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2002/04「年を取るのが惨めでない社会」

 チャパクワという、NYグランドセントラル駅から列車で北に1時間ほど行ったところの友人宅でパーティーがあって、久しぶりに市内から郊外に出た。

 3月半ば、春まだ来ずの友人宅の裏庭はざっと千坪(約3300平米)ほどあって、いまだ裸の大木群の中には力強い枝先で早くも産毛にくるまれた大きな蕾たちが天を指す木蓮の木もあった。

 目を落とすと、枯れ草の地面そこここに豆粒大の動物の糞がある。聞けば鹿の糞らしい。夜になるとこの庭の藪の中で眠るのだとか。道理で人の背丈ほどの低木にはみなプラスチックのネットが張られていて新芽が食べられないようにしてあった。

 マンハッタンのビル群にはアメリカの威容を実感するが、こうして郊外に出るとこの国の豊かさについて考えさせられる。

 友人の旦那はIBMに勤めていて、その一方で数年前から油絵を始めた。半地下室には彼のアトリエがあって、初期の頃から現在までの絵が並んでいた。

 初めのころこそ出来損ないのクレーのような絵だが、いまの彼の絵はいやなかなかミニマリズムも堂に入ってとても穏やか、温かな見事な作品。あと数年で会社は引退して絵を描いて暮らすのだという。

 アメリカの会社に定年がないのはご存じだろうか。一定年齢になると用済み、というのは年齢差別だということで自分で辞めない限りいくつでも働ける。もっともそれ以外の理由でのレイオフはあるから終身雇用というのとは違うのだが。

 さて、同じような給料を稼いで同じように生きて、日本では早期引退で絵を描いて暮らせるだろうか。

 より楽しく充実した人生を送るためでなければ年を取る甲斐がない。千坪の裏庭、広いアトリエとまではいわないが、少なくとも年を重ねることが惨めでないような社会に生きたい。それが豊かさの基本だろう。

 アメリカ人の「年を取りたくない願望」には凄まじいものがあるが、一方でこの国の文化の中心概念は「大人であること」であることも確かだ。大人と子供の文化の棲み分けがはっきりしているし、子供向けのものは無産者であることを自覚してどこか遠慮がちに隅の方に控えている。

 「ナイーブ」といえば日本では「純粋で繊細」というほめ言葉だが、欧米では「子供みたいに何も分かっていない」という意味の批判の言葉。だから大人になることは、アメリカではいちばん正しいことなのである。

 いつまでも若くはいたいが、子供であることだけはまっぴら。その後段が、渋谷や原宿といったものの象徴する日本と大いに違うところだろう。

 このほど、「50歳以上の人々の夢と関心を描いた映画」に与えられる「黄金の椅子賞」という映画賞が米国で発表された。最優秀映画賞は豪州映画のサスペンス『ランタナ』、最優秀監督賞は『ゴスフォードパーク』のロバート・アルトマン、そして「年寄りになることを拒絶する大人のための映画賞」はアニメ映画の『シュレック』だった。

 日本のご年輩たちも、これを参考にせめて豊かな娯楽を我が手にお取り戻しくださいな。

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