« 『反自然的な変態は殺されるべきか?』 | Main | 『男社会のホモフォビア』 »

『ゲイが集まりゃ桶屋が儲かる?』

 最近、マンハッタンのチェルシー地区を歩いたことがありますか? とくに八番街の15〜22丁目周辺です。つい数年前までは殺風景な茶色いビルの建ち並ぶだけの通りだったのですが、いまはやたらとカラフルでおしゃれなレストランやカフェが並んでいます。見ればいたるところにレインボウ・フラッグのワッペンが貼ってあったりします。

 この虹色の旗はゲイのシンボルマークです。いろんな色がともに1つの美しい虹を作る、というのが、性的にさまざまな人間の多様性を受容しようという訴えのシンボルになっているのです。つまりチェルシーはいまやすっかり「ゲイな」場所に様変わりしてしまっているわけです。

 「ゲイ地区」といえばかつてはニューヨークではグリニッジ・ヴィレッジでした。昔から自由人の住む「リトル・ボヘミア」として栄え、最初のゲイバー(当時はゲイという言葉はなかったので、花の名の「パンジー・プレイス」というのがゲイバーの婉曲隠語でした)も1919年にできています。この連載の初回に記したゲイ人権運動の嚆矢たるストーンウォール・インも七番街からクリストファー・ストリートをすぐ東に入ったところにあります。

 しかしビレッジは基本的には住宅地域で、道路も狭く商業施設のスペースも限られています。おまけにどんどん瀟洒になって家賃も高くなり、年齢層も高い金持ちゲイしか住めない場所になってきました。ゲイたちがチェルシーに移りはじめたのはそんなころです。チェルシーはそれまで特に八番街から西ではなんだか危険な感じもする地区でした。だから家賃も安くて、だから若いゲイたちも住むことができたのですが、そうやってゲイたちが入り始めてから街はどんどん明るく安全になってきて、今ではすっかりニューヨークでいちばんトレンディーな地区になってしまいました。

 そういえばサンフランシスコのカストロ地区も「ゲイの街」になってから見違えるほどきれいになりました。ウェストハリウッドもゲイ地区が最も輝いています。ケープコッドのプロヴィンスタウンやフロリダのサウスビーチ、キーウェストなど、ゲイのリゾート地は不況時でさえも賑わっていました。ゲイたちが来れば街はそんなにも様変わりするのでしょうか。

 チェルシーが注目されはじめたのはちょうどストーンウォールの25周年記念イヴェントが行われ、ニューヨークでゲイ・ゲームズが開催された94年ころからです。前後してヴィレッジにあったゲイ専門書店「ディファレント・ライト」が3倍の店舗面積を求めてチェルシーに移転しました。モデルみたいなかっこいいお兄ちゃんたちがウェイターをする「フード・バー」というおしゃれなレストランが出来たのもこのころですね。そういえば「マッスル・クィーン」「ジム・クィーン」(ジム通いと筋肉造りに夢中のゲイの若者たちを冷やかしてこういいます)の変形の「チェルシー・クィーン」「チェルシー・クローン」なる言葉が生まれたのも90年代半ばころからでしょうか。まるで絵に描いたようなきれいな肉体を誇り、ぴったりしたシャツを着てブランド志向で短髪で、「かっこいい」「トレンディー」という意味から「アンドロイドみたい」「頭悪そう」「お高くとまってる」といったマイナスイメージも抱えた言葉です。

 じつはゲイ男性たちのこの「筋肉づくり」は、80年代のエイズ恐怖から始まったものでした。陽に焼けた健康的な肉体は、たとえそれが人工的に作られたものであっても、あるいはそれだからこそ意志的な、エイズに対するアンチテーゼだったのです。

 その作られた美しい肉体がファッションとしての単なる記号になってくるのは、エイズ危機がどういう誤解からか「薄れた」と感じられてきた時期に一致します。もちろんこの「薄れた」という感覚はエイズ患者/感染者に対する同情や思いやりが「トレンド」になったことにもよります。例の、患者/感染者への「友情・支援」を示すレッドリボンなんてものが流行りだし、そういうふうにエイズ・フレンドリーであることを「エイズ・シック(chic)」と呼ぶ傾向さえ生まれました。レッドリボンが高給宝飾店からとんでもない高額なアクセサリーとして売り出されたのもこのころでしたね。

 92年ごろから94年ごろにかけてこうしてエイズ危機がファッションによって薄められて行く中、それまでエイズの汚名をまとっていたゲイたちの反撃もまた始まります。6月のストーンウォール記念イヴェントのテーマは93年には「Be Visible(目に見える存在になれ)」になりました。エイズによって二重の差別を受け、ふたたびクローゼット(ゲイであることを隠している状態)に閉じ籠もりがちになった傾向に対し、もう一度原点に戻って「カムアウトせよ」と訴える。エイズの汚名を脱ぎ捨てて、その暗いクローゼットから出てきたゲイの新世代は、エイズへのアンチテーゼではない、単なるファッションとしての美しい肉体の鎧をまとっていた、というわけです。

 もちろん、これはあまりに戯画化しすぎた分析です。ゲイといっても美しくない人のほうが圧倒的に多いし(失礼!)、チェルシーの風潮が全米に通じるかといえばカリフォルニアのゲイはまた違うしという具合にそれぞれさまざまです。忘れてならないのは、エイズに苦しむゲイはエイズに苦しむ異性愛者たちと同じくいまもたくさんいるということです。

 それでもこの歴史の戯画化と単純化をもう少し敷衍してみましょう。

 さて、よりヴィジブル(目に見えるよう)になって元気なゲイたちを(正確に言えばそれはゆいいつ白人ゲイ男性層だったのですが)生き馬の目を抜く米ビジネス界が見逃すはずはありません。

 やはり90年代に入ってから、メディアはこぞってゲイたちの可処分所得の多さを喧伝しはじめます。その先駆けとなったのはウォールストリート・ジャーナルの1991年6月18日付けの大々的な統計記事でした。米商務省国勢調査局と民間調査機関の共同調査によるその統計数字は、ゲイの世帯がアメリカの一般世帯よりはるかに年間所得や可処分所得が大きく高学歴で、旅行や買い物に多大な興味を示しているというものでした。

 その当時の統計結果を少し抜き出してみましょう。

  ▼一世帯平均年収はゲイ世帯で5万5430ドルで、全米平均より2万3千ドル多い
  ▼米国人平均個人年収1万2166ドルに対し、ゲイ個人は3万6800ドルと3倍
  ▼大卒者は米国平均では18%なのに対しゲイでは59・6%とこれも3倍以上
  ▼年収10万ドル以上の高額所得者はゲイで7%を占め、アメリカ平均の4倍
  ▼回答レズビアンの2%は年収20万ドルを超え、これはゲイ男性中の比率より多い
  ▼全米でゲイ男性とレズビアン女性が獲得する所得は年間で5140億ドル
  ▼海外旅行経験者はアメリカ人全体では14%だが、ゲイでは65・8%
  ▼航空会社のフリークエント・フライヤーズのメンバーも米国人全体で1・9%だった当時に、ゲイはその13倍以上の26・5%

 これを知ってアメリカの大企業がゲイたちをひそかに「上客」として狙いはじめたのです。(じつはこのゲイ金持ち説というのも私には大変戯画化されたものに見えるのですが、重要なのは事実がどうかというよりも、この場合はそんなマンガにもビジネス・マーケティング界というのは乗るものだ、という、そちらの事実のほうです)。

 そのときのWSJ紙の見出しは「根深い敬遠を捨て、ゲイ社会への企業広告増加」。同じころに《サンフランシスコ・クロニクル》紙も「隠れた金鉱ゲイ・マーケット」と書きました。「だれもがゲイ・ビジネスに乗り出そうとしている。ストレート(異性愛者)社会の気づかないところで、一般企業までもがみんなゲイ市場になだれ込んでいる」とのマーケッターの分析コメントがニューヨーク・タイムズ紙で紹介されたのは92年3月のことでした。

 90年代半ばにかけ、大企業がこうしてゲイ向けのマーケティングを本格化させていきます。アメックスは顧客の財形部門にゲイとレズビアンの担当員を置いてゲイの老後の資産形成などきめ細かな相談に乗りはじめました。アメリカン航空は94年からゲイ専門部門をつくってゲイ・イヴェントへの格安航空券の提供やゲイの団体旅行割引販売などを企画し成功します。そして95年4月にはニューヨークで初めて「ゲイ・ビジネス・エキスポ」が開かれ、チェイス・マンハッタン銀行やらメットライフ(保険)、メリルリンチ(証券)など、特段ゲイフレンドリーでもない企業の投資部門までが出展もしました。ジュリアーニNY市長も開会式に出席して「ニューヨークがこの素晴らしいエキスポの恒常的な拠点都市になることを希望する」と祝辞を述べました。石原都知事がそうしたことをするとは想像すらできませんが。

 つまりこういうことです。
 ゲイが集まればお金が落ちる。お金が落ちるところにはビジネスが発生する。発生するビジネスも「おしゃれなゲイ」という幻想に自らもオシャレになろうとする。するとそこにおしゃれな空間が誕生する。するとまたゲイたちが集まってくる。

 なんだか「風」と「桶屋」の循環関係みたいな話です。冒頭からの話に戻れば、チェルシーという地区の変身譚はこうしたじつに90年代的なお話なのです。(もっとも、ゲイたちはすでにいま現在家賃高騰気味のチェルシーから、その北のミッドタウン最西部クリントン地区に移りはじめているそうですが)。

 政治うんぬんが宗教的な思惑や偏見で煮詰まったりするときに、この企業の論理、はっきりいえば「おカネ」の論理はじつにすっきりとわかりやすい。おまけにここにゲイの投資家なんてものも登場してきますから、企業は、家族手当や扶養手当などゲイの社員を対象にした福利厚生にも目配りをしなくてはならなくなりました。なんといってもゲイの社員を差別すれば優秀な人材を逃すことにもなりかねませんし。

 かくしていまやゲイ雑誌などには高級時計や自動車、ファッション企業など、ふと見ると何という高級誌だろうと思うほどの一流広告主が並んでいます。それもゲイ・メディア向けにモデルを男2人にしたり女2人にしたり、ゲイのシンボルマークのレインボウ・フラッグを飾ったり逆三角形をあしらったりと、さすがプロの仕事です。ゲイの活字メディアへの広告の出稿量も、某コンサルタント会社が統計を取りはじめて4年連続で上昇中で、昨年は対前年比20%以上も増えたことがわかっています。好況を背景に他メディアも数字を伸ばしているのですが、主要新聞の広告量は5・6%、主要雑誌は9%の伸びでしたから、単純に成長率だけ比べればとんでもない数字だとわかります。

 先に私は「ゲイ金持ち説」を、これもまた戯画化されたものと書きました。簡単に理由を言えば、自分がゲイだと言える人は、自分にある程度自信を持っている人だからです(それは連載第2回の原稿でも少し触れました)。その陰に、いったいどれほど多くの、自分をゲイだと言えない人がひそんでいるか、どれほど多くの、自分がゲイであることを認めたくないと思ってしまう人が隠れているか、それを思えばゲイは一様に金持ちで美しくてオシャレで洗練されていて、などということは言えるもんじゃありません。だとすれば、この「ゲイ金持ち説」もあれもこれも全部がまた、じつはゲイの側からのとても戦略的なプロパガンダだということも疑えるわけです。

 ただし、そう戦略を張り巡らさねば戦えない状況が、今もまだゲイを取り巻いて存在しているのだということは、これまでの連載でわかっていただけたのではないかと思います。その状況とはまさに、圧倒的多数を誇る異性愛者である「あなた」たちの、強制異性愛的存在そのものなのです(そんなこと言われても困ってしまいますけどね)。

 そうした「あなた」たちに取り囲まれて、アメリカの青少年では同性愛を理由にした自殺が全体の30%もあります。言葉を換えれば、ゲイやレズビアンである子供たちは、そうではない子供たちより3倍も死を選ぶ確率が多いということなのです。

 それを知ってもまだ「あなた」が笑っていられるのだとしたら、「異常」とはどちらを指して呼ぶ言葉なのか・・それを知っていただくだけでもこの連載を行った甲斐はあります。
(終わり)

TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://www.kitamaruyuji.com/mt/mt-tb.cgi/197