「危機」の正体
50人の死者が出ているニュージーランドのモスク襲撃事件に関するトランプの対応にまた批判が集まっています。追悼ツイートの書き出しが「My warmest sympathy and best wishes」と、まるでホールマークのカードみたいなテンプレだったこと(ホールマークというのは全米どこのスーパーに行ってもどーんと棚があるくらいの大量生産カードメーカーです)。〆も「God bless all!」とこれまた無神経なキリスト教定型句であること。記者会見で聞かれても白人至上主義を非難しなかったこと。アーダーンNZ首相に「ムスリムの人々に同情と愛を」と促されても、実際は逆に様々なヘイトツイートを乱発して先週末を過ごしたこと。
言葉尻の問題ではありません。トランプ政権発足後8日目の大統領令はイスラム圏からの入国制限でありシリア難民の入国禁止でした。「イスラム教徒は我々を憎んでいる」「米国内の問題はイスラムという名の問題だ」というツイートもしてきました。2017年8月のシャーロッツビルの白人至上主義集会で、抗議の人々に車が突っ込んで女性が死亡した際も彼は「どっちもどっち」論で同主義への名指しの非難を回避しました。つまりトランプ政権の文脈的かつ構造的な問題なのです。
ここまで露骨な迂回は、彼の支持者たちの核心部に白人至上主義者たちが存在すると知っているからです。今回のこの男もトランプのことを「白人のアイデンティティと新たな目的のためのシンボル」と位置づけ(もっとも、指導者や政策立案者としてはこき下ろしていますが)、犯行目的を「移民によって白人は絶滅の危機に晒されており、白人の子供の未来を守るために犯行を起こした」と記しています。
これは安倍首相が(これまたテンプレ定型句で批判したような)漠然たる「テロ」事件ではありません。明確にイスラム教徒という特定集団を標的にした憎悪犯罪です。犯人は自らを「普通の白人男 an ordinary white man」と表現していますが、これも(安倍支持層の核心部に存在する)勝手な「日本至上主義者」である日本のネトウヨたちが自分を「普通の日本人」と称するのと同じ、ヘイトスピーカーたちの常套句です。
トランプ主義は彼らの危機感をエネルギーにして増殖してきました。英紙ガーディアンの興味深い調査があります。15年以降欧州ではムスリム移民が激減しているのにかかわらず、実際のムスリム人口比率と、人々の想像する同比率には4〜5倍もの差があるというものです。例えばドイツでは実際のムスリム人口は5%にもかかわらず人々は21%いると感じているし、フランスでは8%弱なのに31%以上いると思われている。同じくアメリカではわずか1%ほどのムスリム人口が、16%もいると妄想されているのです。
分断、分断と騒がれますが、これは「危機」への対応の仕方の違いなのでしょう。互いにとって一方は必要以上に危機を言い立てる神経症であり、一方は必要以下に危機に鈍感な平和ボケだと映る。重要なのは、双方ともその行動は「自衛のため」なのだということです。問題はだからその「自衛」が、今回の白人至上主義者の犯人の主張する「絶滅の危機」のように今厳然とここに存在する「危機」へ対する自衛なのか、それとも回り回って寛容と包摂こそが将来の「危機」を回避するのだという自衛なのか、ということなのです。
事件後、お隣の豪州では反イスラム発言を繰り返す極右上院議員フレイザー・アニングの頭に17歳のウィリアム・コノリー少年が抗議の卵を打ちつけ、議員がこの少年を殴り返すという動画がネットで拡散しました。豪首相は少年ではなくアニングの方を非難し、「彼のような考え方が豪州に存在する余地はない」とまで言い切りました。今や「エッグボーイ」として有名になったコノリーの訴訟対策費およびさらなる卵の購入費として集まった支援金の5万豪ドル(約400万円)を、彼は全額モスク犠牲者の遺族に寄付するそうです。
一方、当のニュージーランドではモスクでお祈りするムスリムの人々に寄り添おうと、非ムスリムの住民たちがモスクの入り口前に集まって中の人たちを守るという動きが全土で広がっているそうです。
このエントリーを上げた後で、アーダーン首相が19日の特別議会で次のように演説しました。
"He sought many things from his act of terror, but one was notoriety - that is why you will never hear me mention his name,"
このテロ行為から彼は多くのものを手にしようとしました。その一つは悪名です──だから今後、私が言葉を口にする時、あなた方はその男の名前を決して耳にしないでしょう」
"I implore you, speak the names of those who were lost rather than the name of the man who took them. He is a terrorist. He is a criminal. He is an extremist. But he will, when I speak, be nameless."
皆さんにお願いします。命を失った大勢の人たちの名前を語ってください。その命を奪った者の名前ではなく。その男はテロリストで犯罪者で過激派だ。そして私が言葉を発するとき、その男は無名のままで終るのです」
この言に深くうなづいて、私はエントリーしたこのテキストから「その男」の名前を消すことにします。知りたい人は他の記事でわかりますから。なるほど、悪名を求める者の名を決して広めない。当初、現地からの事件報道で、確保された犯人の姿そのものにボカシが入っていました。それは単に人権への配慮かと思ったのですが、その姿を晒すのとは逆に、そういう意味での映像の排除もありかもしれない。名前は報じるにしても。
無名のまま葬り去る、存在しなかったことにする、その屈辱──「報道」という立場からは例えば冤罪を防ぐ、訴追に抗議する、という可能性からもその名を報じないわけにはいかないでしょうが、「容疑者が悪名を獲得することをも妨げる」という発想は、日本の報道に慣れている私にはありませんでした。
アーダーン首相はこの時の演説を「あなたの上に平安がありますように」を意味するアラビア語の 「アサラーム・アライクン(Al-Salaam Alaikum)」で始めたそうです。ホールマークの安っぽい決まり文句でも「Gad bless all」でもなく。