーをかばうためだったと非難されるに決まっている。しかしだからと言って捜査を開始したと言ったら選挙に影響を与えてしまうとして民主党側からも非難される。どっちが自分のためになるか、おそらく彼は苦渋の決断をしたんだと思います。その辺のジレンマの心境は実は彼がFBIの関係幹部に当てた短文のメールが公表されているのでその通りなんでしょう。でも、それは保身のための決断だった印象があります。

そもそもFBIの捜査プロトコルでは、捜査開始のそんな通告を議会に対して行う義務はないし、むしろ選挙に関係する情報は投票前60日以内には絶対に公表しないものなのです。つまり彼はヒラリーの選挙戦に悪影響を及ぼしても自分が職務上行うことを隠していたと言われることを避けた。そちらの方がリスクが高いと判断したんでしょう。つまりリスクの低い道を選んだわけです。誰にとってのリスクか? そりゃ自分にとってのリスクです。つまり保身だと思われるわけです。

で、週末にかけて、アメリカのメディアはコーミーのそんな保身を責めたり、いや当然の対応だと擁護したりでこの問題で大騒ぎです。

ところが問題はもう1つ別のところにあります。

8年前のヒラリー対オバマの大統領選挙の時も言ってきましたが、なぜヒラリーはかくも嫌われるのか、という問題です。なぜ暴言の絶えないトランプが支持率40%を割ることなく、2年前には圧勝を噂されたヒラリーが最終的にかくも伸び悩むのか?

この選挙を、「本音」と「建前」の戦いだと言ってきました。「現実」と「理想」とのバトル。そしてその後ろで動いているのが、もう明らかでしょう、実はアメリカという国の、いや今の世界のほとんどの国の、拭いがたい男性主義だということです。これまでずっとアメリカという国の歴史の主人公だった白人男性たちが今や職を奪われ、家を失い、妻や子供も去って行って、残ったのが自分は男であるという時代錯誤の「誇り」だけだった。いや、職も家も妻子も奪われていなくとも、もうジョン・ウェインの時代じゃありません。当たり前と思ってきた「誇り」は今や黒人や女性やゲイたちがアイデンティティの獲得と称してまるで自分たちの所有する言葉のように使っています。そこで渦巻くのは、アイデンティティ・ポリティクスに乗り遅れた白人男性たちの、白人(ヘテロ)男性であることを拠り所とした黒人嫌悪であり女性嫌悪でありゲイ嫌悪です。ヒラリーに関してもこの女嫌いが作用しているのです。

マイケル・ムーアの新作映画『Michael Moore in Trumpland』で、彼も私と同じことを言っていました。ムーアは昨年、映画『Where to Invade Next?』を撮るためにエストニアに行ったそうです。かの国は出産時の女性の死亡率が世界で一番少ない国です。なぜか? 保険制度が充実しているからです。アメリカでは年間5万人の女性が死んでいるのに。

そこの病院を取材した時にムーアは壁にヒラリーの写真が飾ってあることに気づきます。彼女もまた20年前に同じ目的で同じ病院に来ていたのです。国民皆保険制度を学ぶために。一緒に写る男性を20年前の自分だと言う医師がムーアに言います。「そう、彼女はここに来た。そして帰って行った。そして誰も彼女の話を聞かなかった。それだけじゃない。彼女を批判し侮辱した」

20年前、国民皆保険導入を主導したヒラリーは一斉射撃を浴びました。「あなたは選ばれてもいない、大統領でもない。だから引っ込んでいろ」と。それから20年、アメリカでは保険のない女性が百万人、出産時に亡くなった計算です。保険制度を語る政治家は以来、オバマまで現れませんでした。

ムーアは言います──ヒラリーが生まれた時代は女性が何もできなかった時代だった。学校でも職場でも女性が自分の信じることのために立ち上がればそれは孤立無援を意味した。だがヒラリーはずっとそれをやってきた。彼女はビルと結婚してアーカンソーに行ってエイズ患者や貧者のための基金で弁護士として働いた。で、ビルは最初の選挙の時に負けた。なぜか? 彼女がヒラリー・ロドムという名前を変えなかったから。で、次の選挙でヒラリーはロドム・クリントンになった。で、その次はロドムを外してヒラリー・クリントンになった。彼女は高校生の頃から今の今までそんないじめを生き抜いてきたのだ、と。

そんな彼女のことを「変節」と呼ぶ人たちが絶えません。例えば2008年時点で同性婚に反対していたのに今は賛成している、と。でも08年時点で同性婚に賛成していた中央の政治家などオバマをはじめとして1人としていなかったのです。

マザージョーンズ誌のファクトチェッカーによればヒラリーは米国で最も正確なことを言っている主要政治家ランキングで第2位を占めるのですが、アメリカの過半が彼女を「嘘つきだ」と詰ります。トランプは最下位ですが、どんなひどい発言でも「どうせトランプだから」の一言で責めを逃れられています。同ランク1位のオバマでさえ再選時ウォール街から記録破りの資金提供を受けていたのに、企業や金融街との関わりはヒラリーに限って大声で非難されます。大問題になっているEメールの私用サーバー問題だってブッシュ政権の時も同様に起きていますが問題にもなっていません。クリントン財団は18カ国4億人以上にきれいな飲み水や抗HIV薬を供与して慈善監視団体からA判定を受けているのに「疑惑の団体」のように言われ、トランプはトランプ財団の寄付金を私的に流用した疑惑があってもどこ吹く風。おまけにこれまで数千万ドル(数十億円)も慈善団体に寄付してきたと自慢していたトランプが実は700万ドル(7億円)余りしか寄付をしてこなかったことがわかっても、そんなことはトランプには大したことではないと思う人がアメリカには半分近くいるのです。

これは一体どういうことなのでしょう? よく言われるようにヒラリーが既成社会・政界の代表だから? 違います。だって女なんですよ。代表でなんかあるはずがない。

嫌う理由はむしろ彼女が女にもかかわらず、代表になろうとしているからです。ヒラリーを嫌うのは彼女が強く賢く「家でクッキーを焼くような人間ではない」からです。嫌いな「女」のすべてだからです。「女は引っ込んでろ!」と言われても引っ込まない女たちの象徴だからです。違いますか?

日本では電車の中で化粧する女性たちを「都会の女はみんなキレイだ。でも時々、みっともないんだ」と諌める"マナー"広告が物議を醸しています。みっともないと思うのは自由です。でもそれを何かの見方、考え方の代表のように表現したら、途端に権力になります。この場合は何の権力か? 男性主義の権力です。男性主義を代表する、男性主義の視線そのものの暴力です。「都会の女はみんなキレイだ。でも時々、みっともないんだ」は、どこをどう言い訳しても、エラそうな男(的なものの)の声なのです。

ヒラリーが女であること、そしてまさに女であることで「女」であることを強いられる。それはフェアでしょうか?

この選挙は、追いやられてきた男性主義がトランプ的なものを通して世界中で復活していることの象徴です。私が女だったら憤死し兼ねないほどに嫌な話です。そしてそれはたとえ7日後の選挙でヒラリーが勝ったとしても、すでに開かれたパンドラの箱から飛び出してきた「昔の男」のように世界に付きまとい続けるストーカーなのです。