ヘイトの源泉
「シャーロッツビルの衝突」の背景は元をただせば150年前の南北戦争にまで遡ります。バージニア州はちょうどその「南部」の出入り口に位置します。そこはまたあの有名な名将リー将軍の出身地でもあります。
150年前、南北戦争に負けた南部の白人男性たちにはいわゆる「Lost Cause of the Confideracy(南部連合州の失われた大義)」という苦々しい感情が遺りました。この場合の大義とは南部が南部であるアイデンティティのようなものです。それは騎士道精神であったり男らしさであったり、まあ、日本でいう大和魂みたいな南部の誇り、丸っと括れば南部魂のことでしょう。それは必ずしも奴隷制への執着を意味しないとも(言い訳気味に)言われています。
それがノスタルジアであった時はよかったのです。サザン・ホスピタリティという南部ならではの親切心も同根でしょう。なのでこの南部連合の古き良き時代を記念する銅像や公園や碑は全米で南部連合11州よりも多い計31州に700以上、おそらくは1000ほどもあるだろうといわれています。
ところがこの南部の「失われた大義」がいつの間にか右翼思想と結びついてきました。この5年ほどの動きなのですが、それが一気に顕在化したのが2015年6月に起きたサウスカロライナ州チャールストンで起きた黒人教会9人殺害乱射事件でした。意図して黒人たちを標的にした犯人のディラン・ルーフ死刑囚(当時22歳)はアパルトヘイトとKKKに心酔する白人至上主義者でした。その彼が南部連合旗=南軍旗を掲げる自分撮りの写真をネットで披露していたのです。ここで一気に南軍旗への反感が再燃しました。
アメリカでいう右翼思想とは最近は白人至上主義=男性優位主義=異性愛中心主義=優生学=KKK=ネオナチ=オルトライト(Alternative-Right)=銃規制反対論=連邦制反対論=ミリシア(民兵組織)と繋がります。
なのでこの2年来、南部州の公共施設からこの南軍旗を撤去しようという動きが広がりました。人種差別の象徴のように受け取られてきたからです。同時にそれは南軍のシンボル、ロバート・E・リー将軍の銅像も撤去してしまおうという話に拡大しました。
リー将軍の名誉のためにいえば、彼は奴隷制に賛成していたわけではなく、しかしまああの時代ですから積極的反対というわけでもなかったのですが、1856年に妻に宛てた手紙で彼は「奴隷制は道徳的かつ政治的に邪悪なものだ」というふうにも書いています。かつ「奴隷制があるのも無くなるのも神の意志だ。黒人たちはアフリカよりはアメリカでの方が良い生活をしている」とも。もっとも、実際の奴隷たちへの対応は拷問もどきの体罰を加えたりするなどひどいものとして伝えられており、彼の所有した奴隷の1人が「これまでで最もひどい奴隷主だった」と語った記録も残っています。それらは確かにその時代性と併せて判断せねばならないことでしょう。
しかし南北戦争前はアメリカ合衆国=北軍の将だったのに、故郷バージニアがユニオン(アメリカ合衆国)から脱退して南部連合(アメリカ連合国)に合流した際に、北軍から南軍に戻って故郷のために一肌脱いだという、南部魂を具現するような人だったわけです。
ところがここ数年、例のチャールストン黒人教会事件のディラン・ルーフに象徴されるように、右翼・白人至上主義者たちが南部連合旗やリー将軍を自分たちのアイコンとする動きが急激に高まりました。そんな中でシャーロッツビルの市議会も1年間の議論の末、右翼過激思想の白人たちに持ち上げられるリー将軍の銅像を撤去するとこの4月に決めたのです。そしてそれに反対する人々が「Unite the Right(右翼をまとめよう)」という旗印の下、最初に撤去賛成派と衝突したのが7月8日の集会でした。ですから今回は2度目の衝突になるわけです。
最初に「それがノスタルジアであった時はよかった」と書きましたが、実際はこれらの銅像や記念碑がアメリカで建立されたのは1920年代のことです。シャーロッツビルのリー将軍の像も1924年に建ちました。実はこの時代というのはKKKが勢いを盛り返した時代、さらには新たな人種差別・人種隔離法が成立した時代でもあった。つまりはそれらが建立された背景には確かに南部と北部との融和の象徴という名目もあったにもかかわらず、その基部には白人たちが「あの時代」を懐かしむ白人主義の根もまたあったと言わざるを得ません。
ところでそれから再び100年近くして、なぜまたこんなあからさまな右翼過激思想が台頭してきたのか? その答えは衝突現場の集会に参加していたKKKの元リーダー、デビッド・デュークの言葉に表れています。彼はTVカメラに向けて「これはトランプの公約を実現するための行動なのだ」と答えているのです。
トランプ大統領の誕生の際にもその支持層の一部低位白人男性層の心理として説明しましたが、前述の右翼思想のすべては80年代からの「政治的正しさ」によって「アメリカの価値観ではない」ということになりました。「南部」に託けた白人男性主義は、ここで2度目の「失われた大義」を経験することになりました。
次にオバマ大統領の登場です。これは彼ら白人にとっては3度目の屈辱でした。黒人大統領を担ぐヤンキー対その屈辱を口に出しては言えないディクシーという、妙竹林な第2次南北戦争のような心理戦が(ヤンキーの側ではなくディクシーに託ける側の心の中だけで)オバマの任期の8年間潜行していたわけです。その積もり積もった鬱憤が、トランプ大統領登場の勢いに乗じてはち切れます。「アメリカを取り戻す」が彼らの勝手な"南部"魂に変形して「"南部"魂を取り戻す」になった。「PCなんてクソ喰らえ!」というやつです。
この憎悪はですからトランプが作ったのではありません。トランプが解き放ったのは確かですが、作ったのはむしろオバマ大統領だったという歴史のパラドクスなのです。それがいま現出している。
これはつまり150年来の鬱憤ばらしです。なので、もちろんオバマに責任は微塵もありません。責任はそれを解き放たせた、いやむしろ解き放つことを奨励したトランプにあります。
支持率33%(キニピアク大学)とか34%(ギャラップ)とかの数字のそう小さくはない部分は、7月8日、8月12日の衝突集会に集まってきた彼ら白人至上主義者たちが占めています。トランプがすでに「アメリカの価値ではない」とされるそんな彼らを指弾できずに「on many sides」(それもこのフレイズを2度も繰り返して強調したのです)の「this egregious display of hatred, bigotry and violence」を非難する、と、対象を曖昧にしてまるで喧嘩両成敗みたいにコメントしたのも、さらにその理由を記者会見で「白人至上主義者たちの支持が欲しいからですか?」と訊かれても答えずに退場したのも、彼らのそんな行動を後押ししているのが自分であるという自覚があるからです。
リベラルばかりか身内の共和党内からもこの大統領コメントの酷さを指摘されて渋々白人至上主義やKKK、ネオナチらを名指しで批判する2度目のコメントを出さねばならなかった時のトランプは、いかにもオレはいまプロンプターを読んでいるんだぞ、という、なんとも正直な顔をしておりました。
このひどい対応に嫌気が刺したのか、医薬品のメルクCEOケネス・フレイジャー、スポーツ用品のアンダー・アーマーCEOケビン・プランクに次いで、この24時間で3人目の大企業CEOがトランプへの企業助言組織(米製造業評議会)を辞めました。インテルのCEOブライアン・クルザニッチです。
それとは別に、政権内部でも次はあのスティーブン・バノンがクビを切られるという情報が流れています。司法長官のジェフ・セッションズも辞めるかもしれません。残るメンバーの中核は軍人とゴールドマンサックスの出身者。ほとんどすでに空中分解していても不思議ではないホワイトハウスの210日目です。