『ミルク』のストーリー
【ストーリー】
時代がミルクを必要としたのか、ハーヴィー・ミルクの周囲には社会変革の大波が次から次へと押し寄せた。彼の軸足は同性愛者の人権解放にあったが、それは同時に高齢者から労働者までさまざまな社会弱者への共感へとつながった。そんなすべてのか弱き声を代弁しようと奮闘したミルクに、時代のもう一つの顔はしかし、苛酷な運命を用意していた。映画『ミルク』は、そんな彼の最後の8年間を描いている。
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金融や保険業界で働いていたハーヴィー・ミルク(ショーン・ペン)はニューヨークで20歳年下のスコット・スミス(ジェームズ・フランコ)と出逢う。恋に落ちた2人は72年、新しい天地を求めて自由の地サンフランシスコに移り住む。転居先はアイルランド系の移民労働者たちが数多く住んでいたユリーカ・ヴァレー地区。60年代後半からここにはまたゲイやヒッピーたちの流入も続いており、やがてすぐに「カストロ地区」と呼び変えられることになる。
ミルクらは当初は職にも就かず自由気ままな暮らしをしていたが、貯金も尽きだすと残りの金で自分たちのアパート1階に小さなカメラ店「カストロ・カメラ」を開店。社交的でユーモアにあふれたミルクの人柄はたちまち周囲のゲイやヒッピーたちを惹き付け、店は周辺商店主や住民たちも含めた情報交換の場、コミュニティ・センターの様相を呈し始めた。だが、もちろん近隣にはアイルランド系の保守的なカトリック層も多く、ゲイたちのあけすけさを快く思わぬ者たちもいた。ミルクは、そうした差別的な既存商工会に対抗して、カストロ・ヴィレッジ協会という新しい商工会を結成、恋人スコットらの理解と協力の下、地元商店街や近隣住民の抱える問題に政治的により深く関わり始め、「カストロ・ストリートの市長」という異名を持つようになる。
ミルクが初めてサンフランシスコ市の市政執行委員(日本の市議の役割も担う行政監督官)に立候補したのは1973年11月の選挙だった。当時はサンフランシスコにあってすらゲイに対する偏見と暴力が公然と横行していた。彼が求めたのはすべての人のための権利と機会の平等だった。しかし落選。2度目は2年後の75年。しかしこれも落選。ただしこのときにはミルクも支援した州上院議員だったジョージ・モスコーニがSF市長に当選した。ミルクは同市長によって市の上訴認可委員に任命されるが、今度は76年の州議会下院選挙に打って出るために同委員も辞めることになった。
このころから恋人スコットともすれ違いが生じ始めていた。しかし、ミルクはすでに大きな政治の時代のうねりの中でスコットだけのミルクではなくなっていた。州議会選でも3度目の敗北をなめたミルクは、スコットとの約束に反して4度目の選挙である77年の市政執行委員選に立候補、ついに彼との別れを経験する。だが、その代償としてか、小選挙区制に変わった新制度のもとミルクはカストロを含む第5区でとうとう念願の当選を果たすのだった。ゲイ男性だと公言して米国史上初めて公選された公職者の誕生だった。当選を喜ぶ支援者の中には新しい恋人ジャック・リラ(ディエゴ・ルナ)や若きゲイ活動家に成長したクリーブ・ジョーンズ(エミール・ハーシュ)、今回の選挙参謀だったレズビアンのアン・クローネンバーグ(アリソン・ピル)のほか、スコットの姿もあった。
ジャック・リラ(ディエゴ・ルナ)
クリーブ・ジョーンズ(エミール・ハーシュ)
78年1月の委員就任後、公共・福祉政策の立案で地域住民の広い賛同を得たミルクが次に直面したのは、同性愛者の教師をその性的指向ゆえに解雇できるとする提案6号の住民投票だった。全米でゲイの権利剥奪の運動が成功を収めていた。カリフォルニア州でももし提案6号が通れば、ゲイ差別は教育分野だけに留まらず他の職業分野や居住環境など生活全般に拡大するだろう。その反動の波は異人種や障がい者など他のマイノリティにも及ぶだろう。時代を逆行させてはいけないという信念のもと、ミルクは精力的に提案6号反対運動を展開する。ミルクは言う。「若者たちを再びクローゼットに隠れさせてはならない、カムアウトだ、カムアウトだ!」
対して、保守派たちは「子供たちを守れ!」という大号令のもと凄まじい賛成運動を繰り広げた。筆頭は元準ミス・アメリカで人気歌手だったアニタ・ブライアントだった。彼女はその知名度を利用して精力的にメディアに登場。「ゲイは子供を産めない。だからあなたの子供たちを新しくゲイにしようとリクルートしているのだ」という誤った偏見を流布し、ミルクたちの反対運動を追い込んでいった。だが、「運動は続けなければならない。なぜならわたしの選挙はそこここにいる若者たちに希望を与えたからだ。若者たちには、希望を与え続けなければならないからだ」というミルクの思いは、リベラル派の民主党元大統領ジミー・カーターや、保守派の共和党の現職大統領レーガンらの賛同も得るに至り、78年11月7日の開票の夜、住民投票提案6号は劇的な否決を勝ち取るのだった。
一方、もう一つの運命がミルクを待ち受けていた。同じ選挙で当選した同僚市政執行委員ダン・ホワイト(ジョシュ・ブローリン)の影だった。敬虔なキリスト教徒の家に育ったホワイトは同性愛者であるミルクの華々しさと強引とも言える政治手腕に異和感とストレスを覚えながらも是々非々で彼に対していた。その彼が11月10日、突然の辞意を表明するのだ。それも、直後にその辞意を撤回して、モスコーニ市長にその辞意撤回をさらに拒絶されるという屈辱も経験して。
ダン・ホワイト(ジョシュ・ブローリン)
78年11月27日、ダン・ホワイトは拳銃を用意し、市庁舎の金属探知機を回避するために地下から庁舎内に侵入する。ホワイトは最初に市長執務室に入りそこでモスコーニを射殺、次にミルクのところに行って彼を射殺した。ミルクの任期はわずか11カ月余りで終わりを迎えた。衝撃と悲嘆がサンフランシスコを覆った。3万人以上の市民が、若者が、ゲイたちがロウソクを手にカストロから市庁舎までを行進し、ミルクとモスコーニ市長の死を悼んだ。
翌年、ダン・ホワイトは公判で、仕事と家庭での孤立感とストレスに加え、ジャンク・フードの過剰摂取から犯行に及んだとする「心神耗弱」の主張の弁論により、わずか7年の禁固刑を宣告されるにとどまった。明らかに軽すぎるその判決を受けて、怒った市民たちは「ホワイト・ナイト・ライオット」と呼ばれる暴動を起こし、街は激しい抗議と混乱に包まれた。
1979年5月20日、サンフランシスコ・ホワイトナイト暴動で燃えるパトカー、市庁舎