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April 20, 2003

2003/04「キツネ効果という妖怪」

 アメリカと日本のTVニュースで最も違うのは原稿を伝える声の調子だ。

 ここでは興奮すれば頭が悪い証拠とばかりにどんな現場でも冷静沈着に低い声で話すのが常識。例の世界貿易センタービルへの旅客機突入の朝も、テレビを見ていた私はあまりに訥々たる男女キャスターたちの声の調子に、これは資料映像かと思ったほどだ。

 ところが今回、対イラク戦争でそんなニュースの常識が崩れ始めた。

 米国には24時間ニュース局として老舗のCNNのほかルパート・マードック率いるFoxニュースと、NBCがマイクロソフトと手を組んだMSNBCの3局がある。

 そのFoxで、イラクの従軍リポーターもスタジオのアナウンサーたちもそろって声を張り上げ叫ぶように話していたのだ。とにかく威勢がよかった。

 バグダッドに一気呵成に進攻する米軍リポートでは「イラク兵を皆殺し」という内容のジョークまで飛び出し、それを受けてスタジオも大笑いするという乗りのよさ。イラクの民間人被害などは触れられるはずもなく、映画もどきの効果音や音楽まで流れる。結果、明るくいけいけムードのこのFoxが、開戦後の視聴者数でCNNを大きく上回ったのである。

 声の高いFoxと低いままのCNN。両局の報道姿勢の違いは歴然だが、これを機にFox式の報道が増えるのではと一部から危惧の声もあがりはじめた。

 ニューヨーク・タイムズは最近、まるでFoxの番組かと見まがうばかりに「反戦を叫んでいる連中は国家反逆罪だ」とあおったMSNBCの出演陣を例に挙げ、これを報道と政府とが一体化した「Fox効果」と紹介。

 つまりは大政翼賛(第2次大戦中の日本社会)だが、商業的に成功しているFoxのそんな報道姿勢が他局へも波及していると指摘する。ちなみにNYタイムズも英国のBBCも現在は「わが軍」という表現はしない。「米軍」「英軍」と客観的に扱うと報道規定として決まっている。対してFoxはあくまで「わが軍」なのだ。

 そりゃあ残虐な場面は見たくない。面倒なことは考えたくない。「善玉」の「わが軍」が「悪玉」を駆逐するならそれがいちばんスカッとさわやか。おまけに自分の国に自信も持てる。自分もよいことをしている気分になる。それで何が悪い、ときたもんだ。Foxはまさにそんな米国民の心理に応えている。

 だがそれはジャーナリズムではない。それは娯楽番組だ。それを承知していながら米国のTV局はただいまどこも視聴率欲しさに政府の提灯持ちのようなコメンテイターをリクルート中なんだという。こうなると応援団や解説者までお抱えで地元チームの試合を中継するスポーツ番組と同じ。

 ただし、米国内のリベラル派から批判されているのはじつはFoxではない。CNNなのである。先日、パーティーに呼ばれて当地ニューヨーク大学の某教授宅に伺った際に話を振ってみたら周囲の教授、準教授連が待ってましたとばかりに身をのりだしてCNN批判をやり出した。

 いわく「開戦の理由に対する解説も分析もない」「従軍取材を受け入れたら軍の批判を出来るはずがない」「戦況の垂れ流し的報道で結局は戦争追従報道に堕した」。つまりFoxがこういう娯楽ニュースなのはわかっていた。Foxには端から期待していなかった。しかしCNNがこうとはなんたることだ、というわけである。

 ちなみに、大学内では不思議なことが起こっているらしい。教授連はみなほとんどが戦争反対、ブッシュ政権大バカ者、なのだが、学生たちがそろって「戦争、行け行けドンドン。ブッシュOK」なのだという。それはNY大学に限らず、ロサンゼルスの大学から来ていた先生もそう指摘して顔をしかめていた。そうしていわく「若い連中はいま、Foxしか見てないみたいなんだ」。

 なるほど、Fox効果の波及はかなり進んでいるようだ。かつて米誌「タイム」はマードックを評して「触るものすべてを下品にする」とまで言い切ったことがあるが、ある先生は「触るものすべてをバカにする」と言い換えてワインをあおっていた。

April 12, 2003

2003/04「よい戦争のよくない未来」

 はっきり言って、この戦争はわからない。どう終わるのかわからない。どこで終わるのかわからない。終わった後にどうなるのかもわからない。かろうじてわかっていることは、この戦争でアメリカは逆にもっと危険にさらされるだろうということぐらいだ。

 12年前、湾岸戦争で中東軍司令官だったノーマン・シュワルツコフ将軍はどうしてフセインを狙わないのかと質されて「この戦いは個人が相手ではない。万一フセインを追わなくてはならなくなったとしてもイラクは広大な国だ。そんなことは不可能だ」と断言した。なのに今回のブッシュの目的はただ一つ、フセインの首でしかないのがこの戦争だ。

 そのフセインが4月7日の1トン爆弾バンカーバスター4発の直撃を食らって爆死したという報道が米国では流れている。こんどばかりはそうかもしれない。しかし、国家元首の暗殺、いや、公然の殺害である。CIAで暗殺できないなら戦争で殺すぞという、なんともすごい論理だと、個人としての人間はひそかに口をつぐむしかないのだろうか。

 初めにフセイン打倒ありき……不況対策、父の仇討ち、石油利権、いろいろと理由はあろう。それもこれもネオ・コンサバティブ(新保守派)と呼ばれるブッシュ政権の米国覇権世界拡大政策。欧米型の自由と民主主義を絶対的な善とする善悪二元論。

 その「善」の普及と「悪」の根絶のためには予防的でもなんでも先制攻撃も辞さないというブッシュ・ドクトリン。ブッシュ政権というのは、恐怖支配による新たなパックスアメリカーナを志向しているのだろう。

 そうして圧倒的なハイテク軍事力を前面に押し出し、イラクに米国型の民主主義政権を樹立することで周辺の石油王国でも民主化が進み富の再配分が進み、米国もアラブもともに(しかも米国が世界の頂点に立って)繁栄することができるはずだという、なんともおめでたい妄信。それが今回の戦争の正体である。

 元来、保守主義とは厳粛な現実認識を基に慎重に行動していこうという思考の形態であったはずだ。それに幻想や妄想を付与して「ネオ・コン」と呼び慣わしたのは誰なのだろう。妄信と保守とは相容れない。妄信と相容れるのは保守ではなくて幼く愚かな右翼思想なのである。

 第一、フセイン政権が崩壊したとしてでは次に誰がイラクを統治するのか。亡命イラク人に人材はいない。優秀な官僚機構を持つとされる唯一の政党バース党をフセイン色を一掃した上で傀儡政権として利用するのか。

 しかしそんな政権で誇り高きイスラム教徒が、近隣イスラム諸国が黙っているはずもない。米英がいくら共同声明で殊勝なことを言っても国連にいまさらなにを頼めるのか。米英が安保理を見限った傷は簡単には癒えない。

 したがってそんな新政権を支えるためには米軍の長期占領が必要となる。散発的な対米進駐軍ゲリラの危険は消えるはずもない。そのうち内戦が勃発する危険さえある。そうなったら次に生まれるのは反米政権でしかないのである。

 フセインの首を取ったとする(それは当初から圧倒的な軍事力を背景に時間の問題でしかない)。ではその次にどうするのか? 戦争は、実はそこから始まるのである。だからこの戦争の行方がわからないのだ。

 ところでテロはどこに行ったのだ? 最初は対テロ戦争だったんじゃないか? テロもまた、さて、そこからまたぞろ生まれるのである。米国とアラブの共栄どころか反米の世紀が始まるのである。いや、それはすでに始まっているのかもしれない。