酒とワインと和食と洋食と
あのね、今日はちょっと蘊蓄を。NYに24年も住んでた身として、その間の日本の変わり具合もNYの変わり具合も、大変なものでした。で、何が変わったかというその1つが日本酒です。
これまでいろんな日本の醸造元の経営者たちともお会いする機会があって、そんで話してきたんですが、2000年以降ごろからでしょうかね、日本酒が欧米で飲まれるにはどうすればいいんでしょうね、ということをよく聞かれてたわけです。
かつてはジャパニーズ・レストランにしか、それもマスプロダクトの大衆酒しかなかった日本酒ですが、今ではすっかりNYに馴染んじゃって、和食店に行けば醸造元の大小を問わず様々な銘柄を見つけることができるし、フランス料理店でも珍しい日本酒を揃えるソムリエも増えました。まあ、結局日本酒はそうやって「欧米で飲まれる」ようにはなったのですが、ところが日本酒とワインでは本来、決定的、本質的に違うんです。
その違いというのは象徴的に、日本語で「酒を飲みに行こう」という言い方に表れています。「酒を飲む」といっても、「飲む」ためにはそのお店に様々な肴が用意されているのが普通です。ところが英語で「飲みに行こう」と言ったときにはだいたいはバーで、つまみはほとんどありません。あったとしてもバッファロー・ウィング(鶏の手羽元を揚げたり煮込んだりして酸っぱ辛く味付けた軽食)やフレンチフライくらいです。ナッツとかもあるけど。
日本では「酒を飲む」は「メシを食う」に通じます。つまり、そこでは料理は酒を飲むためにあります。それはご飯でも同じ。ご飯を食べるために他の料理がある。そして酒もご飯も「お米」です。様々な料理はその2つの「米」のために捧げられる。すべての料理は、お米を食べるためにこそ用意されるのです。そしてそのお酒、ご飯という2つの形態のお米は、自分のすぐ前、食卓の一番近いところに置かれます。それは紛うことなく、それこそが食事の主役だということです。
ところが西洋料理店で自分の一番前に置かれるのは、肉や魚やスープやサラダといった「他の料理」です。ご飯に当たるパンは左上ですし、お酒に当たるワインは右上です。これはどう見ても、その「料理」を食べるためのつなぎに、パンやワインが脇にある、という位置関係です。
つまりこういうことです。和食と洋食では、主客が逆転しているのです。日本では主食たる「お米」が目の前にある。西洋では主菜たる「料理」が目の前にある。ちなみに、欧米には「主食」という概念はありません。昔々、中学校で「私たち風には米を主食にしている」という日本語を英語にする例文があって、そこでは「We live on rice.」というふうに訳されていました。でもこれ、to live on って「主食」っていう意味じゃないですよね。 rice に乗っかって(頼って)生きている、という意味です。
でも、そんな感じの食べ物はアメリカにあるかなあ、何かなあ? と考えたのですが、それはパンじゃないし、肉でもない。主菜 main dish というのはあるけど、それはいつも食べる具体的な食材のことではないし、あくまで分類としての「主菜」です。日本語の「主菜」という言葉自体、これも「メイン・ディッシュ」からきた翻訳語でしょうね。日本だと「おかず」なんですけど、「おかず」に当たる「一汁一菜」はご飯をメインと考えた場合の、その添え物のことですから、日本の食卓では「主菜」にはなり得ないんですよね。「主菜」とは言っても、それは「おかず」の中でのメインであって、そもそも「おかず」ってのは「お数」のことであり、その他「数々」の副菜、ということで、「副菜」の中では「主=メイン」ではあっても、全体の食事の中の「主」というわけではないのです。格が違う。
「和食と洋食では主客が逆転している」と書きましたが、つまり和食の「主」はお米であるご飯やお酒。一方で洋食での「主」は数々の「おかず」で、そこでは酒類は「主」たるおかずをスムーズに楽しむためのお口潤しの添え物=「従」なる存在なのです。
ですので、日本酒が欧米でワインのように飲まれるためには、ワインのような「従」の地位に行かなければならなかった。つまり日本酒は「お米」=「主」であることをやめなければならなかったのです。
そのために日本酒はどんどんと精米を進め、お米を削りに削って吟醸、大吟醸へと変身しました。それは「お米」くささを捨て、「まるでワインのような」果実香を纏うことでした。つまり「お米」から「果実」に変わることで自ら主役の座を降り、その場所を「主菜」たちに明け渡したのです。それが今の海外での日本酒ブームの、あまり語られない、というかほとんど気づかれていない、舞台裏の謎解き物語です。
とは言え最近日本に帰ってきて気づいたのですが、そんな一時の大吟醸ブームの方向性に「日本酒らしさ」が失われていると感じた造り手が少なからずいたのでしょう、日本での日本酒はここ5年、10年で、海外での志向とは逆に再び「お米らしさ」を取り戻しているような気がします。雑味を消し去りながらもきちんと「日本酒」の日本酒らしさを取り戻した味のものが多くなっている。やはりいろんな酒がなくては面白くありませんからね。
もっとも、それが海外で浸透するためには、今度は本当にお酒が食卓での本来の位置、つまり「すぐ手前」に戻るような、飲み方、食し方自体の日本復帰を紹介することになるのかもしれません。そしてそれは、茶道のお茶が Tea ではなく日本のお茶として浸透しているように、きっと可能だと思います。
というわけでうんちく話は終わりますが、最後にもう1つお役立ち蘊蓄情報を。
先ほどパンは左上、ワインは右上と書きましたが、円卓で座っているとどちらが自分のパンかワインかわからなくなります。そんな時は左右の手でそれぞれ指を伸ばし、そこで親指と人差し指で丸を作ってください。左手は「b」の字、右手は「d」の字の形になりませんか? 「b」はブレッドの「b」、「d」はドリンクの「d」です。その手の先にあるのがあなたのパンとワインです。