『火と憤怒 Fire and Fury』
そもそもどこの「精神的にとても安定した天才」が自分のことを「精神的にとても安定した天才だ」と言うだろうか、という疑義がまずあるものですから、この本自体の信憑性への細かな疑問がすっ飛ばされて、とにかく「さもありなん」で読み進んでしまうのがこの本の怖いところです。とにかくKindle版で購入して、ざっと一通り最後まで読んでみました。
いみじくもセクハラ辞任したFOXニュースの元CEOロジャー・アイルズがトランプに関して冒頭部分でこう語っています。「あいつは頭を殴られても、殴られたと分からずに攻撃し続ける」。アイルズはトランプのそんな「恥知らずさ」が好きなのだそうです。そう、この『火と憤怒』(もちろんこの題名はトランプによる北朝鮮への脅し文句から取っています)は、トランプの非常識と破廉恥と無知ぶりの暴露を欲している人々に、それらを惜しみなく与えるように書かれています。だから驚きよりも「やっぱり」と思ってしまう。だいたい、大統領になんかなりたくないんじゃないか、という話は選挙前にこのコラムでもさんざん書いてきましたし、政権発足後の政権内の人物関係の軋轢も、既に知っている文脈から外れていません。もっとも、この本には脚注も出典も引用元も書いていないので、まるで見ていたような描写は一体どういうものなのか引っかかりはするのですが。
著者のマイケル・ウルフはニューヨーク・マガジンやハリウッド・リポーター誌などで業界ウラ話的なコラムを書いていた人です。私の知人で出版事情に詳しい版権エージェントの大原ケイさんが、そのウルフが選挙期間中からやたらとトランプを持ち上げる記事を書くのを変だなあと思っていたそうです。それもこれも彼がトランプ政権に食い込むしたたかな作戦だったようで、実際、彼はそんな記事が気に入られてトランプと知り合い、ホワイトハウスでは大統領執務室のあるウエストウィングで「壁のハエ」になれるほどどこでも出入り自由、雑談自由だったと取材の舞台裏を明かしています。大原さんは、トランプ政権のスタッフにしても彼のことを知っていたらヤバイとわかりそうなものだけど、政権内で本を読むのはスティーブ・バノンぐらいだったから気づかれなかったのだろうと呆れています。
かくして暴露された内輪話は、数々の細かな事実誤認はあるものの、イヴァンカが解説したあの髪の秘密とか、メラニアを「トロフィーワイフ」と呼んではばからないとか、毒殺を恐れて歯ブラシには触らせないとかマクドナルドしか食べないとか、あるいは合衆国憲法のことも共和党下院議長だったジョン・ベイナーの名前も知らなかったとか、さらには友人の妻を寝取るためにわざとその友人と浮気話をして、それをその妻にスピーカーフォン越しに聞かせたとか、それはそれは唖然とする話ばかりです。
一方で反ユダヤのバノンがジャレッド・クシュナーとどう折り合っていたのかが不思議だったのですが、案の定ジャレッドとイヴァンカの夫婦を民主党支持のリベラルなバカだと非難して「ジャーヴァンカ」とまとめて呼んでいたとか、バノンがジョン・ケリーらを軍人官僚と呼んで毛嫌いしていたとか、政権スタッフたちのそれぞれの悪口の応酬も書かれていて、だから1年も経たないうちに主要スタッフの30%が辞めてしまうという機能不全状態なのだなと、妙に納得するようにもなっています。
政権としてもよほどこの本を恐れているのか、というか言い返せねば気が済まないトランプの性格を忖度してか、上級政策顧問スティーヴン・ミラーが先日、CNNに登場してこの暴露本を「ガーベージ作家によるガーベージ本」と呼んでヒステリックにトランプ擁護をまくし立てていました。ミラーのセリフは「24時間政権攻撃してるんだから3分だけこちらの言い分を話させろ」というものですが、その3分間は同じことの繰り返しで、結局司会のジェイク・タッパーにマイクを切られてしまいました。しかしそのまま番組が終了しても退席せず、結局セキュリティによって強制排除されたそうです。32歳で若いとはいえ、あまりにも拙く幼い。まあ、政治の素人みたいなもんで、政権がたち至らなくなったら自分の行く先も危うくなる身の上、必死であることはわかりますが。
けれどやや不可解なのはこの暴露本の主要部分を構成したスティーヴ・バノンです。発売から3日経ってやっと自分の話したことの「謝罪」と「後悔」を口にするのですが、部分的に誤った引用があるというもののデタラメだとは言わないのです。トランプがフェイク・ブックだとわめきたてても、このバノンの態度がこの本に一定のクレディビリティを持たせてしまっています。バノンは政権をクビになってからもトランプをは毎日連絡を取り合っているとか、100%支持しているとか、先月は日本に来てもそう言っていましたが、殊勝なふりをして実はこの暴露話は政権崩壊を狙っているのではないかとも勘ぐられるほどです。まあ、どうでもいいんですけど。
というか、バノン、このせいでブライトバートの資金スポンサーからも見限られ、あるいはブライトバート自体をも追われかねない状況です。政権崩壊よりも自らが崩壊しそう。
そのバノンがこの本の最後のところでも再び登場してきます。彼の見立てるトランプ政権の今後は、モラー特別検察官チームが弾劾に追い込む確率が33.3%、修正憲法25条、つまり職務遂行できない(精神の不安定?)として排除される前にトランプが自ら辞任する確率が33.3%、どうにか1期を終えるのが33.3%(しかし2期目はない)と見ている、とこの本は締めくくっているのです。
はてさてどうなることやらのトランプ政権2年目の新年の幕開けです。