2008-12オバマの選択 反ゲイの司祭
アメリカにとってさんざんだった08年が、1月20日(この号が発売されるころです)の新大統領の誕生によってやっと新年09年を迎えられるような気がします。ブッシュもチェイニーも各種世論調査で「史上最悪の大統領・副大統領」という評価でしたから、よりいっそうオバマがみんなの期待を担う格好になっているのでしょう。アメリカだけでなく世界中の、あるいは過大な期待を。
そんな大統領就任式ですが、じつはその式典の最初に祈りを捧げる司祭の人選をめぐって、喧々囂々の議論が繰り広げられました。オバマが、こともあろうに反同性愛・反中絶を唱える司祭として有名なリック・ウォレンを指名したためです。なにせTVのトークショーに出演した際には同性愛を近親相姦とか小児性愛とかの犯罪と同等だと発言した人物です。ウォレン率いる福音派サドルバック教会のウェブサイトには次のようにありました。
「教会のメンバーシップというのはその人の人生において主イエス・キリストの導きをいかに受け入れたかという自然の成り行きによるものだから、ホモセクシュアルなライフスタイルを悔い改めるにやぶさかな者はサドルバックのメンバーとしては受け入れられません。とはいえ、そういう者たちが教会に来れないかというとそうではありません。ぜひ来ていただきたい。神の御言葉はわたしたちの人生を変える力なのです」
で、大統領就任式への臨席が決まり、ウォレンのこの反同性愛の姿勢が社会的に問題になって、サイトのこの記述はとつぜん削除されました。これ以上の問題化はまずいと思ったウォレン自身の判断なのか、それともオバマからの指示か。まさか教会が一夜にして親ゲイに悔い改めたわけでもありますまいに。
オバマ・サイドは「重要な点は、この進歩的な大統領の就任式に、保守的な福音派の司祭が参加するという、その多様性の意義だ」と苦しい弁明をしていますが、これはどう見たって詭弁を弄しているだけです。
あなたは、寛容は、不寛容に対しても寛容であるべきだと思いますか?
ニューヨーク・タイムズは論説で次のように書きました。
「オバマがウォレンの言辞を“多様で騒々しくかつ持論に溢れた”アメリカの“様々な意見の幅の広さ”の好例だと弁護するとき、それはあまりに可愛らしすぎる。いかなるマイノリティ・グループでも、それを小児性愛などの性犯罪に結びつけて中傷するような“意見”はとうてい容認できるものではないことを、彼は十二分に知っているはずだ」「特にそのグループが、そうした誤解に基づく恐怖をあおるような住民投票(同性婚を禁止するカリフォルニアの提案8号)によってその権利をはぎ取られ社会的に置き去りにされるような時にはなおさら、それは有害なのである。70年代のゲイのパイオニア政治家ハーヴィー・ミルクはいつも『希望がなければダメなんだ』と繰り返していた。ミルクのその希望は、単なる言葉ではなく行動を意味していたはずだ」「歴史上の大統領の傲慢さの標準から言えば、ウォレンを招待したこの空気を読まない決断に対するオバマ自身の言い繕いは比較的小さな約束違反である。たしかにこれはピッグス湾(ケネディ時代の米国が共産党支配下のキューバに亡命キューバ人を使って侵攻した政権転覆未遂謀略事件)とは違う。しかしこれは、我らの最初の黒人大統領の就任式の喜びにケチを付けるものだ。だれよりもオバマ自身が。自分にそんな歴史の間違った側に立つことを許したということが、じつに奇怪に思われる」
たしかにこれはピッグス湾事件ではありません。そうでなくとも新年はイスラエルによるガザ攻撃が続き、アメリカの金融危機もビッグ3の危機もすべてオバマの手に丸投げされます。というか、ブッシュは最後っ屁とばかりにいろいろなことを思いっきりぐちゃぐちゃにしてオバマに引き渡す感さえあります。イスラエルはアメリカの軍事産業の帳尻合わせのために爆弾を消費しているのだし(不況のときには戦争がいちばんの景気刺激策なのです)、ブッシュは1兆ドルもの借金財政で後は知らんぷりです(それはビッグ3を崩壊させるほどの赤字を作った経営者陣とどう違うのでしょう)。
冒頭の段落末尾に「過大な期待」と書きました。でもオバマは人気最初の1、2年を現実主義で対処せざるを得ないでしょう。LGBTのことは優先項目にはならないかもしれません。ただしそれはすでにこのアメリカでは一般紙やテレビが大きく報道する社会的課題なのです。それは後戻りはしません。
(了)