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February 20, 2003

2003/02「オオカミ少年とオオカミと」

 米国に住む私たちは2月10日、政府から最低3日分の食料や水、医薬品を備蓄するよう勧告された。テロなどの攻撃があった際には自宅の一室に集まって安全を確保するようにという。

 窓を覆うシートやすき間テープ、ラジオも用意する。生物・化学兵器攻撃の際の「生き残り法」も学習しなさい、とのお達しだ。こういうのはまったく困る。いったい何回目の“警告”だろう。

 時を前後してテロ警戒レベルも「黄」から「高度の危険」を意味する「オレンジ」に引き上げられた。これも困る。どういう証拠があるのかの理由も開示されない。したがって「単なるオオカミ少年だ」との批判ものれんに腕押しの空しさがつきまとう。

 よく分からないのは、これらがアルカイダやオサマ・ビンラーデンの関連で出ているのか、それとも対イラク戦の開戦間近の気運から生じているのか、ブッシュ政権がそれを区別しない点だ。

 かくして米国民はビンラーデンとイラクの脅威を一緒くたに受け取るふうになる。対イラク戦やむなしの雰囲気のほとんどは米政府の持ち出したそういう環境から生まれている。

 だから対イラク攻撃が必要だという理由を訊いても、ほとんどの米国民は正確に答えられない。「対テロ戦の一環だ」と言うのが関の山。だが対イラク戦の大義名分は「大量破壊兵器を廃棄するという国連決議の不履行」容疑なのである。

 しかし、それは戦争をふっかけるほどの理由になるのか?。そうならば核兵器を事実上所有しているインドやパキスタンにも先制攻撃を行ってよいのか?。明らかにフランス、ドイツ、ロシア、中国はそう思っていない。大量破壊兵器なら彼らも持っている。

 だいたい、今回のイラク攻撃には前回のクウェート侵攻のような明確な理由が見えないのだ。このため独仏露は対イラク攻撃を回避するために国連査察の強化による武装解除の方法を探る共同提案を行って、開戦やむなしとの米国主導の環境作りに真っ向から違う風を当てはじめた。

 ブッシュもラムズフェルドもこれでかなり機嫌が悪い。そうして「3日間分の備蓄勧告」である。いつもこういうタイミングだ。仕組んでいるのだとしたら大した政府である。

 もちろんこうした批判は仮定の上にしか成り立たない。オオカミが来なければ警告を出したおかげで回避されたのだと言える。オオカミが来ればほら見たことかと相成る。どちらに転んでもオオカミ少年はやはり正しかったという仕組み。

 こういうのはまったく困る。困りながらも「古い欧州」たちが非戦に向けて行動している。はて、ところで日本政府はいったいどこにいるのだろう。

February 08, 2003

2003/02「やっつけないとわからない」

 正月で一時帰国した。予想はしていたが、日本のワイドショーめいたニュース番組では北朝鮮の国内向けテレビの内容を紹介して、コメンテイターのみならずキャスターまでもが「ひどい国ですねえ」といわんばかりのあきれ顔をしてみせる。ただし、だれもあれを自分たちの60年前の姿と同じだとは言わない。

 金正日体制とかつての日本の天皇制との絶対的な近似。そんな簡単なことに気づいていないはずはないと思うのだが、テレビや雑誌に溢れる「ああいう連中はやっつけないとわからないんだよ」という雰囲気はいったい何なのだろう。

 現在の日本国民は「ああいうのはやっつけないとわからないんだよ」という論理で行われた東京大空襲やヒロシマやナガサキの生き残りである。昭和20年までの日本に生きていた自分たちの親や祖父母たちの上に無差別に被された「やっつけないとわかんないんだよ」という論理を、その生き残りの末裔たちが、あるいはその生き残りたち自身が肯定する。それはどういうことなのだろうか。

 「やっつけないとわからない」と被爆国・日本の国民が発語するとき、それは非戦闘員の市民の上に爆弾を落とすことをその非戦闘員たる市民が望んでいる、ということを意味する。そのとき「やっつける」側は解放軍である。「やっつけられる」のは抑圧的な独裁政府とそれを支える蒙昧な国民で、解放軍によってその抑圧国家の国民は解放され、めでたしめでたしと相成る。そういう図式だ。

 それでいくと、いま北朝鮮に対して「やっつけないとわからないんだ」と言い放つことは、かつてのアメリカに対し「日本に原爆を落としてくれてありがとう」と感謝することにつながるのである。戦後復興から高度成長、経済大国の道を進んで「めでたしめでたし」と相成った(まあ現在の大不況は横に置いておいて)のも、アメリカの原爆があったからだ、ということになる。

 それはそれで一理ある。じっさい、アメリカの論理は今も昔もそれで変わっていない。しかし私たちの考え方として、それはほんとうにそれでよいのか。いつから私たちは、こうもあっさりと世界で唯一の被爆国の視点を忘れ去り、非戦闘員の市民のうえに原爆を落としたほうの国家の視線でものごとを考えるようになったのか。北朝鮮もすごいが、こういう節操のない横滑りを何事もなかったかのように済ましてしまう日本のありようのほうがじつは慄然とはしまいか。

 「やっつけないとわからないのだ」と言う輩はいつもあのときの広島でも長崎でもない安全な場所にいる。言葉は勇ましいが、卑怯と無責任の匂いがする。