告発の行方
アメリカのような「レディー・ファースト」の国でどうしてセクハラが起きるんですかと訊かれます。セクハラは多くの場合パワハラです。それは「性」が「権力」と深く結びつくものだからです。「性」の本質はDNが存続することですが、そのためには脳を持つ多くの生き物でまずはマウンティングが必要です。それは、文字どおり、かつ、比喩的にも、「権力の表現形」なのです。
なので、権力がはびこるところではセクハラも頻発します。個人的な力関係の場合も社会的な権力の場合もあります。男と女、年長と年少、白人と黒人、多数派と少数派──パワーゲームが横行する場所ではパワハラとセクハラ(あるいは性犯罪)は紙一重です。
この騒動の震源地であるハリウッドの大物プロデューサー、ハーヴィー・ワインスティンや、オスカー俳優ケヴィン・スペイシーへの告発は以前から噂されていました。トランプは大統領になる前はセクハラを自慢してもいました。けれど告発が社会全体の問題になることはほとんどありませんでした。結果、これまではコメディアンのビル・コスビーやFOXニュースのビル・オライリーなど、ああ、1991年、G.W.ブッシュが指名した最高裁判事ののクラレンス・トーマスへのアニタ・ヒルによる告発の例もありましたね、でもいずれも個人的、散発的な事件でしかありませんでした。それがどうして今のような「ムーヴメント」になったのか。
私にはまだその核心的な違いがわかっていません。女性たち、被害者たちの鬱積が飽和点に達していた。そこにワイントンポストやNYタイムズなどの主流メディアが手を差し伸べた。それをツイッターやフェイスブックの「#MeToo」運動が後押した……それはわかっていますが、この「世間」(アメリカやヨーロッパですが)の熱の(空ぶかしのような部分も含めて)発生源の構成がまだわかり切らない。わかっているのは、そこにはとにかく物事を表沙汰にして徹底的に正しく解決しようという実にアメリカ的な意志が働いていることです。ヒステリックな部分もありますが、恐らくそれもどこかふさわしい共感点へたどり着くための一過程なのでしょう。
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日本でもそんなアメリカの性被害告発の動きが報道されています。ところが一方で、TBSのTV報道局ワシントン支局長だった男性のレイプ疑惑が、国会でも取り上げられながらも不可解なうやむやさでやり過ごされ、さっぱり腑に落ちないままです。
同支局での職を求めて彼と接触したジャーナリスト伊藤詩織さんが、就労ビザの件で都内で食事に誘われた際、何を飲まされたのか食事後に気を失い、激しい痛みで目を覚ますとホテルの一室で男性が上に乗っていたというこの件では、(1)男性に逮捕状が出ていましたが執行直前に警視庁から逮捕中止の指示が出たこと、(2)書類送検されたがそれも不起訴で、(3)さらに検察審査会でも不起訴は覆らず、その理由が全く不明なこと。そしてそれらが、その男性が安倍首相と公私ともに昵懇のジャーナリストであることによる捜査当局の上部の「忖度」だという疑い(中止を指示したのも菅官房長官の秘書官だった警視庁刑事部長)に結びついて、なんとも嫌な印象なのです。
性行為があったのは男性も認めているのに、なぜ犯罪性がないとされたのか? 何より逮捕状の執行が直前で中止された事実の理由も政府側は説明を回避しています。言わない理由は「容疑者ではない人物のプライバシーに関わることだから」。
しかし問うているのは「容疑者でない」ようにしたその政府(警察・検察)の行為の説明なのです。アメリカの現在のムーヴメントには「物事を表沙汰にして徹底的に正しく解決しよう」という気概があると書きましたが、日本ではレイプの疑惑そのもの以前の、その有無自体を明らかにする経緯への疑義までもが「表沙汰」にされない。ちなみに、当の刑事部長(現在は統括審議官に昇進)は「2年も前の話がなんで今頃?」と週刊誌に答えています。「(男性が)よくテレビに出てるからという(ことが)あるんじゃないの?」と。
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折しも12月12日はアラバマ州での上院補選でした。ここでも40年前の14歳の少女への性的行為など計8人の女性から告発を受けた共和党のロイ・ムーアの支持者たちが、「なぜ40年前の話が選挙1カ月前になって?」と、その詩織さん問題の元刑事部長と同じことを言っていたのです。性犯罪の倫理性には時効などないし、しかも性被害の告訴告発には、普通と違う時間が流れているのです。
しかしここはなにせアラバマでした。黒人公民権運動のきっかけとなった55年のローザ・パークス事件や、65年の「血の日曜日」事件も起きたとても保守的な土地柄。白人人口も少なくなっているとはいえ70%近く、6割の人が今も定期的に教会に通う、最も信仰に篤いバイブル・ベルトの州の1つ。ムーアも強硬なキリスト教保守派で州最高裁の判事でした。そして親分のトランプと同じように、彼自身も性犯罪疑惑などという事実はないの一点張りの強硬否定。性被害を訴えるウェイトレスたちのダイナーの常連だったのにもかかわらず、その女性たちにはあったこともないと強弁を続けました。
案の定、告発そのものをフェイクニュースだと叫ぶ支持者はいるし「ムーアの少女淫行も不道徳だが、民主党の中絶と同性婚容認も同じ不道徳」「しかもムーアは40年前の話だが、民主党の不道徳は現在進行形だ」という"論理"もまかり通って、こんな爆弾スキャンダルが報じられてもこの25年、民主党が勝ったことのない保守牙城では、やはりムーアが最後には逃げ切るかとも見られていました。おまけにあのトランプの懐刀スティーブ・バノンも乗り込んで、民主党候補ダグ・ジョーンズの猛追もせいぜい「善戦」止まりと悲観されていたのです。
それが勝った。
トランプ政権になってからバージニアやニュージャージーの州知事選などで負け続けの共和党でしたが、その2州はまだ都市部で、アラバマのような真っ赤っかの保守州での敗北とはマグニチュードが違います。
バイブル・ベルトとラスト・ベルト──支持率30%を割らないトランプ政権の最後の足場がこの2つでした。アラバマの敗北はその1つ、バイブル・ベルトの地盤が「告発」の地震に歪んだことを意味します。来年の中間選挙を考えると、共和党はこうした告発があった場合に、否定一本で行くというこれまでの戦略を変えねばならないでしょう。とにかくいまアメリカはセクハラや性犯罪に関しては「被害者ファースト」で社会変革が進行中なのです。