遅ればせながら『この世界の片隅に』
映画『この世界の片隅に』が11日からニューヨークでもアンジェリカ・フィルムセンターなどで上映されます。ニューヨークだけではなく、サンフランシスコやロサンゼルスなどでも公開されるようですが、全米で何館での公開かはまだ定まっていないのか数字が出てきません。でも、イギリスの会社が欧米での配給権を買い取って、パリやロンドンでも映画祭などで好評を博しているようです。ニューヨークでも7月にジャパンソサエティで「Japan Cuts」という日本映画祭で最終日に上映され、260席が満席の人気だったと聞きました。アメリカで映画好きが参考にする映画評サイト「ロットゥン・トマト Rotten Tomato」では、評論家の評価総点が100%ポジティヴというものでした。何かしらネガティヴ評価があったりする中で、これはとても珍しいことです。
このアニメ映画は北海道に帰った今年初め、実は85歳になる母親を連れて雪の中を観に行ってきました。自称「老人性鬱病」の母親はこのところ外出もせず籠りがちで、戦争とはいえ主人公の「すずさん」と同じく自身の少女時代を描いた映画でも見せれば懐かしく元気になるのではないかと思ったのです。「すずさん」にはモデルがいて、その方は今もご存命で御年95歳と言いますから、母よりも10歳も年上ですが、母も13歳で終戦を迎えています。
ところで見終わった母の開口一番は「なんでこんなもの見なくちゃならないの」だったのでした。別につらい昔を思い出して不愉快だったという口調ではなく、ただアッケラカンと「ぜんぜん面白くなかった」と言うのです。「だって、みんな知ってる話なんだもの」と。
実を言うと私の感想も似たようなものでした。ものすごく評判の良いこの作品の、描かれるエピソードの一つ一つがすべて「知っていた話」でした。
戦死した遺体を回収できず、骨の代わりに石ころの入った骨箱だけが戦地から帰還してきたという話は、19歳の時に学生寮の賄いのおじさんに酒飲み話で聞かされて号泣しました。南方戦線でのジャングルの苛酷さやヒルの大きさは高校時代の友人のお父上から怪談のように聞かされ、防空壕での暗闇の生き埋めの恐怖や、特高や憲兵たちの人間とは思えぬ非情さは私の子供時代、トラウマになるほどに何度も何度も少年向け漫画やテレビで描かれていました。闇市や買い出し、食べ物の苦労は宴席で集まる親戚から笑い話のように聞かされましたし、米がなくて南瓜や豆や芋ばかり食べていたせいで、その3つは二度と口にしないと宣言していた年長の友人は4人はいます。大学で出てきた東京の池袋の駅には、あれは東口でしたか、いつも決まって片足のない傷痍軍人が白い包帯と軍服姿で通行人から援助を乞う姿がありました。いやそれ以前に、北海道の本家の玄関にもそんな人たちが何度も訪れてはお金を無心していたものでした。
戦争が狂気だという厳然たる事実は、そうして身にしみて思い知っていました。そんな狂気は何としてでも避けねばという平和主義はだから、理想論でも何でもなく戦後世代の私たちには確固たるリアリズムでした。
だから『この世界の片隅に』は、少なくとも母と私にはタネも仕掛けも知っている手品を見る思いでした。それをなぜ「世間」はかくも絶賛するのだろうかとさえ訝ったほどです。私が知らなかったのはただ、あの時の「呉」という軍港都市で、日本軍の撃った高射砲の砲弾がバラバラに砕けて再び地上の自分たちにピュンピュンと凶器となって降り落ちてきたという事実くらいでした。
そんなとき、3月21日のNYタイムズに「Anne Frank Who? Museums Combat Ignorance About the Holocaust(アンネ・フランクって誰? 博物館、ホロコーストの無知と戦う)」という長文記事が掲載されました。「若い世代の訪問者、外国からの客たちはホロコーストに関するわずかな知識しか持ち合わせていない。時にはアンネ・フランをまるで知らない者もいる」と。だから今、アムステルダムの「アンネ・フランクの家」などは今再び、あのホロコーストの地獄をどうにか手を替え品を替えて、若い世代に、戦争を知らぬ世代に伝え継ぐ努力を常に新たにしているのだ、と。
そのときに気づきました。ああ、あの映画は、あの時代の日常の物語というその一次情報の内容で絶賛されていると同時に、原作者のこうの史代さん(48)や映画版監督の片渕須直さん(57)ら製作陣の、その、すでに忘れられようとしている(私たちの世代にとっては当たり前の知識だった)その一次情報を、今再び伝え継ごうとする努力こそがまた絶賛の対象だったのだ、と。
戦争を生きた世代がどんどん亡くなって、彼らの話を聞いた私たち戦後第一世代は、直接自分が体験したわけではないそんな話を我が物顔で次の世代に語るのを、どこかでおこがましく感じていたのではないか? そんな我らのスキを衝いて、平和憲法を「みっともない憲法ですよ」と言ってのける人が総理大臣になっている時代なのです。
「アンネの日記」はかつて、誰もが知っている歴史的な共通認識でした。でもいまアンネ・フランクを知らない人がいる。広島や長崎も同じです。だから『この世界の片隅に』は、語り継ぐその内容だけではなく、語り継ぐその行為自体をも賞賛すべき映画なのです。語り継ぐことを手控えていた私(たちの世代)としては、代わりに語り継いでくれて本当にありがとうございますという映画、もう、ただ頭を下げて感謝するしかない映画なのです。