2008-06
◎情報は水みたいなもの。種子があれば芽吹く。でも種子がなければなにも起きない。きみは種子ですか?
NYのプライドマーチが行われた6月29日、グリニッジビレッジのミートパッキング地区に85年から続いた「フローレント」というフレンチ・ダイナーが閉店しました。この有名店のオーナーはゲイのフローレント・モーレット=上の写真は閉店を惜しんで彼に挨拶するNY市会議員議長でレズビアンのクリスティン・クインです。モーレットは近隣のゲイの顧客を大切にしてレストランでゲイのアーティストの展覧会を催すなど盛んにLGTイベントのスポンサーにもなってきました。ところが90年代後半からの再開発ブームで周辺には続々とオシャレなクラブやレストラン、ブティークが開店し、ここはすっかりNYで最もヒップなエリアになってしまったのです。つまり、店の家賃もまた高騰した。そうなると大資本で客単価の高い高級店しか生き延びれない。それが最近のマンハッタンの不動産事情です。
フローレントに続き、数ブロック南にあった「ルビーフルーツ・ジャングル」というレストランも閉店することになりました=写真下。こちらはリタ・メイ・ブラウンによる先駆的レズビアン小説から取った店名のとおり、パトリシア・コーンウェルの小説の舞台になったりナヴラチロワの引退パーティーが行われたりしたレズビアンたちの人気バー兼レストランでした。ここも家賃が94年の開店当時の6500ドルから1万1千ドル(120万円)になったのが原因。またビレッジ自体の家賃高騰でゲイやビアンたちがこの地域からブルックリンなどに転出しているのも理由でしょう。
オーナーのデブラ・フィエーロは言います。「94年当時はまだレズビアン女性の解放は遅れていて、そのせいでここがそんな女性たちが手をつないでデートできる避難所になっていた。そしていま2008年、もうそういう場所は必要なくなった。みんなどこででも手をつないで行けるし、したいことができる。それってまあ喜ぶべきことだって思う」
彼女が人生を捧げてきたビアン・コミュニティの顧客たちは「Lの世界」の世代の前の世代です。彼女たちもいま年を取り、子供たちを育て、家を買い、落ち着いている。もう毎日こういう店に来て相手を探さなくてもよくなった。そして次の世代はもっと自由で、たまり場の必要性も薄らいでいる。
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私は根が新聞記者というか物書きのせいで、つまり活動家ではないせいかもしれないけれど、情報が行き着いた先で人びとがどう反応するかについてはあまり関心がないのです。いや、ないと言ったら違うか。自分のもたらした情報で人びとがよい方向に向かったらそれはうれしい。しかしそれは結果であって、正直言えばあらかじめ期待してはいないのです。そもそもなにかを組織するのもされるのも苦手なので、そのせいかもしれません。
情報というのは水みたいなものです。そこに種子があれば芽吹かせることができるかもしれない。でもタネがなければなにも起きない。けれどうまく行けば地中深くしみ込んで地下水となり伏流水となり、どこかでまた時代を越えて別の種子に巡り会うかもしれない。でも情報自体は種子ではない。そんな感じ。私は水を撒くだけです。気楽なもんです。
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日本から帰って3日目にNYのプライドマーチを歩きました。快晴だったのに午後2時半過ぎに一天にわかにかき曇り、激しい雷とともに20分間ほど土砂降りが襲うというものすごい展開になりましたが、それもまた一興でした。
正午のスタートではブルームバーグ市長の他に州知事として史上初めてパターソン知事が歩きました。盲目のこの知事は、先にカリフォルニア州で同性婚が合法となって、もしNY州民がカリフォルニアや海外で結婚したらNY州でも婚姻関係であることを認めると宣言し、そのための関連規定の修正作業を進めさせているというずいぶんと飛んだ知事さんなのです。
この写真で知事(中央)の向かって左隣で知事の肩を抱いている女性は再びクリスティン・クイン市会議長です。フローレントの写真にも登場していますね。同じ服を来ているので、当日朝はフローレントに行き、そのままプライドマーチに参加したんでしょう。彼女はブルームバーグ市長の任期が切れる次期選挙ではきっと市長候補として立候補すると見られています。
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こちらはサンフランシスコのプライドです。サンフランシスコは04年に市として同性婚を認めようとして当時の州最高裁に差し止められた経緯があります。そのときのギャヴィン・ニューソム市長ももちろんフィアンセとともにマーチに登場しました。彼はシュワルツェネッガーの後でやはり州知事選挙に立候補するかもしれません。
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カナディアン・プレス紙によると、トロントで行われたプライドではカナダ軍のゲイの兵士たちが初めて制服姿のままでの参加を許可されたそうです。カナダではゲイやレズビアンであっても従軍できます。そこがアメリカと違うところです。
オープンリーゲイとして13年間従軍しているジョン・マクドゥーガル准尉のコメントを同紙はとても好意的に報道しています。「これはぼくにとって大変な出来事だ。公共の場で兵士として認められるだけでなく、たまたまゲイである兵士として公共の場で認められるということは、なんて素晴らしいことだろうって思う」
ドイツではかつての東ベルリンで初めてプライドマーチが行われました。そこには95歳のルドルフ・ブラツダもいました。彼はブヒェンヴァルト強制収容所の生還者です。ドイツ通信社の取材に、彼は「ひどい経験をしてきたが、いま私はパラダイスにいるような気分だ」と答えています。
チェコではブルノ市で初の500人を集めてゲイプライドが行われましたが、右翼過激派集団150人に催涙ガスで襲われて20人以上がケガをしました。
ブルガリアでは首都ソフィアで初めてのプライドパレードが行われました。ここでもやはり右翼のスキンヘッド集団に花火を投げ込まれる妨害を受け、警察はその60人を逮捕しました。
いずれも、世界では大きく報道された情報です。日本では違うかもしれませんが、世界はそうです。
(了)