世界の真ん中でJAPANを叫んだスイマーたち
「こんなにたくさんいるんですねえ」と、ソルジャーフィールドを埋める3万人もの選手や観客を眺めながら、この日の夕方に東京からシカゴに着いたばかりの彼は感極まるようにつぶやいていた。本名は言えない。36歳、だれもが知る大手企業でだれもが知るコンピュータソフトの開発に関わっている。けれど彼がここに来ていることを、社内のだれもが知らない。
つい先ほどまで眼下のフィールドで世界の数千人のLGBTアスリートたちに混じり、「JAPAN」のプラカードと日の丸のもとで開会式の入場行進に参加していた。日本からの参加は水泳チームリーダーの彼以下4人。そろいの甚平姿は「すごい人気で(他の国の選手に)いっぱい写真を撮られました」とうれしそうに話す。
頭ではわかっていた。けれど目に前にある「こんなにたくさん」の具体は口が開くほど圧倒的だった。性的「少数者」だなんてだれが言ったのだろう。それに、全米で1、2といわれる立派な競技場をわがもの顔に使っているだなんて。こんなにしっかりした大会だとは想像していなかった。
水泳は体が鈍ってきた社会人になってから始めた。ゲイゲームズのことは前回シドニー大会にも出たチームメートから聞いた。東京では8年前からゲイの水泳チームにも所属している。このチームには名前がない。いや、決まった名前がない、というべきか。競技会ごとに名前を変える。アレがゲイのチームだと噂になったら困るから、そのとき限りの名前で泳ぐのだ。名指しの指をすり抜けるように。
「でもね、東京にもこれだけオカマ・スイマーズがいるんだってことを、どうにかしてアピールしたかったんです」
名前を持たない者たちの、存在の証。ぼくはここにいるというささやかな叫び。まじめで実直そうなエリート会社員の彼にとって、それはいきなりゲイゲームズだった。2年前から準備が始まった。
さらに考えた。「JAPAN」をアピールするにはどうしてもリレー競技に出たかった。それには4人の泳者が必要だ。しかし7月中旬の開催というのは、日本では企業で取る夏休みにはまだ少し早すぎる。じっさい、今年はじめに集めた4人のリレーチームのうち、1人は急に夏の仕事ができて参加不能になった。ほかにシカゴまで行ける仲間は見つからなかった。しかしどうしても4人で行きたい。ならば、アメリカにはだれかいないか。日本人ゲイで、いっしょに泳いでくれるやつが。
4月、ゲイ関連のアメリカの日本語の掲示板にスイマー募集と書き込んだ。「いっしょにシカゴに行こう。ゲイゲームズでリレーを泳ごう」と。
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サトシは9年前に日本からアメリカに渡った。20歳だった。ホテルマンになりたくて大分から東京の米国系大学に進み、それから留学の道を選んだ。希望進路はいつしかアートやファッションに変わり、NYの有名デザイン大学FITでメンズウェアを学んだ。色々なところで働き履歴書を書き込み、いまはNYのアパレルのデザインハウスで働く。
NYには、英語ではなく日本語でコミュニケートしようという「日本語で喋るゲイの会」というサークルがあって、サトシはそこの何代目かの代表も務めている。アメリカ人も日本語が話せる人だけ入会できる、ちょっと逆差別っぽい意趣返しというか、シャレというか、そんな変な親睦会だ。サトシはそこで仲間を募ってBBQをやったり誕生会を催したりクラブに行ったり、それだけでなく自分でNYマラソンを完走したりとじつに活動的だ。
だが、それも彼なりのルサンチマンの昇華法だった。九州男児だった。自分がゲイだとはどうしても言えなかった。東京でも、NYに来てからも長いことカムアウトできなかった。FIT時代はルームメートがゲイだったのに自分もそうだとは言えなかった。そのうちにおかしくなった。情緒不安定。クラブ通いでドラッグをやるようになった。5、6年前のことだ。眠れなくなった。このままではいけないと思った。よく眠るためにまずは体を動かそうと思った。そうして、カムアウトも。
この世の果てだと思ったカミングアウトは、この世の始まりだった。それはカムアウトしてみないとわからないことだ。薬もやめられた。ジムとジョギングが日課になった。ゲイやビアンの日本人の友人もNYでたくさんできた。
そうしてことし4月、「日本語を喋るゲイの会」のリンク先の掲示板に、ゲイゲームズでスイマー求むの書き込みを見つけた。世界の中心で「日本」を示したい、と彼も思った。メールを出すのに躊躇はなかった。なにせ15年前、大分・滝尾中学では水泳部のキャプテンだったのだ。「おかまだったんですけどねえ。あはは」
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こうして4人はつながった。そんな彼らの「日本」は、きっと歴史上のどのナショナリズムともちょっと違う。それはむしろ「名乗り」に近い。日本を世界にカムアウトさせる営みに近い。そうじゃなきゃ日本に誇りなど持てない。日本に誇りを持ちたいがための彼ら自身による身代わりの名乗り。
入場行進で掲げられた「JAPAN」のプラカードは、1万人の選手の中で迷子にならないように懸命に手を振る、いたいけなアジアの子供のように健気だった。
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で、結果報告。
2年前のアテネ五輪の日本の水泳チームの水着を、当時4人分買い込むまでして臨んだ男子200mメドレーリレーは、不慣れな英語によるエントリーミスで出られず。これはとんだ笑い話。
サトシは5月からの特訓むなしく自由形100、平泳ぎ50とも「書かなくていいですよ」と敗者の弁かつ一念奮起の形相。チームリーダーの彼はリレーのショックから1日目はコース間違いもおかして泳ぐことすらできず。しかし気を取り直して臨んだ2日目は200m平泳ぎで数年ぶりの自己ベストを更新して35〜39歳部門で20人中8位の成績。その他2人のチームメートは、シドニーにも出たAさん(36)は自由形800の35〜39歳部門で堂々の6位入賞、今回初出場のBさん(30)はメドレーと平泳ぎで健闘するも入賞ならず。
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後日、チームリーダーの彼からメールが届いた。こうあった。
「先週からチームの練習会に復帰し、東京のオカマスイマーズに今回のシカゴの体験談を聞かせています。意外にも20代後半くらいの人が興味を示してくれています。僕的には、こうやって少しでも多くの人に興味を持ってもらう事を続けていれば、いつかは日本でGayGamesが開催される日も来るんじゃないかな〜と途方もないことを考えております」
いつも希望は未来にある。次回のケルンこそはリレーに出るぞ、と笑う彼の4年後の未来は、だれか社内からの応援もきっと得ることになるはずだ。4年とは、そのための時間でもある。
(了)
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何をか言わんや……