2002/09「失われた土地を求めて」
あれからもう1年だ。
世界貿易センター(WTC)の跡地はざっと6万5000平方メートル、約2万坪。そこに何をどう作るかをめぐって6つの案が示され、結局そのいずれもが何のエスプリも感じられない代物だとして大不興を買ったのはすでに報道でご存じだろう。
私の友人たちも一様に「何だ、あれは」とあきれていた。あんなのならだれでも考えられる。求められているのは前代未聞の衝撃に見合うだけの鎮魂と慰霊だ。私たちの時代にはこんなことがあった。しかし、せめて未来は違ってほしい、という希望も込めて。
だが、あの6案の設計者も可哀そうなものだった。あの土地はニューヨーク・ニュージャージー港湾管理委員会のもので、同委の他の事業はWTC内の企業や商店の莫大な土地賃貸料が頼りだった。
そこでその跡地の建設計画でも、この失われた金額を埋め合わせることが絶対条件だったのである。つまり、設計にはまず賃貸料の「上がり」額が枷(かせ)としてはめられたのだ。こうなるともうデザインの問題ではない。決められた分量をどこにどう配分するかという算数の問題だ。かくして何とも味気ない6案が提示され、案の定「何だ、あれは」と相成った。
さすがにこれではまずいと、ブルームバーグNY市長が現在のJFKおよびラガーディア両空港敷地との交換案を出してきた。両地はNY市のもの。上に建つ空港は港湾委員会のものだから、同委はこちらでは市に土地の賃貸料を払っている。
これをWTC跡地と交換する。すると同委は両空港の莫大な土地料が浮く。この浮いた分を他事業推進の資金にできるではないか。おまけにNY市はWTC跡地利用法をもっと自由に考えられる。
なんだ、簡単なことじゃないか、とみんなこの案には期待している。だが、何かおかしい。あの、失われた土地の埋め合わせはどこに行ったのか?。旧WTCからの本来あったはずの「上がり」は消えたままなのだ。これは同じく算数の問題。NY市がそれでよいというほど太っ腹とは思えない。なにせ前回に書いたとおり、市は大変な赤字で煙草を1箱7ドルにしてまで大増税中なのである。
さて肝心なのは、あそこに何を作るかだった。3000人近くが一瞬にして逝った場所の上にビルが建って、そこで働きたいかと聞けばさすがにアメリカ人だってそんなのはぞっとしないと言う。
あの2塔の建っていた2つの巨大な正方形を正確に割り出し、そこを池として静かに水を湛える。それだけ。そして毎年9月11日にはその2つの池から天に向かって光を放射し、かつてのタワーを幻出させる。そんな採算の取れないことを夢想しているのは私だけだろうか。