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August 30, 2017

米朝の詰め将棋

早朝6時前に発射されて北海道"上空"を超えて2700km飛んだという北朝鮮のミサイルのことで、28日の日本は朝から大騒ぎでした。TVでは「そうじゃない」と沈静化を図る専門家もいたですが、司会者が妙に気色ばんで番組を進行させるので、急ごしらえの台本がやはり危機を煽る安易な方向付けだったのでしょう。まあ、それ以外にどう番組を作れというんだ、という話でもありますが。なにせ首相声明だって「我が国に北朝鮮が弾道ミサイルを発射し、我が国の上空を通過した模様」ですから。

北朝鮮は「我が国」に向けて発射したんじゃありません。それに550kmの「上空」ってのはすでに宇宙であって、スペースシャトルの浮かんでいる400kmよりもはるか上です。万が一間違って何かの部品が落ちてきたって真っ赤に燃え尽きます。しかも日本をまたいで北のミサイルが飛んだのは98年にもあって新たな脅威ですらない。政府はなぜ慌てたフリをするのでしょう。「全国瞬時」という緊急警報「Jアラート」を鳴らしても具体的には「頑丈な建物に逃げて頭抱えてかがみなさい」ですから、まるで大戦末期の竹ヤリ訓練みたいな話です。

ともあれ、今回のミサイルからは、実は脅威というよりも次のような興味深い事実をこそ読み取るべきなのです。
すなわち;

(1)北の相手はこれからもこれまでも常に第一義的にはあくまでも「アメリカ」であって韓国や日本ではない

(2)にもかかわらず今回のミサイルは攻撃すると脅していた「グアム」ではなくアサッテの方角の北海道の南部通過の方向に飛んだ

(3)飛距離の2700kmというのもグアムまでの3300kmより微妙に短い

──つまりこれらは、アメリカを脅そうにも脅しきれない金正恩の心理を表しているのです。

金正恩はいま、混乱を極めるトランプ政権のその混乱をこそ実は恐れているのだと思います。それは格好良く言えばトランプの「予測不能性」の賜物なのですが、ロシアゲートで追い詰められ支持率最低でどん詰まりの彼に起死回生の一手があるとすればそれは北への軍事行動です。さらに、おおっぴらな戦争とともに「斬首作戦」までが吹聴されている。それは恐い。
 
金正恩はそれを回避させるためにのみミサイルと核の開発に邁進してきました。ところがそれが父・金正日の時代にはなかった反応を誘引してしまった。こちらが強く出れば向こうは退く、という期待は誤りです。強い作用は強い反作用を生む。これは物理の法則です。金正恩は強い兵器を所有して、それに見合う強い反発を受けてしまったのです。そんな自明にいまさらたじろいだところで遅いのですが。

そこに先日の国連の新たな制裁決議が追い打ちをかけました。中国やロシアも反対しなかったことで、さらには中国が、北による対米先制攻撃で米国の反撃を受けた場合には中朝同盟の義務を行使(すなわち加勢)しないとも示唆したことで、北は確実に追い詰められました。そんな時に自分から実際に攻撃することは蛮勇以外の何物でもありません。

ではどうなるのか? だからと言って北は核を手放すことは絶対にしません。そして米中も、北の核保有を認めることはメンツの点からいっても地政学的にいっても絶対にない。

ではどうするか? このチキンレースをあくまで論理の上で、詰め将棋のように推し進めることです。米韓はミサイル防衛網をより進化させ、北のミサイルの脅威を限定的なものに封じ込めます。すると米韓の反撃がより現実味を帯びることになる。もとより北朝鮮には第二段攻撃の能力などないのですから、北の戦略はそこで出口を失う自殺行為になります。

要は金正恩に、彼自身が生き延びる道はこのチキンレースを止めること以外にないといかに折伏するかなのです。さもなくば米中暗黙の合意の上での「斬首作戦」の道を探るしかなくなる──もちろんそれはすでに、並行して秘密裏に進んでいるのでしょうが。

August 23, 2017

バノンの退場

スティーブ・バノンの「首席戦略官」という職はトランプ大統領が彼のために特設したものです。この「特別職」はこれまでのホワイトハウスの序列とは別のところにいて、それゆえ彼が自由に動き回れる「影の大統領」とも言われたのでもあるのですが、実際のホワイトハウスの実務トップはそれとは別に「首席補佐官(チーフ・オブ・スタッフ)」という職位が用意されています。

これはこないだ、7月末まで共和党全国委員のプリーバスが務めていました。けれどオバマケア撤廃などでもさっぱり議会共和党の協力を得る繋ぎ役を果たしてくれずにクビになりました。

その後にそこに就いたのが国土安全保障省長官だった元海兵隊大将ジョン・ケリーです。その彼が就任直後からホワイトハウスの指揮系統の序列を本来の形に戻しました。つまり大統領への情報はすべて自分に集約し、これまで傍若無人に大統領と繋がっていた首席戦略官を、つまりバノンを特権的な優先序列から排除したのです。

その予兆はしかし、実は4月7日のシリア攻撃の直前にありました。攻撃2日前の5日、バノンは国家安全保障会議のメンバーから外されたのです。彼は「アメリカ・ファースト」の主唱者です。アメリカに関係ない海外のことには手を触れず、もっぱら国内問題に集中しようという主義。ですからシリアへのミサイル攻撃には断固反対。ところがトランプはそこでバノンの意見を聞き入れず、娘婿のクシュナー及び、やはり2月にロシアゲートで辞めたあのマイケル・フリンの後釜マクマスター安保担当補佐官(こちらは陸軍中将です)の助言に従ってトマホークを打ち込んだ。バノンはこのあたりからうるさがられていたのです。

ところで表向き強気で吠えまくるトランプは、誰がどう見ても1月20日の就任以来、イスラム圏からの入国制限から始まりメキシコの壁、オバマケア、税制改革と、公約政策のほとんどが失敗続きです。できたのは大統領令による独断専行ばかりで、それも裁判所に差し止められたりしてきました。パリ協定からの離脱宣言だってこの先議会でどうなるかわかりません。「誰がどう見ても」というのは、大統領自身が一番よく知っているはずです。おまけに例のロシアゲートの捜査の網がどんどん狭まってきている。トランプ支持者はすでに30%台前半しかいません。内心、焦っていなければただの鈍感。しかもその失敗はほとんどがバノンの主導してきた政策でした。

そこに降って湧いたのが12日のシャーロッツビルの衝突です。これは単に「ロバート・E・リー将軍像」の撤去反対派と賛成派の衝突ではありません。これは白人至上主義者やネオナチやオルトライトなど、元を質せば「ナチス=絶対悪」の流れから派生した有象無象の極右思想と、それに対抗しようとした「アメリカの価値観」との衝突でした。

なのでトランプが「両派ともにいい人々も悪い連中もいた」と言ったのは、「え、そこ?」というまったく枝葉末節な喧嘩両成敗論でした。彼が言ったように反白人至上主義者側にも先鋭的な暴力はあったでしょう。しかしそれをわざわざそこで強調するのは、この問題の本質からわざと目を逸らさせる、「アメリカの価値」への裏切り行為に他ならなかったのです。タブーを衝いて自分の型破りさを披瀝しつつ自分の数少ない支持者たちを喜ばせたがったのかもしれませんが、それは彼の大統領としての不適格性を露わにしてしまう以外何の意味もなかった。ロサンゼルス・タイムズは「Enough is Enough(もうたくさんだ)!」という社説でトランプを攻撃し、共和党議員からもトランプ擁護論は皆無です。そして、彼にそう対応しろと強く勧めたのもバノンだったのです。

NYタイムズによれば7月末にケリーとの間で8月14日のバノンの名誉ある退任が決まっていたそうです。つまりは先に書いた、ホワイトハウスの序列を元に戻した時点で既に退任も織り込み済みだったということです。ところがそこにシャーロッツビルの混乱が重なった。さらに追い討ちをかけるように北朝鮮への軍事行動の可能性を一蹴するバノン発言が雑誌に掲載されたのでした。これがロバの背を折る最後の藁の一本だったのか、それとも単なる蛇足だったのか。

リベラル系雑誌「 アメリカン・プロスペクト」に載ったバノン発言は「開戦30分でソウルの1000万人が北の通常兵器だけで死亡するという軍事的選択肢など、論外だ、あり得ない」というものでした。トランプの功績があるとすれば唯一その得意の脅迫口調で金正恩をビビらせているというものなのですが、せっかく北が一歩ひきさがった時にそういう戦略の舞台裏をバラしてしまうのは(とはいえ、バノンの言っていたことはみんなが言っている至極まっとうな普通の対応なのですが)、今週始まった米韓合同軍事演習の意味をも変えてしまう重大な「閣内不一致」。B-1B爆撃機を投入するとか、先制攻撃をも想定した、というブラフも本当にブラフだったってバラしちゃうことですから、トランプが激怒したのは言うまでもないでしょう。

かくしてバノンは「名誉なく」退任しました。トランプ政権はその弱体さゆえにいまケリー首席補佐官、マクマスター安保担当補佐官、マティス国防長官(元海兵隊大将)といった軍人たちに支えられる軍事政権になりつつあります。弱い指導者が軍に頼るというのは歴史が教えてくれています。それが国防予算の9%=500億ドルの増額と国務省予算の3割削減=人員2300人削減という数字に予兆的に表れていたとも言えます。

昨日、アメリカのアフガニスタン政策が刷新されました。権力の空白を避けるために再び米兵を増派する方向です。イラクでのISISの教訓を経て、オバマの立案した撤退戦略の見直しなのでしょうが、人気最低の大統領がこれまた軍事行動で国民の支持を得ようとするというのも歴史の事実です。そうすると、せっかく「ブラフ」で沈静化している北朝鮮問題も、このあと何が起きるかまたまたわからなくなってきたのでしょうか。

機能不全のホワイトハウス、「最悪の1週間」はいまも常に更新されています。

August 16, 2017

ヘイトの源泉

「シャーロッツビルの衝突」の背景は元をただせば150年前の南北戦争にまで遡ります。バージニア州はちょうどその「南部」の出入り口に位置します。そこはまたあの有名な名将リー将軍の出身地でもあります。

150年前、南北戦争に負けた南部の白人男性たちにはいわゆる「Lost Cause of the Confideracy(南部連合州の失われた大義)」という苦々しい感情が遺りました。この場合の大義とは南部が南部であるアイデンティティのようなものです。それは騎士道精神であったり男らしさであったり、まあ、日本でいう大和魂みたいな南部の誇り、丸っと括れば南部魂のことでしょう。それは必ずしも奴隷制への執着を意味しないとも(言い訳気味に)言われています。

それがノスタルジアであった時はよかったのです。サザン・ホスピタリティという南部ならではの親切心も同根でしょう。なのでこの南部連合の古き良き時代を記念する銅像や公園や碑は全米で南部連合11州よりも多い計31州に700以上、おそらくは1000ほどもあるだろうといわれています。

ところがこの南部の「失われた大義」がいつの間にか右翼思想と結びついてきました。この5年ほどの動きなのですが、それが一気に顕在化したのが2015年6月に起きたサウスカロライナ州チャールストンで起きた黒人教会9人殺害乱射事件でした。意図して黒人たちを標的にした犯人のディラン・ルーフ死刑囚(当時22歳)はアパルトヘイトとKKKに心酔する白人至上主義者でした。その彼が南部連合旗=南軍旗を掲げる自分撮りの写真をネットで披露していたのです。ここで一気に南軍旗への反感が再燃しました。

アメリカでいう右翼思想とは最近は白人至上主義=男性優位主義=異性愛中心主義=優生学=KKK=ネオナチ=オルトライト(Alternative-Right)=銃規制反対論=連邦制反対論=ミリシア(民兵組織)と繋がります。

なのでこの2年来、南部州の公共施設からこの南軍旗を撤去しようという動きが広がりました。人種差別の象徴のように受け取られてきたからです。同時にそれは南軍のシンボル、ロバート・E・リー将軍の銅像も撤去してしまおうという話に拡大しました。

リー将軍の名誉のためにいえば、彼は奴隷制に賛成していたわけではなく、しかしまああの時代ですから積極的反対というわけでもなかったのですが、1856年に妻に宛てた手紙で彼は「奴隷制は道徳的かつ政治的に邪悪なものだ」というふうにも書いています。かつ「奴隷制があるのも無くなるのも神の意志だ。黒人たちはアフリカよりはアメリカでの方が良い生活をしている」とも。もっとも、実際の奴隷たちへの対応は拷問もどきの体罰を加えたりするなどひどいものとして伝えられており、彼の所有した奴隷の1人が「これまでで最もひどい奴隷主だった」と語った記録も残っています。それらは確かにその時代性と併せて判断せねばならないことでしょう。

しかし南北戦争前はアメリカ合衆国=北軍の将だったのに、故郷バージニアがユニオン(アメリカ合衆国)から脱退して南部連合(アメリカ連合国)に合流した際に、北軍から南軍に戻って故郷のために一肌脱いだという、南部魂を具現するような人だったわけです。

ところがここ数年、例のチャールストン黒人教会事件のディラン・ルーフに象徴されるように、右翼・白人至上主義者たちが南部連合旗やリー将軍を自分たちのアイコンとする動きが急激に高まりました。そんな中でシャーロッツビルの市議会も1年間の議論の末、右翼過激思想の白人たちに持ち上げられるリー将軍の銅像を撤去するとこの4月に決めたのです。そしてそれに反対する人々が「Unite the Right(右翼をまとめよう)」という旗印の下、最初に撤去賛成派と衝突したのが7月8日の集会でした。ですから今回は2度目の衝突になるわけです。

最初に「それがノスタルジアであった時はよかった」と書きましたが、実際はこれらの銅像や記念碑がアメリカで建立されたのは1920年代のことです。シャーロッツビルのリー将軍の像も1924年に建ちました。実はこの時代というのはKKKが勢いを盛り返した時代、さらには新たな人種差別・人種隔離法が成立した時代でもあった。つまりはそれらが建立された背景には確かに南部と北部との融和の象徴という名目もあったにもかかわらず、その基部には白人たちが「あの時代」を懐かしむ白人主義の根もまたあったと言わざるを得ません。

ところでそれから再び100年近くして、なぜまたこんなあからさまな右翼過激思想が台頭してきたのか? その答えは衝突現場の集会に参加していたKKKの元リーダー、デビッド・デュークの言葉に表れています。彼はTVカメラに向けて「これはトランプの公約を実現するための行動なのだ」と答えているのです。

トランプ大統領の誕生の際にもその支持層の一部低位白人男性層の心理として説明しましたが、前述の右翼思想のすべては80年代からの「政治的正しさ」によって「アメリカの価値観ではない」ということになりました。「南部」に託けた白人男性主義は、ここで2度目の「失われた大義」を経験することになりました。

次にオバマ大統領の登場です。これは彼ら白人にとっては3度目の屈辱でした。黒人大統領を担ぐヤンキー対その屈辱を口に出しては言えないディクシーという、妙竹林な第2次南北戦争のような心理戦が(ヤンキーの側ではなくディクシーに託ける側の心の中だけで)オバマの任期の8年間潜行していたわけです。その積もり積もった鬱憤が、トランプ大統領登場の勢いに乗じてはち切れます。「アメリカを取り戻す」が彼らの勝手な"南部"魂に変形して「"南部"魂を取り戻す」になった。「PCなんてクソ喰らえ!」というやつです。

この憎悪はですからトランプが作ったのではありません。トランプが解き放ったのは確かですが、作ったのはむしろオバマ大統領だったという歴史のパラドクスなのです。それがいま現出している。

これはつまり150年来の鬱憤ばらしです。なので、もちろんオバマに責任は微塵もありません。責任はそれを解き放たせた、いやむしろ解き放つことを奨励したトランプにあります。

支持率33%(キニピアク大学)とか34%(ギャラップ)とかの数字のそう小さくはない部分は、7月8日、8月12日の衝突集会に集まってきた彼ら白人至上主義者たちが占めています。トランプがすでに「アメリカの価値ではない」とされるそんな彼らを指弾できずに「on many sides」(それもこのフレイズを2度も繰り返して強調したのです)の「this egregious display of hatred, bigotry and violence」を非難する、と、対象を曖昧にしてまるで喧嘩両成敗みたいにコメントしたのも、さらにその理由を記者会見で「白人至上主義者たちの支持が欲しいからですか?」と訊かれても答えずに退場したのも、彼らのそんな行動を後押ししているのが自分であるという自覚があるからです。

リベラルばかりか身内の共和党内からもこの大統領コメントの酷さを指摘されて渋々白人至上主義やKKK、ネオナチらを名指しで批判する2度目のコメントを出さねばならなかった時のトランプは、いかにもオレはいまプロンプターを読んでいるんだぞ、という、なんとも正直な顔をしておりました。

このひどい対応に嫌気が刺したのか、医薬品のメルクCEOケネス・フレイジャー、スポーツ用品のアンダー・アーマーCEOケビン・プランクに次いで、この24時間で3人目の大企業CEOがトランプへの企業助言組織(米製造業評議会)を辞めました。インテルのCEOブライアン・クルザニッチです。

それとは別に、政権内部でも次はあのスティーブン・バノンがクビを切られるという情報が流れています。司法長官のジェフ・セッションズも辞めるかもしれません。残るメンバーの中核は軍人とゴールドマンサックスの出身者。ほとんどすでに空中分解していても不思議ではないホワイトハウスの210日目です。

August 09, 2017

遅ればせながら『この世界の片隅に』

映画『この世界の片隅に』が11日からニューヨークでもアンジェリカ・フィルムセンターなどで上映されます。ニューヨークだけではなく、サンフランシスコやロサンゼルスなどでも公開されるようですが、全米で何館での公開かはまだ定まっていないのか数字が出てきません。でも、イギリスの会社が欧米での配給権を買い取って、パリやロンドンでも映画祭などで好評を博しているようです。ニューヨークでも7月にジャパンソサエティで「Japan Cuts」という日本映画祭で最終日に上映され、260席が満席の人気だったと聞きました。アメリカで映画好きが参考にする映画評サイト「ロットゥン・トマト Rotten Tomato」では、評論家の評価総点が100%ポジティヴというものでした。何かしらネガティヴ評価があったりする中で、これはとても珍しいことです。

このアニメ映画は北海道に帰った今年初め、実は85歳になる母親を連れて雪の中を観に行ってきました。自称「老人性鬱病」の母親はこのところ外出もせず籠りがちで、戦争とはいえ主人公の「すずさん」と同じく自身の少女時代を描いた映画でも見せれば懐かしく元気になるのではないかと思ったのです。「すずさん」にはモデルがいて、その方は今もご存命で御年95歳と言いますから、母よりも10歳も年上ですが、母も13歳で終戦を迎えています。

ところで見終わった母の開口一番は「なんでこんなもの見なくちゃならないの」だったのでした。別につらい昔を思い出して不愉快だったという口調ではなく、ただアッケラカンと「ぜんぜん面白くなかった」と言うのです。「だって、みんな知ってる話なんだもの」と。

実を言うと私の感想も似たようなものでした。ものすごく評判の良いこの作品の、描かれるエピソードの一つ一つがすべて「知っていた話」でした。

戦死した遺体を回収できず、骨の代わりに石ころの入った骨箱だけが戦地から帰還してきたという話は、19歳の時に学生寮の賄いのおじさんに酒飲み話で聞かされて号泣しました。南方戦線でのジャングルの苛酷さやヒルの大きさは高校時代の友人のお父上から怪談のように聞かされ、防空壕での暗闇の生き埋めの恐怖や、特高や憲兵たちの人間とは思えぬ非情さは私の子供時代、トラウマになるほどに何度も何度も少年向け漫画やテレビで描かれていました。闇市や買い出し、食べ物の苦労は宴席で集まる親戚から笑い話のように聞かされましたし、米がなくて南瓜や豆や芋ばかり食べていたせいで、その3つは二度と口にしないと宣言していた年長の友人は4人はいます。大学で出てきた東京の池袋の駅には、あれは東口でしたか、いつも決まって片足のない傷痍軍人が白い包帯と軍服姿で通行人から援助を乞う姿がありました。いやそれ以前に、北海道の本家の玄関にもそんな人たちが何度も訪れてはお金を無心していたものでした。

戦争が狂気だという厳然たる事実は、そうして身にしみて思い知っていました。そんな狂気は何としてでも避けねばという平和主義はだから、理想論でも何でもなく戦後世代の私たちには確固たるリアリズムでした。

だから『この世界の片隅に』は、少なくとも母と私にはタネも仕掛けも知っている手品を見る思いでした。それをなぜ「世間」はかくも絶賛するのだろうかとさえ訝ったほどです。私が知らなかったのはただ、あの時の「呉」という軍港都市で、日本軍の撃った高射砲の砲弾がバラバラに砕けて再び地上の自分たちにピュンピュンと凶器となって降り落ちてきたという事実くらいでした。

そんなとき、3月21日のNYタイムズに「Anne Frank Who? Museums Combat Ignorance About the Holocaust(アンネ・フランクって誰? 博物館、ホロコーストの無知と戦う)」という長文記事が掲載されました。「若い世代の訪問者、外国からの客たちはホロコーストに関するわずかな知識しか持ち合わせていない。時にはアンネ・フランをまるで知らない者もいる」と。だから今、アムステルダムの「アンネ・フランクの家」などは今再び、あのホロコーストの地獄をどうにか手を替え品を替えて、若い世代に、戦争を知らぬ世代に伝え継ぐ努力を常に新たにしているのだ、と。

そのときに気づきました。ああ、あの映画は、あの時代の日常の物語というその一次情報の内容で絶賛されていると同時に、原作者のこうの史代さん(48)や映画版監督の片渕須直さん(57)ら製作陣の、その、すでに忘れられようとしている(私たちの世代にとっては当たり前の知識だった)その一次情報を、今再び伝え継ごうとする努力こそがまた絶賛の対象だったのだ、と。

戦争を生きた世代がどんどん亡くなって、彼らの話を聞いた私たち戦後第一世代は、直接自分が体験したわけではないそんな話を我が物顔で次の世代に語るのを、どこかでおこがましく感じていたのではないか? そんな我らのスキを衝いて、平和憲法を「みっともない憲法ですよ」と言ってのける人が総理大臣になっている時代なのです。

「アンネの日記」はかつて、誰もが知っている歴史的な共通認識でした。でもいまアンネ・フランクを知らない人がいる。広島や長崎も同じです。だから『この世界の片隅に』は、語り継ぐその内容だけではなく、語り継ぐその行為自体をも賞賛すべき映画なのです。語り継ぐことを手控えていた私(たちの世代)としては、代わりに語り継いでくれて本当にありがとうございますという映画、もう、ただ頭を下げて感謝するしかない映画なのです。

遅ればせながら『この世界の片隅に』

映画『この世界の片隅に』が11日からニューヨークでもアンジェリカ・フィルムセンターなどで上映されます。ニューヨークだけではなく、サンフランシスコやロサンゼルスなどでも公開されるようですが、全米で何館での公開かはまだ定まっていないのか数字が出てきません。でも、イギリスの会社が欧米での配給権を買い取って、パリやロンドンでも映画祭などで好評を博しているようです。ニューヨークでも7月にジャパンソサエティで「Japan Cuts」という日本映画祭で最終日に上映され、260席が満席の人気だったと聞きました。アメリカで映画好きが参考にする映画評サイト「ロットゥン・トマト Rotten Tomato」では、評論家の評価総点が100%ポジティヴというものでした。何かしらネガティヴ評価があったりする中で、これはとても珍しいことです。

このアニメ映画は北海道に帰った今年初め、実は85歳になる母親を連れて雪の中を観に行ってきました。自称「老人性鬱病」の母親はこのところ外出もせず籠りがちで、戦争とはいえ主人公の「すずさん」と同じく自身の少女時代を描いた映画でも見せれば懐かしく元気になるのではないかと思ったのです。「すずさん」にはモデルがいて、その方は今もご存命で御年95歳と言いますから、母よりも10歳も年上ですが、母も13歳で終戦を迎えています。

ところで見終わった母の開口一番は「なんでこんなもの見なくちゃならないの」だったのでした。別につらい昔を思い出して不愉快だったという口調ではなく、ただアッケラカンと「ぜんぜん面白くなかった」と言うのです。「だって、みんな知ってる話なんだもの」と。

実を言うと私の感想も似たようなものでした。ものすごく評判の良いこの作品の、描かれるエピソードの一つ一つがすべて「知っていた話」でした。

戦死した遺体を回収できず、骨の代わりに石ころの入った骨箱だけが戦地から帰還してきたという話は、19歳の時に学生寮の賄いのおじさんに酒飲み話で聞かされて号泣しました。南方戦線でのジャングルの苛酷さやヒルの大きさは高校時代の友人のお父上から怪談のように聞かされ、防空壕での暗闇の生き埋めの恐怖や、特高や憲兵たちの人間とは思えぬ非情さは私の子供時代、トラウマになるほどに何度も何度も少年向け漫画やテレビで描かれていました。闇市や買い出し、食べ物の苦労は宴席で集まる親戚から笑い話のように聞かされましたし、米がなくて南瓜や豆や芋ばかり食べていたせいで、その3つは二度と口にしないと宣言していた年長の友人は4人はいます。大学で出てきた東京の池袋の駅には、あれは東口でしたか、いつも決まって片足のない傷痍軍人が白い包帯と軍服姿で通行人から援助を乞う姿がありました。いやそれ以前に、北海道の本家の玄関にもそんな人たちが何度も訪れてはお金を無心していたものでした。

戦争が狂気だという厳然たる事実は、そうして身にしみて思い知っていました。そんな狂気は何としてでも避けねばという平和主義はだから、理想論でも何でもなく戦後世代の私たちには確固たるリアリズムでした。

だから『この世界の片隅に』は、少なくとも母と私にはタネも仕掛けも知っている手品を見る思いでした。それをなぜ「世間」はかくも絶賛するのだろうかとさえ訝ったほどです。私が知らなかったのはただ、あの時の「呉」という軍港都市で、日本軍の撃った高射砲の砲弾がバラバラに砕けて再び地上の自分たちにピュンピュンと凶器となって降り落ちてきたという事実くらいでした。

そんなとき、3月21日のNYタイムズに「Anne Frank Who? Museums Combat Ignorance About the Holocaust(アンネ・フランクって誰? 博物館、ホロコーストの無知と戦う)」という長文記事が掲載されました。「若い世代の訪問者、外国からの客たちはホロコーストに関するわずかな知識しか持ち合わせていない。時にはアンネ・フランをまるで知らない者もいる」と。だから今、アムステルダムの「アンネ・フランクの家」などは今再び、あのホロコーストの地獄をどうにか手を替え品を替えて、若い世代に、戦争を知らぬ世代に伝え継ぐ努力を常に新たにしているのだ、と。

そのときに気づきました。ああ、あの映画は、あの時代の日常の物語というその一次情報の内容で絶賛されていると同時に、原作者のこうの史代さん(48)や映画版監督の片渕須直さん(57)ら製作陣の、その、すでに忘れられようとしている(私たちの世代にとっては当たり前の知識だった)その一次情報を、今再び伝え継ごうとする努力こそがまた絶賛の対象だったのだ、と。

戦争を生きた世代がどんどん亡くなって、彼らの話を聞いた私たち戦後第一世代は、直接自分が体験したわけではないそんな話を我が物顔で次の世代に語るのを、どこかでおこがましく感じていたのではないか? そんな我らのスキを衝いて、平和憲法を「みっともない憲法ですよ」と言ってのける人が総理大臣になっている時代なのです。

「アンネの日記」はかつて、誰もが知っている歴史的な共通認識でした。でもいまアンネ・フランクを知らない人がいる。広島や長崎も同じです。

けれどこれは逆を言えば、アメリカではかつての世代では原爆は太平洋戦争を終結させるための必要悪だった、いや必要悪ですらなく、あれは善だった、という人々が圧倒的だったのでした。でも最近の世論調査では35歳以下では広島・長崎への原爆投下は実は不要だった、悪だった、と答える人たちが多数を占めるようになってきています。おそらくそんな世代へ、『この世界の片隅に』は新たに穏やかながら強い平和への訴えを届けるツールになるに違いありません。今回の北米都市部での上映にとどまらず、今後のネット配信やDVD化なども経て特になおさら、これから末長くゆっくりとけれど確実に、欧米のジャパニメーション世代に浸透してゆくと思います。

ですから『この世界の片隅に』は、語り継ぐその内容と同時に、語り継ぐその行為自体もまた賞賛すべき二段構えの映画なのです。語り継ぐことに気後れし、なんとはなしにそれを手控えていた私(たちの世代)としてはつまり、代わりに語り継いでくれて本当にありがとうございますという映画、もう、ただ頭を下げて感謝するしかない映画なのです。